2018年1月21日日曜日

ピンピンコロリ

先週は月・火・金曜日が研修でした。
隣の人とロールプレイングで練習したり
するんですが、私の隣の方は68歳の女性で
介護経験なし、保育園で栄養士してるそうです。
さすがに2回目の挑戦だったって
言ってましたけど、介護経験があっても
勉強いっぱいしなきゃ受からないんですから
凄いですよね!ご主人も現役で働いてるそうで、
まるで我が家のモデルケースみたいです。

私の妻はヘルパー歴が私より半年少ないがために
制度改正の煽りを受け、ケアマネ受験は4年後に
なります。66歳での挑戦です。一発合格目指して
私も目一杯サポートするつもりです!

しかし介護の研修ってものは
ヘルパーの研修だろうがケアマネの研修だろうが
「自立支援」「ご利用者様本位」を
耳にタコができるほど聞かされます。
しかし実際の仕事では、それが最も難しいこと、
介護において永遠のテーマなんですね。
ま、だからこそ何度でも聞かされるんでしょうが、
具体論でないと説得力はありませんね。

ところで、ネットで今回のケアマネ試験の
結果を見ることが出来ました。
合格ラインは介護問題15点
医療・保健・福祉問題23点でした。
私は18点と26点でしたから
結果としては、それぞれ3点ずつ上回っていて
余裕のある合格ではありました。
合格率は東京都が26.5%と全国第1位。
全国平均は25.1%で過去13年間で最高。
それ以前の7年間は介護保険制度の黎明期なので
異常に高い合格率でした。ここ数年は15~17%
程度でしたから、今年は突出して高かったですね。
私のように、今回取らねば3年おあずけ食らうって
人が結構いて、みんな頑張ったのかも知れません。
医療問題の合格ラインを過去最高の26点に
すれば合格率はグッと下がったんでしょうが、
制度改正でしばらく受験者数が低迷するという
読みから、大勢合格させたのかも知れませんね。

しかしですよ、団塊世代はいま70歳。
今後15年は利用者が増え続けるんですよ。
1人のケアマネが担当できる人数は
35~40名と決まってますから、
いずれケアマネも人材不足になりはしませんか?
家族介護者だって、少子化で担い手が減りますよ。
1人っ子同士の夫婦が4人の親の心配をする
時代が、もう目前に迫ってるんじゃないですか?

やっぱ
ピンピンコロリ目指すしかありませんか?

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2018年1月14日日曜日

青春よ、もう一度!

火曜・水曜と研修に行ってきました。
研修内容は受験のために独学で学んだおいた
事柄が多く、あまり難しいとは感じなかった
けれど、スピードが早くて大変でした。何しろ
厚さ2.5cm、692ページのテキストを、延べ
15日間で学ぶんですから、1日46ページ
という驚異的なペースで進む訳です。

また、何種類ものテキストがあって、
あっちを見たり、こっちを見たりしながら
やって行くので、ちょっと別のこと考えてる
間に、何のどこを見ていいんだか解らなく
なっちゃうんです。途中で文章を書かされたり、
テストやらされたりもするので、うかうかして
られません。もう、着いてくのがやっとです!

100名程いましたかね、皆さん
文句も言わずに淡々と勉強してましたよ。
試験の日には、若い人が多かった印象でしたが、
受かって集まって来た人は年配の方が多かった
ように思います。私のように切羽詰まった人ほど
頑張るってことなんでしょうかね。女性と男性と
半々ぐらいだったのも意外でした。

2月に3日間の実習があり、私は葛飾区の或る
事業所のケアマネさんのところへ教えを請いに
行くことになってます。日程については各人が
相手と交渉するように言われたので、研修が
終わってすぐ電話し、双方にとって都合の良い
日を選定することができました。バスでも行ける
場所なんですが、朝はバスの時間が読めないので
チャリで片道1時間かけて行こうと思ってます。
研修の期間は介助の稼働時間が極端に減るので、
良い運動になるでしょう。

私は若い頃、練馬の自宅から六本木の稽古場まで
毎日チャリで通ったり、千葉県市川市へチャリで
営業に行って練馬の自宅へ帰って、それから
芝居仲間に麻雀を誘われて、京王線の仙川まで
チャリで行って麻雀やって帰ってくるってほど
気力体力半端じゃなかったんです!
青春よ、もう一度ってことでしょうか?

Because, that’s my life !

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2018年1月7日日曜日

米百俵

小泉純一郎さんが改革を断行するにあたって
引用した『米百俵』という言葉は、
幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩士
小林虎三郎さんの言葉だそうです。

北越戦争(戊辰戦争の1つ)で敗れた長岡藩は
7万4千石から2万4千石、実収にして6割を
失い、藩士達は食うや食わずの状態でした。
その窮状を見かねた長岡藩の支藩・三根山藩から
百俵の米が贈られることになりましたが、藩の
大参事(現在の副知事)小林虎三郎さんは、
贈られた米を藩士に分け与えず、売却した金で
学校を建設することにしました。この知らせに
驚き、虎三郎さんのもとへ押しかけた藩士達に、
虎三郎さんはこう言いました。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、
 教育にあてれば明日の一万、百万俵となる。」

『路傍の石』で有名な山本有三さんの戯曲で
米百俵の話が世間に広がって依頼、
今の辛抱が将来の利益となることを象徴する
物語として、引用されるようになったそうです。

出来ますか?
なかなか出来ませんよね、こういう決断。
私がこれまでの人生で下してきた決断なんて
決断のうちに入りませんよ。

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