私は『伝統』という言葉に価値を
見出せません。「伝統ある◯◯の…」
なんて演説聞くと「は?だから?」
ってなっちゃいます。伝統と名のつく
物で私が好きなのは落語くらいで、
それも新作より古典が好きです。
クラシック音楽やスイングジャズも
古い物という意味では伝統芸能かも
知れませんが、これは西洋の物なので
好きです。能・狂言・歌舞伎・日舞・
雅楽・和楽・小唄・浪曲・祭…。
どれもこれも好きになれません。
着物姿にも大して魅力を感じません。
「そんなにいいんなら毎日着れば?」
って思います。伝統家屋も嫌。
畳よりフローリング、布団よりベッド、
座るより腰掛ける生活がいいです。
トイレも和式より様式がいいです。
和食は好きですが中華・洋食は
もっと好きです。毎年骨折者を
出しながら続けてる組み体操とか、
伝統的な文化・風習・考え方なども
あまり好きになれないです。
自国の伝統が好きになれない私は
不幸者なんでしょうかね?
その代わり、と言っちゃなんですが
『変革』とか『進歩』になら
大いに価値を見出せます。
キリスト教徒の中には、未だに
ダーウィンの進化論を信じない方も
いるらしいですが、地動説を信じない
人は、さすがにいないでしょう。
もし私達の祖先が変革より伝統を
重んじる生物だったら、私達は未だに
海の中で暮らしていたことでしょう。
人類の祖先は食物連鎖の頂点に
君臨していた強者だから繁栄した
のではなく、変化する環境への適応力
があったんだと思います。
演劇という芸術が時代にマッチせず
人々に観て頂けなくなるなら、それは
普遍性に乏しい証拠ですから、廃れて
しまっても仕方ないと、私は本気で
思ってます。ですから、伝統と名の
つく芸能を国が税金を使って保護する
ことには、賛成したくないんです。
誰がどういう理屈で、保護する物と
しない物を選別するんでしょうか?
自然にまかせるべきです。
産業もしかりで、高い関税や補助金で
保護しなければ成り立たない産業は
淘汰されてしかるべきだと思います。
変わらずに伝えて行きたい心の優しさ
とか道徳心もありますが、それも時代
と共に変化して行くでしょうし、
伝わるべきものは伝わり、さほどで
ないものは伝わらないんでしょう。
私は演奏家~俳優~プロデューサー
と転身し、今はヘルパーをしてます。
その間に、全くの別人と言っていい
ぐらいに変わって来ました。できれば
私は、死ぬまで変わり続けたいです。
高齢者は変革を好みませんから
これからは、だんだん難しくなって
行くかも知れませんが、常に自分に
「変われないなら死になさい!」と
叱咤しながら生きて行きます。
Because, that’s my life !
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
E-mail:
at-home-takeuchi@aqua.ocn.ne.jp
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