2018年7月29日日曜日

夏の思い出 Part1



スイカ売り
子ども集めて
食べさせる

夏になると、軽トラックにスイカを積んだ
スイカ売りがやって来て、人集めのために
1つスイカを割って、子ども達に1切れずつ
食べさせてくれました。悪いから買ってあげよう
って親もいたんですね、きっと。

水張って
土産のスイカ
浮かばせる

貧乏人の家では、スイカをまるまる1個買って
来るなんてことは滅多にありませんでした。
親戚が遊びに来てくれると、白い網に入った
スイカをぶら下げて来てくれます。冷蔵庫が
ない時代には、流しに水張って、そこに半日
スイカを浮かべて冷やしてから食べたもんです。

スイカには
無駄がないよが
親父流

私の父は、スイカに塩をかけると甘みが増す
って言って、塩かけて食べてましたね。
気持ち悪いですね~
で、赤いとこが無くなるまで食べて、
残った革を顔になすりつけて
「美容にいいんだ。」って言ってました。
気持ち悪いですね~

男の子
ランニングシャツに
野球帽

私が小学生の頃は、みんなそんな格好で
夏を過ごしてましたよ。とにかく
服にあんまりお金かけませんでしたね。

缶蹴りは
鬼からなかなか
抜け出せない

子どもの遊びの中で缶蹴りは定番。お金が
かからないから手軽に出来ましたが、一度
鬼になっちゃうと、すぐに蹴られてなかなか
鬼から抜けられなくなっちゃうんですよね。
それが小さい子だったりすると可愛そうで、
わざと捕まって鬼を交代してあげましたよ。

視界から消える
ウォーターシュートの
船頭さん

子どもの頃、豊島園遊園地には池があって、
いっぱい鯉が泳いでて、ウォーターシュートが
ありました。坂の上から船に乗って、その船が
スーッと坂を下って、ドーンと池に突っ込む。
その時、水しぶきがパーッと上がって、
船頭さんがポーンと飛び上がって、上手いこと
着地するんですね。でも飛び上がった瞬間は
「あれ?船頭さんがいない!」って思っちゃった
訳ですよ。

早いとこ
黒くなりたい
夏休み

今の若い人は日に焼けることを嫌がる人も
多いようですが、私の子どもの頃は
夏に白いままなんて恥ずかしかったんです。
だから、早く黒くなりたくて、毎日
甲羅干ししてましたよ。知り合いの
お姉さんなんか、コーラを身体に塗って
ベランダで甲羅干ししてましたよ。

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2018年7月22日日曜日

貧乏人の子

私は貧乏人の子だった、なんて言うと
心底貧乏な体験をした方に
怒られてしまう程度のものでしょうが、
私の親父はジャズマンで、
さほど高収入という訳でもなにのに、
毎月わずかの生活費だけを母に渡して
残りは全部自分の小遣いとして
使ってしまう人だったので、
私の育った家は、そこそこ貧乏と
言えるような環境でしたよ。

出前をとったり、外食したりの頻度が低い
ばかりでなく、「何がいい?」って聞かれても
値段の高いものは食べたことないし、
食べようとも思わなくなってましたよ。
小学校4年生ぐらいだったでしょうか、
家族で中華屋さんへ行って「何がいい?」
って聞かれて、壁にいっぱい貼ってある
お品書きの中に「ワンタンメン」ってのが
あって、どんなものか知らないけど
ちょっとだけラーメンより値段が高かったから
美味しいのかも知れないと思って
「ワンタンメン」って言ったら、母は目を
丸くして「何で?美味しくないよ!」って
言いました。私はすかさず「じゃ、ラーメン。」
って言いました。

浴衣着て縁日に連れてってくれる時は、2つだけ
何か買ってもらえることになってるんですが、
ちっちゃな筒にハッカが入ってて吸うやつと、
風船ヨーヨーってことになるんですね。ある日
知らない女の子達が1人1つずつ綿菓子持って
舐めながら歩いてたのを見て羨ましくて、
意を決して綿菓子屋を指さして「あれがいい。」
って言ったら、間髪入れず「美味しくないよ!」
って言われて、おしまいになりました。
そういう経験の積み重ねによって、貧乏な家の
子は「一番安いものが一番欲しいもの」っていう
演技をして「ラーメン!」とか「ヨーヨー!」
とか言うようになるんです。誰から教え込まれた
訳でもなく、子どもなりの処世術を自然と
身に着けていく訳です。

そんなこともあって、自分が親の立場になったら
自分の子がそういうことにならないように
したいと思ってましたが、果たしてどうだったか
子ども達に聞いてみなきゃ解りませんね。
その代り、私の親は習字だとか、日舞だとか、
ピアノだとか、習い事は頼みもしないのに
通わせてくれました。苦しい家計の中から
そういうことにお金を使って頂いて、
有難かったと今更ながら感謝しています。

私も子ども達に、習い事をいくつか
させましたが、見ていてあまり熱心と思えない
場合は「好きでないようだから、止めなさい。」
って引導を渡したり、合唱団が海外遠征をする
って言われた時は「あの合唱団は、わざわざ
海外へ出かけて行って聴かせなきゃならない
ようなレベルじゃない。」と言って、参加を
許しませんでした。
高校卒業後の進路については、
「大学ってのは勉強が好きで好きでたまらない
って人が行くところだから、そんなに勉強が
したいなら行きなさい。学費出してやるから。」
って言ったら、息子も娘も大学進学を選択
しませんでした。

「美味しくないよ!」と大して変わらない
ものの言い様だったかな…

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2018年7月15日日曜日

コンテスト

ミス・アメリカ大会が水着やイヴニングドレスの
審査をなしにするらしいですね。セクハラと戦う
Me too 運動の広がりもあり、女性を外見や容姿
で判断しないって考え方にするんだそうです。
そのかわり、審査員の質疑を受け、知性や才能や
社会的な影響などを審査するんだそうです。
ってことは、知性や才能や社会的な影響で審査
するなら、女性差別にはならないんでしょうか。
「あたしゃバカだけど、脱いだら凄いのよ。」
って自負する方がいたとしても、決して
評価されない世の中になって行くんでしょうか。
格差社会ですかね。

そうすると、ミスコンは
会社の面接みたいになるのかな?
スーザン・ボイルさんみたいな
ニュースターも現れるかな?
でも、外見や容姿で判断しちゃいけないなら
顔や脚も隠さなきゃいけませんよ。
メチャクチャ魅力感じちゃいますからね。
人民服みたいのを着て、覆面して出なきゃね。
女性ボディービルダーなんてのも
見事な肉体ではなく、見事な肉体を
作り上げるに至った苦労話を披露して、
その精神力を評価してもらうしかないですね。
セクハラに反対する運動の本質が男女平等を
標榜するものなら、男性のコンテスト出場者も
人民服・覆面で出場しなきゃいけませんね。
女性にも、男性を外見や容姿で判断しちゃう人が
いるかも知れませんからね。

この話には
1, そもそも人間はなぜ容姿を評価したり
  アピールしたりするのか
2,そもそもコンテストの目的は何か
  っていう2つの問題があるんじゃないですか?

そもそも女性はなぜ化粧やファッションや髪型
に興味を持ち露出度の高い服やボディーライン
の出る服を着るんでしょうか。なぜスクール水着
でなく、ビキニを着るんでしょうか。花が綺麗な
花びらで虫を誘い受粉するように、種を残す
ためにDNAに組み込まれた本能なんでしょうか。
なぜイケメンに憧れるんでしょうか。容姿の
良い子を産みたいという本能なんでしょうか。
いずれにせよ、人間は否応なく人を容姿で
評価してしまうし、自分も容姿をアピールして
しまうものなんじゃないですか?

ミス・アメリカの最初のスポンサーは水着の
メーカー。要は販促イベントだった訳ですね。
ミス・インターナショナルはマイヤミビーチの
人集め。芸術のアワードは芸術家が芸術で飯を
食って行けるように世の中にアピールし業界を
活性化する狙いがあるんじゃないですか?
つまり、コンテストは人を評価するのではなく、
人を評価するような演出をして行う業界活性化
のための宣伝活動に過ぎません。そこに女性差別
や性的嫌がらせの問題を持ち込んでちぐはぐな
審査方法に変えるのは、知的には見えませんね。
むしろコンテスト自体がバカバカしいんだから
止めようってんなら溜飲が下がるってもんです。

音楽は外見を評価するものじゃないけれど、
もし1800年代にアワードがあって
メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、
リスト、ワーグナー、ヴェルディなどといった
名だたる作曲家がこぞって出場して、
審査員と称するお歴々に自分の音楽を批評され
順位を決められる…なんてことを想像してみて
下さい。現代社会で当たり前のように行われて
いることがいかにバカバカしいことかと
お気づきになるんじゃないでしょうか。

私は絶対的基準の存在しない分野において
他人が他人を評価すること自体、ナンセンスだと
思っています。評価することも、されることも
拒否したいです。

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2018年7月8日日曜日

嬉しいこと、悲しいこと

今週は
嬉しいこと、悲しいこと、
ありましたね。

桂歌丸さん
鼻にチューブ入れて高座に上がり
観客を笑わせてる姿を見て
「高座の上で笑われながら逝かせてあげたい。」
って思ってましたが、
どんなご最期だったんでしょう。

生前のインタビュー番組を観ていたら、
「1つの話を覚えるでしょ、で、その話を
自分流にするにはどうすればいいのかって、
物凄く苦労するんです。人は、何だって
そんな苦労するんだって言いますけど、
私は目を開けて生きてるうちは苦労しますよ、
目ぇつぶってから苦労したくないから。」
そうおっしゃってました。普通は、生きてる
間は苦労したくないってのが人情ですが、
チャレンジが生きる証だってことですかね。

私は4月にケアマネになって、
知らないこといっぱい体当たりで覚えながら
エンジン全開で頑張ってますが、
失敗したり、悩んだりすることもあります。
でも、生きてるうちは苦労するっている
歌丸さんの心意気に触れ、
大いに勇気づけられましたよ。
ありがとうって、お礼言いたいです。

羽生結弦さん
史上最年少で国民栄誉賞ですってね。
でも、記念品は辞退したんですって。
「みんなで頂いた賞だと思うので、
 個人的なものは遠慮します。」
ってことみたいですね。
俺が、俺が、って人も多い中、
23歳という若さでずいぶん謙虚ですね。

東日本大震災で自身は練習場所を失い
選手生命を脅かされる状況でありながら、
地元の人々に希望と感動を与えようと
頑張った。その結果だって思いが
強いんでしょうね。

私は、メダルや賞には縁がないけれど、
家族や、会社の同僚や、利用者さんと、
喜びも悲しみも分かち合えるように
謙虚に、ひたむきに生きて生きたいと思います。

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2018年7月1日日曜日

拝◯主義

以前、横綱白鵬関の優勝インタビュー中に
「勝てば何でもいいのか!」って
野次が飛んだことありましたね。
立ち会いから引いたり、張り手したり、
取り口が横綱らしくないって批判ですね。
先日のサッカーのボール回しを見て
「勝ち上がれば何でもいいのか!」って
野次ってるオヤジも結構いたかも知れませんね。
かつて「ヒルズ族」がもてはやさせる一方で
「拝金主義」なんて言葉も登場し、
「儲かりゃ何でもいいのか!」ってな批判が
オヤジの間に渦巻いてたように思います。
王・長嶋世代の私などは、個人記録に執着して
いつまでも惨めな姿をさらすスター選手に
「数字さえ伸びりゃあ何でもいいのか!」
って感じで、冷ややかに見てましたよ。
アマチュアなら勝ちにこだわったり
記録にこだわったり、それもいいでしょう。
だけど、プロって何のためにあるんです?
観衆に希望や感動を与えて、その対価として
高額な報酬を得てるんでしょ?

そこで皆さんに質問します。
最後まで死力を尽くしたが力及ばず
同点に出来なかったセネガルと、
同点でも自力優勝が出来るのに
それを狙わず自ら負けた日本と、
1,どっちが 希望や感動を与えたでしょう?
2,どっちが「恥知らず」だったでしょう?

「恥知らず」って言葉は不思議な言葉で、私、
誰でもその人なりに恥の概念を持ってると
思うんですよ。ただ、人によって価値観が
真逆の場合があるのに、一方の概念だけで人を
批判して言うから「恥知らず」って
言葉になって出ちゃうんだと思うんですね。
要は、何を恥と思うかです。
もしセネガルが1点取って日本が予選敗退
してたら、西野監督は「恥知らず」の烙印を
押されて、歴史にその名を残したでしょう。
評論家も野次馬も、勝てば「あれは有りだよ。」
って言うけど、負ければ「あれは無しだよ。」
って言うかもしれませんよね。
日本が1点取る確率より
セネガルが1点取れない確率のほうが高いと
プロならではの鋭い読みだったのか、
一か八かの賭けだったのか知りませんが、
大きなリスクを承知でセネガルの負けに賭けた
度胸は凄いですね。ただし、その結果は
サッカーに勝ったんじゃなくて
丁半博打に勝ったようなもんです。
じゃあ、西野監督は賭博師ですか?
いいえ、サッカーの監督です。しかもプロです。
少年少女に希望や感動を与える存在です。

かつて「美しい日本」という言葉を連発して、
影で行政を私物化してた政治家が、
最近は全くその言葉を口にしなくなりました。
ひょっとしたら、さすがに恥ずかしくて
言えなくなっちゃったのかも知れません。
私は「美しい〇〇」とか「〇〇の日本」とか、
そういう紋切り型の標語は嫌いですけど、もし
私が日本人として誇りに思いたいことは何か
と問われれば「真摯な態度で臨まない」ことを
「恥ずかしい」と感じる心じゃないかなって
思います。

力のある人、ない人、
努力の報われる人、報われない人、
ポカの多い人、少ない人、
人間ですもん、色々ありますよね。
でも、結果の良し悪しより
恥ずべきことがあると、私は思うんです。
真摯な態度で臨まない、私にとってそれは、
最も恥ずべき態度です。
じゃ、真摯って何?ってことになりますね。
「真面目に、ひたむきに、正直に、熱心に、
一心に事に当たる様。」ネットで調べると
そんなことらしいです。じゃあ真面目って何?
とか言い出すと切りがありませんが、
真正面から正々堂々と向き合う
ってなことなんだと思いますよ。

私は、日本人が何だかだんだん
拝◯主義的な価値観になっているような
気がしてなりません。
勝つ、儲かる、数字が伸びる、
そういう結果さえ得られれば、プロセスが
どうであれ、嬉しい感情が湧く…
真摯な態度なんてものに
価値観を見いだせない…

皆さんは少年少女が
姑息なまねをしてでも結果を出す姿に
希望や感動を感じてほしいですか?
たとえ結果に結びつかずとも
最後まで正々堂々と挑む姿に
希望や感動を感じてほしいですか?

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