2019年1月27日日曜日

春一番が吹く前に

去年あたりから、真冬に白バラが
玄関前のアーチに
咲くようになっちゃったんですよ。
年々、数が増えてます。

12月にカミさんと一緒に
剪定・誘引するのが恒例だったんですが、
去年から年を越すようになりました。

今でもいっぱい咲いてます。
まごまごしてると春一番が吹きますからね。
もういい加減やっとかないとね。
今日は1日、バラデーになりそうです。
夜はバンドの練習です。

もともとカミさんが趣味で始めたことなんで
私はお手伝いなんですが、
どんどん規模が大きくなって、
お手伝いなんて
気楽なもんじゃなくなって来ましたよ。

でも、
5月になると綺麗に咲いてくれるので
楽しみは楽しみなんですけどね。

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武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2019年1月20日日曜日

バンドデビュー

忘れ得ぬ人生の1コマ…
なんて感動的なシーンを予感してましたが、
そんな悠長なこと言ってられなかったです。
行ったらすぐにクラの列に座って演奏に加わる
ことになりました。それも、難しい曲ばかり!
特に難しかったのは、戦前戦後を通じて活躍した
ロシアの作曲家、ショスタコービッチ氏の
Festive Overture(祝典序曲)という曲でした。


https://www.youtube.com/watch?v=eyPzJxuwEAU

44年ぶりにクラを持って、5週間で何とか
音が出るようになっただけなのに、いきなり
初見でこれを吹けって言われても、無理!
芸大目指してた頃なら、意地でも吹いたかも
知れないけど…。


私は学生時代に、自分より上手いと思う人に
滅多に出会わなかったけれど、周りで吹いてた
クラの人たちは全員、私より上手かった!
上手い人の中で演奏するって、こんなに気持ち
のいいことなのかと、始めて知りましたよ!

私がクラを吹いてた中学~高校生6年間で、
自分より良い音を出してるなって思った人、
自分よりテクニックがあるなって思った人、
2人だけいたんです。


中2で初めて入ったスポーツ少年団音楽隊。
都内の優秀な中高生を集めて結成された
親方日の丸の楽団ですが、ちょいとコネが
あって入れてもらえたんですね。そこで、
ファーストクラのトップだった高校3年生
の方が、私にはプロの演奏家にしか見えません
でした。まるで別世界の人で、憧れでした!
「クラって、こういう音なんだ…。」って
目が点になり、その方が在籍してた半年間は
ずっとその方を目標にしてました。サードクラの
一番左端の席から始まって、徐々に席が右に
移ってその人に近づいて行くのが嬉しかった
ものです。私は高校1年生の時、その方が座って
いた一番右端の席に座るようになりました。


都立高校の合同音楽会ってのが毎年恒例で
行われていて、同じ学校群の高校から有志が
集められて結構難しい曲に挑戦したりする
んですが、2年生の時だったかな?私は
ファーストクラの一番右端に座り、私の隣に
座った他校の女子が、音もテクニックも私より
優れてると思い、びっくりしました!私は高1
まで芸大を目指してレッスンしてましたし、
楽器もクランポンという最高のメーカーの楽器
を使ってましたが、上には上がいるものだと
思い知らされましたよ。でも、何故か右端に
座ってしまっていたので、その子に負けないよう
必死に吹いたのを覚えています。


楽団の主催者であり指揮者である後輩は私に、
5月の定期演奏会に出たらいいと言ってくれ
ました。嬉しさと不安とが入り混じった複雑な
気持ちで「間に合うかな?」って言ったら、
優しく微笑んで「間に合うよ。」って言って
くれました。


44年間のブランクを克服して
人様に聞いて頂ける水準になるためには、
人の2倍3倍努力しなければなりませんね。

頑張りますよ!

Because, that’s my life !

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2019年1月13日日曜日

忘れ得ぬ1コマ

クラリネットの練習を始めて、
早5週間が経ちました。
最初の2週間は苦労しました。
なかなか良い音が出てくれず、
リードミスも無くならず、
ブレスも続かず、指も舌も動かず、
唇周辺の筋肉もすぐに疲れてしまい
すぐに息漏れする始末…。

3週目に入ってから、2日吹いたら1日休みを
入れるようにしてみました。そして、
リードを色々変えてみたり
キーの押さえ方を工夫してみたり、
マウスピースのくわえ方を工夫してみたりして
試行錯誤しているうちに唇も固まって来ました。
最初のうちは30分でクタクタだったのが、
2時間も吹いていられるようになりました。

練習開始から3週間経った12月29日に、
私はメールで後輩に
「来年からバンドに参加させてほしい。」と
お願いしました。後輩は快諾してくれました。
3週間でこれくらいになれるなら、
もう2~3週間やれば、結構行けるかも
っていう自信めいたものが出てきたんです。
今では、
「心が鳴らない時は楽器が鳴ってくれるさ…」
なんて、自分の心を癒やしてくれる存在として
クラを感じられるようになりました。
もちろん、高校生当時には遠く及ばない
水準ですが、バンドに加わって練習すれば
おそらく半年と絶たずに当時の水準にまで
戻るんじゃないかと期待しています。

と言う訳で明日の夜、
バンドデビューします!
きっと、忘れ得ぬ人生の1コマを
体験することになるでしょう!!

Because, that’s my life !

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2019年1月6日日曜日

自分のコーチは自分

元旦に、テレビで良い番組を観ましたよ。
ランディー・ジョンソンさんが、日本の中学生に
野球を教える「奇跡のレッスン」っていう番組
でした。ランディー・ジョンソンさんと言えば、

1988~2009年までの22年間
MLBで活躍し、303勝166敗、
奪三振4875、サイ・ヤング賞 5回
投手三冠 1回、最多勝利 1回
最優秀防御率 4回、最多奪三振 9回
ワールドシリーズMVP 1回
MLBオールスターゲーム選出 10回
完全試合 1回、ノーヒッター 1回
という輝かしい記録を残しました。

彼は、中学生ピッチャー1人1人の悩みを聞き、
それぞれに合った的確なアドバイスをしました。
すぐに結果が出る子、出ない子がいたけど、
すぐに結果が出なくても焦らなくていいって
言ったんです。その代り、キャッチボールや
守備練習、ランニングなどの基本的な練習も、
試合だと思って集中力を持って望めと叱咤し、

「良い時も悪い時もあるのがピッチングだ。
 勝敗はピッチャーにかかっているから
 責任重大。でも一番大事なのは、楽しんで
 投げること。」

「初めの5年間、私はコントロールが悪くて
 フォアボールが多かった。ノーラン・ライアン
 投手に助言を求めたら『前足を踵でなく
 拇指球から着地させたらいい』と教わり、
 その通りにしたらフォアボールが半分になり
 球威も増した。」

「私は現役生活が終わるまで、常に自分がもっと
 良くなるように努力を続けた。
 練習、練習、練習、練習、試合
 練習、練習、練習、練習、試合
 その繰り返しだった。」

と、自分の体験を語って聞かせました。そして
彼らに教えるべきことを教えた後は具体的な
アドバイスをせず、「修正だ。」とだけ言って、
出来るまでやらせ、良くなると「いいぞ!」と
言って褒めてあげました。自分で考え、自分で
修正することの大切さを伝えたんです。

「自分のコーチは自分だ。」

それがプロのアスリートの哲学なんでしょう。
私は、クラ・手話・ケアマネの技能を高めるべく
ストイックに生きると決めました。常に実践の
緊張感を持って、練習、練習、練習、練習、実践
を繰り返し、自分の力で自分の技能を高めて
行きたいと心を新たにしました。

今年はストイック宣言のつもりで初詣しようと
思ってましたが、結局三ヶ日はずっと家にいて、
思う存分したいことをしました。正月早々、
初詣よりずっと有り難いテレビ番組と出会い、
ストイック生活のスタートを切れて
本当に良かったです!

Because, that’s my life !

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