気の合う仲間の中に演劇部の人がいて、彼が
「ベニスの商人」をやろうと言い出しました。
シェークスピアの有名な戯曲です。「エッ!?」
って感じだったけど、代替案がある訳でもない
ので「よし、やろう!」ってことになりました。
ただし、ミュージカル用に話を短くし、更に
歌のナンバーを入れて歌詞を書かなければなり
ませんでした。ところが、「やろう!」とか
言って盛り上がってた人達の中の誰1人として
「俺が書くよ。」って言ってくれる人はいませ
んでした。仕方なく私が脚本を書くことになり、
11月3日の文化祭を終えた直後から、その年
の年末までかけて脚本を書き上げました。
話は短くできても、歌が何曲も入るので、結局
1時間40分程度の上演時間が必要な大作に
なっちゃいました。そこで考えたのが5団体
合同。演劇部、器楽部、ブラスバンド部、
ダンス部、そしてもう1団体の20分ずつを
合わせれば1時間40分になるじゃないかと…
年明けから、私は作曲を始めることになります。
作らねばならない曲は歌とBGMを合わせると
30曲近くありました。8月末までに書き上げ
9月から音と演技を合わせて練習できるように
するには、1週間に1曲のペースで書き上げな
きゃならない。しかも作曲だけじゃないんです。
下はチューバから上はピッコロまで編曲もしな
きゃならない。当時はPCなんてないから、
コピペなんてできません。一発でパート譜を
プリントアウトできる訳でもありません。
全部手作業です。それを学校に通いながらやろ
うって言うんだから、無茶な話です。
でも私は、ある重大な決心をしてました。
進路を大学でなく、演劇学校に替えたんです。
だから人生を賭けて、大学受験と同じ熱量で
ミュージカル創作に取り組むつもりでした。
脚本執筆を始めたことで、Aちゃんと共有する
時間は極端に減りました。その上、年明けから
作曲・編曲にとりかかるとなると、Aちゃんと
会える機会は絶望的になくなることが予想され
ました。私は年末にAちゃんに会い、別離を
告げました。ほとんど会えなくなったら悲しま
せるだけ。それなのに自分の彼女のままにして
縛っておいては、Aちゃんが可哀想って思った
からです。自分の今後について淡々と説明し、
理解を得ました。
彼女はしばらく黙ってうつむいてたけど、
涙を見せずにこう言ってくれました。
「それでウッチョが頑張れるなら、
私も嬉しい。」
1年4ヶ月かけてBまで行った初恋は
終わりました。2人は互いにすぐには
立ち去れず、公園で抱き合っていました。
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武内利之の「ザッツ・ライフ」