ミュージカルの作曲が予想外に時間がかかった
ので、楽譜ができたナンバーから順にブラバン
と器楽部の合同バンドとか出演者の歌唱とかの
練習を平行してやって行く必要がありました。
演技に関しては演劇部に指導を任せましたが、
オケや歌は私が指導しなきゃなりません。でも
そうすると益々作曲の時間が減り遅れて行く…
3年生になると睡眠不足になり、事業中は机に
突っ伏して寝ちゃって、始めの起立!と終わり
の礼!しか記憶にないなんてことも何度かあり
ました。2学期に入ったら、いよいよ授業に
出る暇さえなくなり、放課後に下校して行く
友達に「お早う!」なんて言いながらすれ
違って登校し、練習をしてました。その結果、
トップで入学した私が、赤点で補習を受ける
ハメに陥りました。
一緒にやってる仲間達の中には私と同じ3年生
もいたので、彼等にはあまり負担をかけられま
せんでした。一番困ったのは出演者のなり手が
なかなか見つからなかったことです。演劇部は
ほんの数人しかいない小さな部だったので、
足りない人材は有志から募るしかありませんで
した。それでも充分な人材が確保できず、仕方
なく私がシャイロックとロレンゾーを二役で
演じることになりました。セリフを覚え、相手
役と一緒に演技の練習もしなきゃなりませんで
した。シャイロックはヴェニスの商人役、
主役です!無茶苦茶です。居直るしかないです。
という訳で、準備は本番ギリギリまでかかり、
ドタバタしながら11月3日が近づいて行った
訳ですが、本番前日になって、本番中に客席が
暗くなるとバンドの演奏者が暗くて譜面が見え
なくなるってことに気づきました。父が宝塚の
オーケストラの楽団員だったので、譜面台に
電気が付いてて明るくなることを思い出したん
です。発表に使う公会堂にオケピットがあった
のか無かったのか知らないけど、客席最前列の
前にオケピットみたくバンドが陣取って演奏
することになってました。私はすぐにブラバン
の後輩に連絡を取り、電池と豆電球を人数分
買って、譜面台に付けられるようにしてほしい
と頼みました。後輩達はそんな無茶な要求に
見事に応えてくれました。
そうして、ほぼ丸1年かけて創作した1時間
40分のミュージカルを発表することができ
ました。2年前、発表から50年後の節目の
年に、歌なし、演技なしで演奏と字幕だけの
動画をYouTubeにアップしました。もちろん
当時の録音ではなく、ソフトシンセで創った
音です。当時書いたスコアは捨ててはいない
けど、どっかにしまい込んじゃってて見つから
ないので、記憶を辿りながら新しいアレンジも
加えて創りました。
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名も無き親爺が人生を語る
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武内利之の「ザッツ・ライフ」