今日は
旅の思い出からちょっと離れて
江戸っ子について話しますね。
と言っても、私の家族の話です。
私の父は秋葉原からすぐ近くの
佐久間町で生まれ育ち、
母は神田明神下で生まれ育った、
チャキチャキの江戸っ子です。
3月10日の大空襲の時は、それぞれ
命からがら生き残りました。
ジャズマンだった父と
キャバレーの女給だった母は
仕事場で出逢い、20歳同士で結婚、
4年後に私が、その5年後に妹が
生まれました。
父は2人の兄、1人の姉を持つ
末っ子で、男兄弟3人とも
ジャズマンでした。彼らの景気が
良かったのは終戦直後の進駐軍時代
だけで、その後は急激に仕事が減り、
2人の兄は次々と転職、父だけは
キャバレー『ミカド』や東京宝塚劇場
の専属オーケストラに所属し、39歳
までドラマーとして働いてから
転職しました。
要は父方の親戚は、我が家も含め
どこも貧しかったわけです。
私は家族4人で1DK(6畳居間&
3畳キッチン)の都営アパートに
小学校5年生まで住んでましたが、
そこに親戚・従兄弟が入って来ると、
もうギューギュー詰めでした。
「寿司とれ!」親戚が集まった時の
決まり文句、江戸っ子の見栄ってやつ
ですね。「いいよ、ラーメンで…。」
それに対する返事の決まり文句です。
そこで「あ、そう。じゃあ、ラーメンに
するか。」って言っちゃったら
江戸っ子じゃありません。
絶対に寿司をとります。寿司が
食べられるのは、親戚が集まった時
だけなんで、本当はみんな嬉しかった
んでしょうね。イカはサビが効くとか
で、母が「効く~」と言って悶絶する
のも決まり事でした。
食事が終わってお開きとなると
決まって叔母さんが私に千円札を
2枚握らせ「◯◯ちゃん(妹)と1枚
ずつね。お父さんと、お母さんには
黙ってなよ。」と耳元で囁きました。
1日の小遣いが10円の時代でした
から、私にしてみれば大金です。
しかし私は常日頃から「人様から
何かを頂いたら必ず親に報告せよ。」
と教育されてましたので、正直に
報告しました。父は「あの野郎…。」
と呟き「つっ返して来い!」と母に
言いました。母は帰路についている
義兄一家を追いかけ、2千円を
つっ返して来ました。叔母さんも
負けちゃいません。また我が家へ
戻って来て、ドアのポストに2千円を
放り込んで逃げ帰りました。
当然のことながら、その2千円は
親に没収されましたが
何のことはない、義兄一家は
自分達が食べたぶんの寿司代を
払って行ったようなもんです。
これが私の知る、江戸っ子です。
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
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