一昨年の4月、劇団の社長と相談し、
私は5月末をもって退職、劇団は活動
停止となりました。私は6月1日から
ヘルパーとして働く為、4月の出張
から帰ってすぐに就活を始めました。
男性の需要は少ないと聞いてたので、
複数の事業所に登録すべく、まずは
江戸川区のHPを覗いてみました。
健康・福祉~介護保険~福祉部・介護
保険課~介護保険のページ~介護事
業者情報~地図から探す~訪問介護
~小松川とクリック、自宅周辺の地図
に事業所が表記されていました。自宅
から近い順に14社、片っ端から電話
して7社のアポを取りましたが、他の
7社は男性は不要とのことでした。
私は1週間で全ての事業所で面接を
受け、そのうち6社は即決で登録を
済ませました。「まだスケジュールは
白紙ですから、今なら好きな曜日、
好きな時間に入れて頂けますよ。」と
言って歩いたら、まだ4月末なのに
6月の仕事が1社、また1社と入って
来ました。即決で決めて頂けなかった
のは、今勤めている会社だけでした。
「本社には男の仕事はあまりないが、
瑞江にならある。でも瑞江の所長は
自分で会って決める主義。」とのこと。
私は、5月5日には出張に出ること、
5月末に帰ることを伝え、連絡を待ち
ましたが連絡はなく、人生最後の出張
に出て行きました。そして帰京する
1週間前に瑞江の所長さんに電話し、
面接のアポを取りました。出張に出て
からも順調に仕事が入っていたので
「お会いするまでに埋まってしまう
かも知れません。現時点での空き
時間をお教えしますので、仮予約
されてはいかがでしょう?会って
みて不採用ということであれば、
その時点でキャンセルして頂いて
かまいませんので。」と、そこまで
親切にお勧めしたんですが、やはり
会ってからでないと無理だと言われ、
なかなか信念のある方だなと感心
しました。でも、私もそう言った手前
埋めて帰らない訳にいかないので、
帰京するまでに月180時間程の
仕事を作りました。
所長さんは、面接で私と2~3分
話をすると「ちょっと待って下さい。」
と言って退席され、紙を何枚か持って
すぐに戻られました。「どれでも
いいから持ってって下さい。」そう
言ってテーブルの上に並べたのは
男性ヘルパーさん達の予定表でした。
日中は空き時間が少なかったので
夜間の仕事を中心に25時間ほどの
お仕事を頂き、トータルで200時間
を超える仕事量になりました。
運命でしょうか、日中の空き時間が
多ければ、日中の仕事だけしか頂か
なかったかも知れません。でも夜間の
仕事を頂いたことで、私にとって大事
な方と出逢えることになりました。
こうして、私の介護人生が始まった
訳ですが、私は少なくとも5年間は
このペースで働き続けることを覚悟
していました。ただし、月200時間
の労働に体がついて行けるかどうか、
やってみなければ解りませんでした。
To be continued
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
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