2019年5月26日日曜日

優しくない

私は子どもの頃から「明朗活発」とか「面白い」
とか「優しい」とか言われて来ましたが、最後
の「優しい」だけは当たってないんですよね。
子供の頃、心臓病の子をおぶって通学したり、
公園にダンボール組み立てて住んでる子と遊
んだり、台湾から来た転校生と親友になった
り、いつの間にかそんなことになってたので、
少しは優しいとこもあったのかも知れません
が、大人になってからは冷たい自分の記憶しか
ないんですよね。

高校の夏の合宿で、男女ペアで参加する肝試し
があって、部長が気をきかせて、私と当時つき
合ってた彼女をペアにしちゃったんですよ。
私、ただでさえ肝試しとか、お化け屋敷とか嫌
いでね。大して怖くもないのに女子がキャー
って大袈裟に悲鳴あげて男子にしがみついて、
期待通りにくっつけて良かったね、みたいなお
定まりのお楽しみは、こっぱずかしいでしょ。
しかも、部活の遊びなのに相手が彼女で、抜け
駆けみたいで居たたまれなくなって、途中で
私が「もう帰ろう。」って言うと「みんな最後
まで行ってるんだから、行かなきゃ。」って
彼女が言うので「じゃ行けば?」って言って、
自分だけ帰っちゃったんです。部屋に戻って
ふて寝してたら同部屋の人が帰って来て「〇〇
さん泣いてたよ。」って教えてくれました。

ダンスも嫌いです。若い頃、女性に誘われて
ディスコに行ったら、大音量の中で皆が鏡に
向かって盆踊りよりつまんない踊り、ってか
左右にステップ踏んでるだけで、クソ面白く
なかったですよ。そうかと思えば、生演奏が
入ってて、その前に踊り場があるクラブで
「踊ろう!」って言われて、見よう見まねで
ジルバなんか踊っても、恥ずかしいばっかで
ちっとも楽しくなかったですね。カミさんが
「歳とった夫婦がジルバなんか踊ってるの、
素敵。」とか前から言ってて、あるパーティー
に出席した時、中年のカップルが一斉に踊り出
したもんだから、カミさんもここぞとばかりに
「踊ろう!」って言い出したけど、私が頑なに
拒んだもんだから、カミさんお冠になっちゃい
ましたよ。踊りって、祭はガス抜きの馬鹿騒
ぎ、バレエは貴族に身体を見せるもの、ダンス
は体よく男女が触れ合うものと理解してます。

極めつけはプロポーズ。街を歩いてて交差点で
信号待ち。相手の顔も見ずに「結婚しようか?」
言い終わって相手を見たら頷いてくれたって、
それだけですから。今時の女性なら全く相手に
されないでしょうね。

…って訳で、絵に描いたようなお定まりのお楽
しみは、たとえ相手が望んでると解ってても、
応えてあげない冷たい男なんですよね、私は。
そう思っときゃ、間違いないです。

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武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2019年5月19日日曜日

矛盾した思い


私の38年間の演劇生活のうち、31年間は
児童・青少年演劇に取り組んだ人生でした。
特に最後の10年間、営業は苦しかったけど、
プロデュース・原作・作詞・作曲を自分自身が
担当出来た幸せな日々でした。そんなことは、
高校の文化祭でミュージカルを発表して以来
プロとしては初めてのことでした。でも、私は
幸せでも、観てくれた子ども達も皆幸せだった
かどうかは解りません。

子どもの悲惨なニュースを見る度に胸が潰さ
れそうになるけど、じゃあ私に何が出来るのか
と問われれば、返す言葉が見つかりません。
でも、少しでも力になってあげたいって気持ち
になります。当時の私は、劇を観ているほんの
ひと時だけでも、苦しみから逃れて楽しんでほ
しい。出来れば、劇に勇気づけられて強く生き
抜いてほしいと願うばかりでした。

明日が来ることが苦しくて逃げ出したい子が
いるなら、明日が来ることが楽しみになって
ほしい、そんな思いから、原作者としてのペン
ネームを「来栖あすか」としました。
ミュージカル“West Side Story” の
作曲者で“Somewhere”「いつか、どこかに、
どうにかすれば、私達の住むべき場所がある」
と歌う名曲を描いたレナード・バーンステイン
氏にあやかり、作曲者としてのペンネームを
「伴麗奈(バン・レナ)」としました。自慰的
と言われればそれまでですが、苦しみ悲しみの
中にある子ども達のために、演劇を通じて自分
に出来ることをしてあげたかったんです。

7年程前から介護の仕事を始めて、目の前に
観客ではなく利用者さんがいて、私の支援で
暮らしが成り立ち、時には心の交流まで出来る
関係が生まれました。何の役に立っているのか
と問われても、返す言葉が見つかる仕事です。
なのに未だに、悲しい報道を見るにつけ児童・
青少年演劇への思いが募ります。一方は役に
立つかどうか解らない仕事、一方は役に立つと
実感出来る仕事なのに、矛盾してますね…

でも、今の私は自分のことで精一杯。生涯現役
で働きたいとか、クラ吹きたいとか、作曲した
いとか、自分のことばっか考えてるし、目下
一番の心配事は脳の退化。でも、脳は退化して
も、心だけは退化させたくないですね。

Because, that’s my life !

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2019年5月12日日曜日

無邪気に遊ぶ

以前ブログで、砂掘りに興じる少年の話をしま
したが、皆さんは子どもの頃に海水浴でよく
砂掘ったりしませんでした?誰かから促され
る訳でも、儲かる訳でも、褒められる訳でも、
インスタにアップする訳でもないのに、海で
ひと泳ぎして上がって来ると、何故か掘り始め
るんですね。ある程度の深さまで掘ると下から
水が滲み出て来て、中の方がどんどん掘れて、
大きな空洞が出来て、そのうちにごそっと上の
砂が落ちて大きな穴になって、そこにちょこん
と座って1人温泉みたいになって、今度はその
前に堤防を作って波が入らないようにして、
でも潮が満ちて来て最後は波にさらわれて、
お~しまいって、似たようなことしたでしょ?
『無邪気に遊ぶ』ってそういうことだって、私、
ずっと思ってるんですよ。生きてて何が楽しい
かって、時も忘れて遊びに興じるってことが
一番楽しいんじゃないかなってね。玉手箱を
開けずに遊び続ける浦島太郎みたいにね。

でもそれ、大人になると出来なくなって来る
でしょ?特に子育て中は、仕事に家事に大忙し
ですもんね。もっとも、子育て自体が最高の
遊びで、子どもは玩具みたいなもんですけど。
男親は稼ぐってことが大事だから、四六時中
仕事のことばっか考えて、遊びどころじゃない
って感じでしたよ。だから子育てが終わると、
心に隙間風が吹き込んで「自分の人生、これで
いいのか?」って考えちゃう訳ですね。

やはり以前ブログで、あるご高齢の方の話を
したことがありました。私が40歳頃だった
かな、劇団の仕事で地方へ行って〇〇協会の
会長さんにお会いしたら、その方がにっこり
微笑んで「武内君、人間、残り時間が解って
来たら、自分が本当にやりたいことは何かって
考えるもんだよ。」っておっしゃったんですね。
翌年に訪ねて行ったら、その方、お亡くなりに
なってたんです。

あの時の会長さんに比べれば、今の私はまだ
若いと思うけど、でも62ですから、やりたい
ことやれる時間が残り少なくなって来てるし、
いつ何があってもおかしくないですからね、
自分は何が本当にやりたいのか、考えなきゃ
いけませんね。そうですね、やっぱ無邪気に
遊びたいですね。クラ吹いたり、作曲したり、
ブログ書いたり、そういう時間が私にとって
大切な時間なんだけど、他にも何かあるかな?
日々考えてなきゃいけませんね。

高校生に戻ってクラ吹いてから死にたいって
思ってバンドに入ったら、1人で出来ないこと
を皆で協力して、やりたいことやってる素敵な
仲間がいて、ひとつの出会い、ひとつの決断が
人生を豊かにしてくれるんだなって、しみじみ
感じてる今日この頃です。

とりあえず今は、
クラ・アンサンブルの編曲に必死です!

Because, that’s my life !

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2019年5月6日月曜日

新たな目標

今日はいつになく朝寝坊をしました。昨夜
寝たのが午前1時半。演奏会が終わって旧友
や家族と食事をして帰宅。その後もすぐには
眠る気になれなくて、そんな時間になって
しまいました。歳とってからは、前の晩に
多少の夜更かしをしても朝早くに目が覚め
ちゃうんですけど、何でしょう、今朝は目覚め
たら9時でした。休みを取っておいて良かった
です。連休と言えども、介護業界は意識して
休み取っとかないと、休めませんからね…。

昨夜の演奏会、全体的な出来がどうだったのか
解らないけど、自分自身の出来はあまり良く
なかったです。リードミスが3回あったかな?
本番前に4時間も練習したんで、口の筋肉が
疲れちゃいました。口の締まりが悪いとリード
ミスも増えるんですよね。言い訳するつもりは
ないんですが、44年ぶりでただでさえ疲れや
すくリードミスも多いのに、そんな状態だった
んでミスしちゃったんだと思います。他にも、
皆より1小節早く出ちゃったり、楽譜のページ
めくったとたんに頭真っ白になって、どこ吹い
てんのか解かんなくなっちゃったり、ミスが
恐いもんだから、だんだん音が小さくなってっ
ちゃったり、散々でした。お仲間の方が「本番
は稽古の70%ですね。」って言ってましたが、
そう思って稽古では130%の自信つけとかな
きゃいけませんね。歳とると記憶力だけでな
く、集中力や反射神経も落ちて来ますしね。
でも、私は今回の演奏会に間に合うと思って
なかったのに、指揮者の方が「間に合うよ。」
って言ってくれたお陰で出る気になれたんで、
出られただけで満足しなきゃいけないのかも
知れません。ただ、皆さんにはご迷惑かけ
ちゃったので、来年はきっと、もっと貢献出来る
ような演奏をしたいと思います!

今回の演奏会では、ベース、ピアノ、ハープ、
マリンバ、ドラムセットなどが入って、多彩な
表現が出来たのも大きな楽しみでした。これは
学生時代にも経験したことがなかったので、
嬉しかったです。そういうお膳立てをしてくれ
た主催者の方に感謝です。また今更ですが、
管弦楽にないサックスの活躍が吹奏楽の特徴
なので、サックスが甘く奏でるスローな曲は
聴衆みたいに聴き入ったりもしてましたよ。

私のいるクラパートは、皆さん上手で、熱心で、
仲良しで、12月にアンサンブル・コンサート
を予定してるんですって。私も誘って頂いたん
ですが、他にもやりたいことがあるので迷って
たら、自分が描いた曲でもいいって言って下さ
ったんで、参加させて頂くことにしました。
実は既に先週から、オーケストラの曲をクラ
アンサンブル用にアレンジし始めてます。演奏
会終わる前に次の目標に向かって動き始めて
たって訳です。なんて幸せなことでしょう!

私がやりたい他のことってのは作曲なので、
今後は私の曲を生で演奏して頂き、観客に
伝えて頂けるのなら、とてもやり甲斐があると
思っています。

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2019年5月5日日曜日

浦島太郎

ヘルパーになりたての頃、ある会社に
「歳をとることは悲しいこと
長生きすることは
その悲しみに耐えること」
って書かれた色紙が掛けてあって「介護の会社
らしいな…」って思ったものですが、今では
その言葉を実感し、恐れてる自分がいます。

恐いのは身体より脳の衰え。記憶力が衰えてる
ので、毎朝チャリ漕ぎながら脳トレしてます。
仕事の予定や利用者さんの名前を覚えてれば
「まだ自分は大丈夫だ。」って少し安心します。
状況に応じて迅速適切に対応するケアマネの
仕事は記憶力が命。仕事量が多い上に複数案件
が同時進行し、頭がごちゃごちゃになります。
ストレスで鬱になったり、自分には向かないと
ヘルパーに戻っちゃう人もいます。

40肩、50肩なんてのがあって「お前はもう
若くない。」って言われたような気がするもん
ですが、人間って、そんな風に段階的に老化の
お知らせが来るんですかね。そう考えると、
60歳定年ってのは理に適ってるのかも知れ
ませんよ。私、60頃から自信失い始めました
から。ケアマネ受験も、もっと楽勝出来たはず、
頑張った割には点が取れなかったって思いが
強かったです。受験前は、サービス提供責任者
をもう何年か続けて、ケアマネの部署に空席が
出来たら移らせてもらおうなんて悠長に考え
てたけど、受験後は考えが一変しましたよ。
新しい仕事を覚えるなら待ったなし!会社を
移籍してでも強行突破すると決断したんです。
結果としてそれは大正解でした。

老いを受け入れちゃえば、気楽になれるんです
かね?まだ入口に入ったばっかで、悪あがき
してんのかな、私は?玉手箱を開けたばかりの
浦島太郎?忘れっぽくても、ミスが多くても、
辛抱して生きて行かなきゃいけないのかな?

今夜は杉並公会堂で演奏会。私にとって創作
活動の原点とも言える場所に、長い旅路の果て
に舞い戻った浦島太郎みたいなもんです。
吹けるようになるまでに半年かかっちゃったけ
ど、それが目標だったからそれで良しかな?
でも、もし若年性アルツハイマーになったら
来年の舞台には立てないかも知れないので、
これが最初で最後だと思って演奏に集中した
いです。非日常を大いに楽しんで来ますね!

では、劇場でお逢いしましょう!

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2019年5月1日水曜日