2026年9月12日土曜日

永遠の恋人Part4 転機

音楽を放り投げて真っ先にしたことが、ブラバ

ンに入部することでした。それまでは、放課後

になると音楽準備室でクラの自主練をしてたけ

ど、隣の音楽室ではブラバンの部員達が練習し

てたので、気にはなってたんです。中学の頃に

3年間ブラバンをやってたので、合奏の楽しさ

は体が知ってましたからね。


一方、Aちゃんとの交際は順調に進み、私の

妹まで彼女の家に遊びに行ってしまうほど

親密な仲になって行きました。ブラバンと

彼女という最強アイテムを2つも手にした

私は、幸せの絶頂だったかも知れません。


高2になると、進路のことを考え始めました。

音楽を放り投げたはいいけど、それに代わる

目標が何もなかったんです。何しろ幼少の頃

から芸事ばかりやって来たんですからね。

学校の成績は、理数系より文科系の方が良く、

中でも英語が安定して高評価を得ていて、自分

も学ぶのが好きでした。なので、大学の英文科

に入って、英語力を活かした職業につくと決め、

高校の近くの学習塾に通い始めました。


ところが高2の秋に、ちょっとした出来事が

ありました。私の通ってた高校では、毎年

11月3日に公会堂を借り切って文化祭を

してて、部活単位でも、クラス単位でもいい

から、名乗りを上げれば20分の出演機会を

与えられたんです。その頃の私は、ウェスト

サイドストーリーとか、屋根の上のバイオリン

弾きとか、アメリカのミュージカル映画に

はまってて、サウンドトラックのLPを買って

擦り切れるほど聞いて、映画館で上映される

度に観に行ってました。そんな私はクラスメイ

トに声をかけ、ウェストサイドストーリーの

1シーンを20分で発表することにしました。

私は裏方に徹し出演しないことにしましたが、

本番直前になって主役のトニー役をやることに

なってた男子が尻込みして辞退、仕方なく私が

トニー役をすることになりました。


場面は「体育館でのダンス」有名な「マンボ」

を踊った後にトニーとマリアが出会い「マリア」

の変奏曲で時折指を鳴らしながら静かに踊る場

面でした。マリア役を演じたのは学年1の美女

で、私に気があると噂されてた人でした。裏方

に徹しようと思ったのは実はそんな気まずさが

あったからなんです。でも結局、相手役をする

ことになり、最後にキスする寸前でカット

アウトって感じの出し物でした。稽古の時、

最後のキスシーンで私が彼女に顔を近づけると、

彼女の顔が真っ赤になったのを昨日のことの

ように覚えています。でも、私にはAちゃん

がいたし、その美女には全く関心がありませ

んでした。私はあの頃から、人間的な魅力を

感じないと女性に興味を持てなかったようです。


文化祭を終え、気心の知れた仲間と話し合い、

来年は本格的なオリジナルミュージカルを発表

しようってことになりました。


Because, that’s my life !


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年9月5日土曜日

永遠の恋人Part3 初恋

高校1年生の夏休み前、私は同学年の女子、

Aちゃんに夢中になりました。そして夏休みに、

彼女の家に押しかけて交際を迫りました。

一度目は断られ、二度目も断られ、三度目に

ようやくお付き合いの承諾を得ることができ

ました。話したこともない人からいきなり

交際を申し込まれるんですから、Aちゃんは

さぞ面食らったことでしょう。その頃の私には

それがいかに非常識で、相手が受け入れられな

い行いであるかなどと考えることができません

でした。


初恋の定義は難しいけど、私にとって

初恋と言えるのは、おそらくあの頃の経験

だったと思います。


同学年だけどクラスは別で、話すらしたこと

のないAちゃんのどこに、私は惹かれたのか…。

彼女には悪いけど、特別美人だった訳でも、

スタイルが良かった訳でも、秀でた才能が

あった訳でもないのに。私は今でもはっきり

覚えてます。彼女が誰かと廊下で立ち話を

してるところを何度も見ました。彼女が相手

にまっすぐに向き合い、しっかり相手を見つ

めて話をする姿に誠意と優しさを感じ、

とても魅力的に映ったんです。


けれども私は、芸大目指してレッスンと勉強に

明け暮れる毎日だったので、彼女と共有できる

時間なんてありませんでした。なので初めの

頃は、学校の帰りにバス停まで一緒に歩くだけ

のお付き合いでした。彼女はバスを乗り継いで

帰宅しますが、私の家は学校から徒歩で帰れる

距離でした。だから、バス停まで送り届けて

バイバイする訳です。でも、レッスンがだん

だん苦しくなり、彼女と過ごす時間がだんだん

楽しくなって行くにつれ、私は彼女と一緒に

バスに乗り、彼女の家まで行くようになって

いました。彼女の部屋で一緒に勉強をして、

夕飯をごちそうになって、バスを乗り継いで

帰ったものです。


そして、忘れもしない11月17日。彼女の家

からバス停に向かう途中、彼女は「寒い…。」

と言って私に手を差し出しました。たいして

寒くもないのにそんなこと言われて、私は一瞬

頭が真っ白になりました。でもすぐに、本能的

に彼女の手を握りました。それが生まれて初め

て、フォークダンス以外で女性と手を握る経験

でした。そしてバス停にバスが来た時に、今度

は私の方から彼女を引き寄せキスをしました。

それが生まれて初めてのキスの経験でした。


Because, that’s my life !


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年8月29日土曜日

永遠の恋人Part2 芸大

芸大に入るには音楽の才能だけではダメで、

学校の内申も高くなければダメだと芸大OB

の先生から言われ、音楽のレッスンを受けな

がらでも内申が取れるようにと、高校進学は

都立普通科で最低ランクの学校にトップで入り

ました。その高校にはブラバンがあったけど、

私はクラブに入らず、音楽専科の先生のご好意

で、昼休みと放課後に音楽室の準備室にお邪魔

してクラの自主練習をさせて頂きました。私は

都営アパートに住んでたので、家に帰ってから

夜にクラを吹くことができなかったからです。

家に帰ってからピアノを弱音ペダルにして練習

して、最後に高校の勉強をしました。毎日毎日

その繰り返しでした。


そんな生活が始まって7ヵ月目に母の事件が

起こり、私は音楽を放り投げました。母のこと

でショックを受けたことは事実だけど、それは

音楽を止める理由にはなりません。人生で初め

て味わった劣等感と、受からないかもしれない

という不安と戦いながら練習と勉強に明け暮れ

る日々、それも遊び盛りの高校1年生…。母の

事件は不安とストレスから開放されるための

良い口実になったんだと思います。当時、私は

父親や芸大OBの先生方にレッスンを止める

理由について、こう説明しました。


「これからは、楽しむために音楽をやりたい。」


Because, that’s my life !


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年8月22日土曜日

永遠の恋人Part1 芸事

もうすぐ私は70歳になります。いよいよ

残りの人生が少なくなり、なんだか最近、

過去を振り返って色々考えたりすることが

多くなりました。仕事のこと、趣味のこと、

恋愛のこと、そして節目節目で自分が下した

決断について…


私は保育園児の時から小学校6年生まで、

学芸会で毎年主役を演じて来ました。親が

役者だった訳じゃないし、自分が児童劇団に

所属していた訳でもないのに、何故かその時々

の担任の先生が私を主役に抜擢したんです。


私が4年生の時に父は、私に日舞を習わせま

した。5年生になって私が「踊りより音楽が

好き。」というと、あっさり日舞を止めさせ、

ピアノを習わせてくれました。小学校を卒業し

中学生になる前の春休みに父は私にこう尋ね

ました。


「中学でクラブは何にするんだ?」

「ブラバンかバレーボール」


当時は男女共にバレーボールが世界1位2位を

争うほどの実力で、国民から大人気でした。

けれども父はその晩、同じ楽団のクラ奏者から

舶来のクラをセコハン(セカンドハンド・中古

品の意)で買って来て、私の目の前に黙って

置きました。それが私とクラとの劇的な出会い

でした。当時父は、東京宝塚劇場の専属オーケ

ストラでドラムを叩いていました。


中学校に入学してすぐに吹奏楽部に入部し、

中学校3年生から芸大OBの先生方にご指導

を仰ぎ、クラやソルフェージュのレッスンを

開始しました。目的はただ1つ、東京芸術

大学入学。父はしがない一介のドラマーで

決して裕福とはいえない家庭であったため、

私立の音大という選択肢が存在しないことを

誰から言われなくとも私は理解していました。


高校1年生の12月に、私は音楽を放り投げ

ました。母が外に男を作り家出し、その後

二度にわたり自殺未遂を犯しました。それも

私の中間試験の直前と期末試験の直前、一度目

は真夜中に、二度目は早朝に警察から電話が

あり、父と私は面会に行きました。一方、私は

レッスンで人生初の劣等感に苛まれてました。

英才教育を受けた優秀な学生の中で、自分の

才能のなさを思い知らせれてました。私に

とって楽しいはずの音楽が苦しみに変わって

行きました。


Because, that’s my life !


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年8月15日土曜日

栄光より表現

介護の仲間3人で、来夏にリベルタンゴを吹く

って決めてるんだけど、夢はどんどん膨らみ、

その次の曲はこれがいいか、あれがいいかと

ついつい考えちゃうんです。


で、思いついたのが、ショスタコーヴィッチの

ワルツNo2

浅田真央ちゃんも演技に使ってました。


真央ちゃんの懐かしい動画を観てて、思い出し

たことがあります。2010年2月に行われた

バンクーバー五輪で、惜しくも金メダルを逃し

た時のことです。


真央ちゃんは、トリプルルッツの踏み切りを

アウトエッジにしなければならないのに、イン

サイドエッジになってしまうという弱点があり

ました。そのため、見栄え加点が伸び悩んだん

です。一方、ライバルのキムヨナ選手はオー

サーコーチと共に「加点の取れる演技」を

徹底的に追求していました。そのため、真央

ちゃんはフリープログラムでトリプルアクセル

を2回飛ぶという決断をしました。しかし、

あの大会は踏み切りの厳格化や、見栄え加点の

重要性が一気に高まった大会でもありました。


また、真央ちゃんが選んだ曲はショートが

ハチャトリアンの「仮面舞踏会」フリーが

ラフマニノフの「鐘」…どちらも実に地味な

曲です。一方キムヨナ選手はショートが007、

フリーがガーシュインのピアノ協奏曲。真央

ちゃんのコーチだったタラソワコーチは、

金メダルを狙うなら、トリプルアクセルや

曲目へのこだわりを「変えなくていいの?」

と尋ねたそうだけど、真央ちゃんは変えな

かったですよね。


私は、そんな真央ちゃんが好きなんですよね。

金メダルは欲しいに決まってる。でも彼女が

選んだのは、栄光より表現だったんじゃない

かなって思うんですよ。


自分らしい表現を追い求め、完成させたい!

そして観衆を魅了し、感動を与えたい!

栄光より表現を選んだんですよね。


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年8月8日土曜日

松井秀喜 語録

元NYヤンキースの松井秀喜氏が

座右の銘として大切にしてきた


「努力できることが才能である」


という言葉は、小学校3年生の時に

父親から毛筆で書いた額を贈られて以来、

彼の心を支え続けた信念だったって話は

だいぶ前のブログでお話しましたが、

先日、もう1つ素敵な言葉と出会いましたよ。


「生きる力とは、成功を続ける力ではなく、

 失敗や困難を乗り越える力だと考えます。」


彼の著書『不動心』の冒頭に書かれた言葉です。

順風満帆な時だけでなく、逆境に直面した際の

心の持ち様こそが大切であると伝えて下さって

いるような気がします。


この松井氏の2つの言葉に流れているものは、

「自分には努力が必要だ。」という自覚と

彼自身が失敗や困難に直面して乗り越えて来た

という事実ではないでしょうか。


甲子園での4打席連続敬遠

長島監督自らドラフトで引き当てる

読売巨人軍~NYヤンキース

ワールドシリーズMVP

長島氏と共に国民栄誉賞受賞


こうした輝かしい経歴からは

想像もつかないような

地味で謙虚な2つの言葉

雲の上の人の言葉でありながら

私のような凡人でも共感し、見習い、

勇気づけてもらえる言葉です。


私のモットー

「人生は

 思い通りにならないから面白い。」にも

通ずるものがあるような気がします。


Because, that’s my life !


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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2026年8月1日土曜日

憧れの先輩

 私のケアマネージャーとしての大先輩で

かつての上司、横山奈美さんをご紹介します。

数年前まで同じ会社に勤めてましたが、

今は独立されて、

のびのびと事業を展開されています。


台湾のご出身であるにもかかわらず、

見事ケアマネ試験に合格され、

事業所の管理者にまでなられ、そして起業。

まさにスーパーウーマン!


いつもにこやかで温厚なお人柄。

でありながら、芯が強く実行力抜群!

私にとって憧れの先輩です。




















横山さんは、私の上司である頃から、

私が介護の仕事だけでなく音楽を愛好し、

私流の人生を歩んでいることを評価して

下さってました。

先日、ある会議で再開し、こんなチラシを

頂きました。今後、1人のケアマネージャーの

生き方として私を紹介して下さるとのこと。


こんな私が少しでもお役に立てるなら、

大変に光栄です。


Because, that’s my life !


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