2016年5月30日月曜日

懐かしのCMソング

私が物心ついた3歳頃には、既に我が家にテレビが
ありました。言わば私はテレビ世代と言っても
いいと思います。面白い番組がいっぱいあって、
以前ブログでもご紹介しましたが、
CMにも思い出に残るものがたくさんあります。
今日はそれらの中から、CMソングとして
耳に残っているものを、幾つかご紹介しますね。

渡辺のジュースの素
https://www.youtube.com/watch?v=JIK2l6BVP48

ミツワ石鹸
https://www.youtube.com/watch?v=zKosG1gBYOI

明星即席ラーメン
https://www.youtube.com/watch?v=q7A63COuNqM

レナウン
https://www.youtube.com/watch?v=Kk1gX1qxmJU

明治チョコレート
https://www.youtube.com/watch?v=MMFc8_XrJQQ

マーブルチョコレート
https://www.youtube.com/watch?v=VwNxlZfrGE0

コカ・コーラ
https://www.youtube.com/watch?v=fdiwgEdtrDk

マンダム
https://www.youtube.com/watch?v=Nabxi5DGmvg

サントリー・オールド
https://www.youtube.com/watch?v=Ys34eq34gpg

エメロン
https://www.youtube.com/watch?v=94gJ5jjnDxI

カネボウ
https://www.youtube.com/watch?v=TEX1_4q3tB4&spfreload=10

黄桜
https://www.youtube.com/watch?v=WewoKYuPKQs

ミユキ
https://www.youtube.com/watch?v=uCYgLJvyy2g

オリエンタル・カレー
https://www.youtube.com/watch?v=REePef_6rWI

牛乳石鹸
https://www.youtube.com/watch?v=HnQoZRou8wM

ナショナル
https://www.youtube.com/watch?v=LA1-W-HdnGE

ハトヤ
https://www.youtube.com/watch?v=t_t3O863qfQ

文明堂
https://www.youtube.com/watch?v=l1JhXGA_HrA

近頃では、テレビは一家に1台ではなく
1人1台が珍しくありませんし、テレビでなく
PCやワンセグで見るという若者もいますね。
今や死語となった『チャンネル争い』も
家族のコミュニケーション形成のためには
必要だったのかも知れません。

私も今は、ブルーレイ・レコーダーで番組を録画
してから、見たい部分だけを見る、場合によっては
早回しで、という具合です。メディアにコピーする
時は、見たいところだけ編集してコピーしますが、
CMも残しておけば、本当は後々懐かしく
見られるんでしょうね。

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武内利之の「ザッツ・ライフ」毎週月曜日の朝に更新

2016年5月23日月曜日

壁の前で

「壁というのは、できる人にしかやってこない。
 超えられる可能性がある人にしかやってこない。
 だから、壁がある時は
 チャンスだと思っている。」
世界のイチローの言葉です。いかにも、次々と
記録を塗り替えた一流選手の言葉らしいですね。

しかし、この言葉には
多少の翻訳が必要かも知れません。
「壁というものは、
 それを乗り越えたいと思った時に
 初めて壁となるのであって
 そう思わない者にとっては
 壁でも何でもない。」
と言い換えることも出来そうな気がします。

イチロー選手の言葉は上昇志向の強い人にとって
当たり前のこと。しかし世の中は、そういう人
ばかりではない。全く違った世界観・人生観を
持った人はたくさんいるし、いくら上昇したいと
望んでも、叶わぬ人もたくさんいます。
そこで、壁の乗り越え方について
ちょっと考えてみるのも
悪くないんじゃないでしょうか?

『壁』と言うと、すぐに『乗り越える』
と来ますが、それは何故でしょう。
壁の向こう側に進化した自分がいる、
という前提の話な訳ですね。
つまり『乗り越える』という行為は
『進化』のプロセスな訳です。
ならば、進化ではなく、変貌、または異化する
ことを目指したら?『乗り越える』という行為に
意味がなくなれば『壁』も存在しなくなります。

『ヒットを打つ』ということにのみ固執するなら
その壁を乗り越えた者だけが勝者となり、
乗り越えられない者は敗者となる訳ですが、
『野球で飯を食う』というように範囲を
広げれば、監督・コーチ・トレーナー・審判・
スカウト・GM…、可能性は格段に広がります。
更に範囲を広げて『野球を愛する』自分であろう
とするならば、実業団でプレーするも良し、
草野球に興じるも良し、単なるファンとして野球を
観戦して楽しむも良し…。ということになります。

ドン・キホーテのように、たとえそれが見果てぬ夢
であろうと、他人が何と言おうと、挑戦し続ける
ことは自由です。でも、叶わぬ夢を追うより、
叶う現実を追いたいと願うなら、ちょっと方向性を
変えてみるのも有効ではないでしょうか?

私は4年前の春、長年歩んで来た演劇の道で食べて
行くことが出来そうにないと悟った時、出張先で
鬱の一歩手前になりました。かろうじて昼の営業
には出かけて行くものの、ホテルにいる時は、排泄
以外は食事も入浴もせず、ベッドに横たわったまま
何もする気になれなくなってしまいました。
毎日毎日「死んだら楽になれるかな…。」などと
考えている自分がいました。でも、旧友の
「介護の世界なら感動するほど仕事があるよ。」
の一言に救われました。目の前の壁には目もくれず、
別の方向を見据えたんです。その夏にヘルパーの
資格を取り、第二の人生を歩み始めました。
今は、方向を変えたことを後悔するどころか、
もっと早く変えるべきだったと思っています。

ただし、人生は筋書きのないドラマ、
この先また、壁に突き当たるかもしれません。
が、その時はその時、何とかしましょう。

Because, that’s my life !

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2016年5月19日木曜日

ラ・マンチャの男 Part2

『意志ある所に道あり』という言葉がある一方で、
私達の思い通りにはならない『現実』というものも
あります。いくら世の中に腹が立っても、失意の底
から這い上がりたいと望んでも、現実という高い壁
に阻まれた時、私達は成す術を失います。
そもそも人は、生まれて来たことと死に行くことは、
逃れられない現実です。しかし、たとえそうだと
解っていても、人は夢を見、前へ進もうとします。

先日のブログで私は『やじろべい』という考え方を
お伝えしました。そして今後の私の人生には
『不満足』であることが重要かも知れないと
書きました。それは、この作品の主人公が老人で
あることと無関係ではないのかも知れません。

【あらすじ(つづき)】

ドン・キホーテは城主(宿の主人)に騎士の叙位を
願い出る。城主は彼に『悲しい顔の騎士』という
名を与える。(悲しい顔の騎士)
https://www.youtube.com/watch?v=ojdsQ5bhCeU

明け方にアルドンザは宿泊していた荒くれ男達に
襲われ、連れ去られる。

獄中の囚人が「夢と現実は違う。なぜ詩人は異常者
が好きだ?人生をありのまま受け入れろ。」と
セルバンテスに言う。セルバンテスは答える。
「私は40年以上、人生を見てきた。苦悩・悲惨・
残酷。神の創りし子の声は路上に溢れる呻き声だ。
兵士も奴隷も経験したが、ある者は戦い、ある者は
鞭で打たれ死んだ。人生をありのまま受け入れた
結果、栄誉も遺言もなく『なぜ死ぬのか?』では
なく『なぜこんな人生を?』と問いながら死んだ。
異常とは何か?それは現実的過ぎること、夢を
持たぬこと。正気でいられることだ。最も異常
なのは、人生をありのまま受け入れることだ。」

荒野で座り込んでいるアルドンザに「私の貴婦人、
ドルシネア。」とドン・キホーテが声をかけると、
アルドンザは歌う。
「あんたの言ってることは妄想と嘘。私は貴婦人
のドルシネアじゃなく、売春婦のアルドンザ。
あんたは私に空を見せてくれたけど、嫌な男の
間を這いまわるだけの女に、それは残酷なだけ。
あんたの優しさは私を絶望に追い込む。暴力や
屈辱ならお返しもできるが、優しさは耐えられ
ない!」(アルドンザ)
https://www.youtube.com/watch?v=uPuu6ROXY2I&index=7&list=PLflNSgl9JucjhXzbV-uNFCa66m6QMDpzn

鏡の騎士が現れ「お前は騎士ではない。」と言う。
憤慨したドン・キホーテは、鏡の騎士に決闘を申し
込む。すると多数の鏡の騎士が彼を囲み、彼の姿を
映し出す。そして「鏡の中の現実をよく見ろ。ただ
の老いぼれた異常者だ。」と彼を追い込む。打ち
のめされ、その場にうずくまるドン・キホーテ。

疲れきった老人アロンソ・キハーナがベッドに
横たわっている。自分はドン・キホーテではなく、
あれは夢だったと思っている。アルドンザが現れ
「あなたと出逢って私の全てが変わった。あなたは
私をドルシネアと呼んでくれた。思い出して!」
と言いドルシネアの歌を口ずさむ。アロンソは言う
「あれは夢ではなかったか?わしは何と言った?」
アルドンザは言う「見果てぬ夢を追い、かなわぬ敵
に挑む。耐え難き悲しみに耐え、勇者も行かぬ地へ
向かう。」アロンソが続く「正せぬ誤りを正し、
清きを遠くから愛す。疲れきった腕で、届かぬ星を
つかむ。」アロンソは再びドン・キホーテとなり
『我はドン・キホーテ』を歌うが、力尽きて倒れる。
セルバンテスと召使は、宗教裁判にかけられるため、
牢獄の階段を登って行く。劇を共に演じた獄中の
囚人達は『見果てぬ夢』の歌を歌って2人を見送る。
https://www.youtube.com/watch?v=sMFOItUlaJE

私はピーター・オトゥ-ルという俳優が大好きです。
尊敬しています。そして、この作品も大好きです。
他人の目には、まるで風車と戦うように不可思議に
見えることでも、大真面目に行うことの出来る
自分でありたいと願って生きてきましたが、
果たしてそうであったか否か、自分には解りません。
出来ることなら最後まで、そんな自分でありたいと
思わずにはいられません。

Because, that’s my life !

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2016年5月16日月曜日

ラ・マンチャの男 Part1

セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をもとに
したミュージカル。1965年にブロードウェイで
初演され、5年6ヵ月のロングランを記録しました。
日本では松本幸四郎さんの主演で1969年から
現在まで、実に46年間上演され続けています。
映画化されたのは1972年で、主演はピーター・
オトゥ-ルさん、ソフィア・ローレンさんでした。

この作品は、セルバンテスが『ドン・キホーテ』を
着想したのがセビリアで入牢している時だった
という事実をもとに描かれています。
(1)セルバンテスと囚人達がいる牢獄の世界
(2)彼らが演じる劇におけるラ・マンチャの
  田舎郷士アロンソ・キハーナの世界
(3)キハーナの「妄想」としてのドン・キホーテの
  世界という三重構造となっています。

【あらすじ】

セルバンテス(P・オトゥール)は、野外演劇で
教会を批判した罪で投獄され、宗教裁判を待つ身
となった。獄中の囚人達は模擬裁判を開き、彼の
所持品を押収しようとした。その中には大切な
「ドン・キホーテ」の原稿もあった。彼はそれを
守るため、芝居の形式で自らを釈明したいと
申し出た。囚人達はそれを許可し、セルバンテスと
彼の召使いはドン・キホーテとサンチョ・パンザに
早変わりし「ラ・マンチャの男」の劇を始めた。

「隠居した田舎紳士アロンソ・キハーナは本ばかり
読んでいるうちに、悪に対する怒りに満ちてきた。
偽りと悪意が真実と混在するこの世を良くする策
を考えに考え、ついに頭が干上がった。そして
武者修行の騎士として旅に出ることを決心した。
もはや彼は悲しき正気の老人ではない。正義の為
に戦う騎士、ラ・マンチャのドン・キホーテだ!」
https://www.youtube.com/watch?v=5Rr8Ep11F1I&list=PLZbXA4lyCtqqDmlh4M2rkBPnzVl_fiXEh
そして歌う。(我はドン・キホーテ)
https://www.youtube.com/watch?v=yEnDOXmyU-o

ドン・キホーテは風車を巨人の化身だと思い込み
戦いを挑むが、敗れる。

荒野の中に安宿があり、そこの女中で売春婦の
アルドンザ(S・ローレン)は言い寄る男達に
「男なんて皆同じ。ベッドを共にすりゃ解ること。
私は金を貰った分だけ与える、それだけのこと。
私は皆嫌い、私自身もね!」と歌う。(皆同じ)
https://www.youtube.com/watch?v=5w7ywCbuXNY

ドン・キホーテは安宿を城だと思い、アルドンザを
処女のドルシネア姫だと思い込む。(ドルシネア)
https://www.youtube.com/watch?v=7-1aCoRqRO4

アロンソの家族は彼の異常を憂いた。結婚を控えた
姪はショックを受け、信心深いメイドは彼が悪魔に
取り憑かれと思った。2人は神父に助言を求めた。
(私は彼を思ってる)
https://www.youtube.com/watch?v=kKQSghkrAds

アルドンザから「何故、彼の従者になったの?」
と聞かれたサンチョはこう答えた。(彼が好き)
https://www.youtube.com/watch?v=1Adqy-FPuVI

宿に立ち寄った床屋が頭に乗せていた商売用の
洗面器を黄金の兜だと思ったドン・キホーテは、
それを奪い自分の頭に乗せた。(マンブリーノの兜)
https://www.youtube.com/watch?v=eQ8iZu-BAVM

その晩、宿に泊まっている男達はアルドンザを
取り囲み歌う。(小鳥よ小鳥)
https://www.youtube.com/watch?v=Qw0h8IwWPs4

アルドンザに「何故こんな馬鹿げたことを?」と
聞かれ「冷たい鉄の世を金にしたい。」と答える
ドン・キホーテ。更に「この世は糞山で私達はウジ
虫さ!」と言われ「これは真の騎士に与えられる
義務であり特権だ。」と答えて歌う。(見果てぬ夢)
https://www.youtube.com/watch?v=US2nyRgg-SY

To be continued

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武内利之の「ザッツ・ライフ」毎週月曜日の朝に更新

2016年5月12日木曜日

九州の思い出 Part2


今から27年前、長崎県雲仙普賢岳で
火砕流が発生しました。

今から19年前、鹿児島県川内市で
震度5強の地震がありました。

今から9年前、宮崎県で
鳥インフルエンザが流行しました。

今から6年前、宮崎県で
口蹄疫(狂牛病)が流行しました。

今から5年前、霧島山で
噴火がありました。

今から3年前、桜島で噴火があり
今年も噴火がありました。

そして今年、熊本で震度7の
地震がありました。

その他にも、大雨による災害などが
頻繁に起き、多くの犠牲を強いられて
きた九州…。

3年前まで私は毎年5回ほど九州へ
出張し、そうした災難が起きる度に、
苦境から立ち上がろうとする
ひたむきな人々を目にしてきました。

九州の皆さん、
どうか逆境に負けず、
明日に向かって
前向きな気持ちで生きて下さいね!

Because, that’s your life !

【お知らせ】

皆様、いつも私のブログを
ご愛読頂き、有難うございます。
私事で恐縮ですが、
私を取り巻く状況が日々変化し
時間のやりくりもままならない
今日この頃となっておりまして、
月・木、週2回の更新が
困難になりつつあります。
勝手を言って申し訳ないのですが、
来週からは原則、月曜日のみの
更新とさせて頂きます。
ただし、ミュージカルを
前編・後編に分けてご紹介する
場合には、月・木と続けて
ご紹介したいと思っています。
さしあたり、来週の月・木に
「ラ・マンチャの男」を
ご紹介するつもりですので
是非、ご期待ください!

2016年5月9日月曜日

介護文学

霞が関のお役人さんは霞ヶ関文学が
お得意だと、もっぱらの噂です。
『目指す』と書いてあれば、それは
『やらない』を意味するとか、
『等』と1文字入っていれば
『何でもあり』になるとか、嘘とは
言えないが人々に幻想を与える言い
回しを、そのように呼ぶのでしょう。
介護の世界にも、霞が関文学ほど
手の込んだものではありませんが、
介護文学と言いたいようなものが
あると、私は感じています。

訪問介護終了後に、自分の行った介護
の内容を記録します。その記録用紙に
『利用者の様子』を書く欄があります。
そこに「お元気でした」とか「いつも
とお変わりなし」と書いてはいけない
と会社から指導されます。会社は行政
から指導されてます。ヘルパーの主観
で書いてはいけないんだそうです。
客観的事実のみを書きなさい、という
指導に従い、特筆すべきことが何も
ない場合には「何もお話にならず、
ずっとテレビをご覧になってました。」
などと書くことになります。

私は想像します。もしご家族(娘さん)
から電話がかかってきて、利用者さん
(お母さん)の様子を聞かれたら…

娘「母は、どんな様子ですか?」
私「何もお話にならず、ずっとテレビ
  をご覧になってました。」
娘「…で?」
私「…は?」
娘「…母は元気なんですか?」
私「…私の主観ではありますが、
  お元気ではないかと…。」
娘「…いつもと変わりないんですね?」
私「これも私の主観ではありますが、
  お変わりないように思われます。」
娘(それなら最初からそう言って!)

サービス提供責任者から
利用者さんの様子を聞かれたら…

責任者「〇〇さんは、どんな様子?」
私  「何もお話にならず、ずっと
    テレビを見てました。」
責任者「…で?」
私  「…は?」
責任者「…元気だった?」
私  「…私の主観ですが、お元気では
    ないかと…。」
責任者「…いつもと変わりない?」
私  「これも私の主観ですが、お変わり
    ないように思われます。」
責任者(それなら最初からそう言って!)

ってなことに、なりはしませんかね?
主観でなく客観的事実のみで利用者
さんの様子を伝えるのは、意外に難しい
ものです。肝心要の元気かどうか、
変わりはないか、それが書けない…。

『食欲旺盛』も『楽しまれました』も
『意欲的に』も、みんな主観です。
「ご飯一膳とおかずを完食。」とか
「50mほど歩かれました。」とか
「時折笑顔がこぼれました。」とか
書けば客観的事実を書いたことになり
ますが、果たして普段と比べてどう
だったかは知るよしもありません。

サービス提供責任者の仕事の1つに
『支援計画書』の作成があり、その中
に短期目標・長期目標を書く欄があり
ます。介護者の支援とご本人の努力に
よって改善が見込まれる方なら
書きようがありますが、悪化すること
はあっても改善は見込めない方の場合
書きにくいものです。私の文章力では
上手い文章は書けそうにありません
ので、諸先輩から学び、介護文学を
マスターせねばと思っています。

名もなきオヤジが人生を語る
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武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。

2016年5月5日木曜日

自由人と我慢人

私と同居している高齢者は
認知症に片足突っ込んだような
危うい所にいる86歳の女性ですが、
つい先日まで暖房入れてたかと
思ったら、もう冷房入れたんですって。

天気予報を信じて着るもの選んだり
エアコンをつけたりする人は、
自分の感覚だけでなく、情報も
加味して判断するでしょう。
「暖かいはず、涼しいはず、
電気代かけずに済むはず。」と。

去年の今頃、彼女は
5月5日まで柏餅を待ちきれなくて
4日に買って来て食べちゃって
5日には買わなかったけど、6日に
「やっぱり食べたくなった。」と言って
買って来て食べてました。
「柏餅は5月5日に食べるもの。」
という固定観念に縛られている人は
「食べたい。」という自分の欲求に
関係なく5日に食べるんですよね。
そうでないと気が済まない訳です。
 4日や6日に食べる『自分』は
受け入れられない訳です。

私の勝手な想像ですが、こういう
固定観念にとらわれがちなのは、
女性より男性、子どもや高齢者より
その間の人達じゃないでしょうか?
「茨の道を生き抜く為には
勝手気ままじゃダメさ!」って
気ぃ張って生きてる人ね。
我慢が美徳になっちゃうんですよね。

そういう我慢から開放されて
勝手気ままに生きられるのが
認知症の方々ですね。一瞬一瞬を
本能のままに生きてる自由人ですよ。
我慢なんて言葉は辞書にない訳です。

ですから
我慢人と自由人の相互理解を深める
ことは、なかなか難しいんですね。
相手に合わせることも
合わさせることも難しい訳ですよ、
お互いに…。

介護ヘルパーはストレスの多い仕事だ
なんて囁かれるのも、そういう
ギャップに対応できないからかも
知れません。施設での介護職員による
虐待が後を絶たないのも、個々の
我儘につき合わされる職員の苛立ち
が原因の一つかも知れません。
家庭内での虐待で圧倒的に多いのは
実の息子さんによるものだそうです。

実は自由人こそ人間の自然な姿で
あって、我慢人は無理して生きてる
んだという認識を持てば、いろんな
摩擦が解消するのかも知れませんね。
でも私達は、
大人になる=世間の常識を知る
って思い込まされてますから
なかなか難しいかも知れませんね。

今年は4日までも待てず
3日に食べてました。昨日は
食べてませんでしたが、果たして
今日はどうなるでしょうか?

皆さんも試しに
5日に柏餅を食べると決めずに
生きてみますか?

武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。

2016年5月2日月曜日

私のぶんまで

昨日、後輩が主催する吹奏楽団の
演奏会へ行ってきました。
その後輩とは昨年1月14日の
ブログ『いかした奴』でご紹介した
いかした奴です。フルート奏者であり
指揮者であり、団長さんです。
彼と、もう一人、私の2年下の後輩が
在籍してますが、あるいは、私の
知らないもっと年下の後輩が参加
してるのかも知れません。

40数名の楽団ですが迫力満点!
堅い曲、柔らかい曲、外国の曲、
日本の曲、色々とりまぜて
飽きずに聴かせてもらいました。
若い方からご年配の方まで、団員の
年齢はかなり幅広そうで、そういう
意味で微笑ましかったです。
今は2世代楽団、20年後には
3世代楽団になるんじゃないかな?
年長組さんは孫と演奏することを
目指して頑張ってほしいです。

楽器を演奏するということ事態
若さの秘訣になると思いますが、
若い人達とのアンサンブルとなれば
もっと刺激になっていいですよ。
これぞまさしく介護予防!
厚生労働省から表彰されますよ!

しかし、ねえ…
やっぱ、生の演奏はいいですよ!
特に管楽器は、自分がやってたことも
あり、好きですね~
何か、人間味を感じますよ。
人の肉声は声帯で発せられた音が
頭や身体に共鳴して出来るんですが、
管楽器はリードという竹べらや
唇の摩擦音を管に響かせる訳です。
上手な演奏家は身体と楽器が一体と
なって響く感じがするんですね。
だから胸迫るものがあるんじゃ
ないかなって思います。

私も普通のサラリーマンになって
余暇に吹奏楽を楽しむ人生だったら
それはそれで幸せだったでしょう。
でも残念ながら、そうは生きられ
なかったんですね。仕方ないです。
でも、今でも参加したい気持ち満々
なんです。自分のクラリネット
(クランポンというメーカーの高価
な楽器でしたが、とっくの昔に質流し
してしまいました)はないんですが、
ジャズマンだった叔父の形見と
先輩から頂いたものと、うちに2本も
あり、前回彼らの演奏会を聴きに
行った後にその気になってタンポや
松ヤニ、リード、ウェーバーの
クラリネット協奏曲の楽譜など
買ってきたんですが、そのまんま…。

今は介護の世界で心機一転頑張って
いるので、私の人生まだまだ
越さなきゃならない山が
いくつもあり、どうやら
楽器を吹くということは
叶わぬ夢で終わりそうです。
せいぜい、あの世に行く時に
吹いてる自分に戻って
幸せな気分味わいながら行きますよ。

楽団の人達には是非
あの世に行く前に、末長く
楽器が持てなくなるまで
続けて頂きたいと、切に望みます。
私のぶんまで
大いに音を楽しんで下さい!

Because, that’s your life !

武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。