2016年10月29日土曜日

この老人のように

【還暦を迎えて Part2】

W・S・クラーク(1826~1886)
アメリカ合衆国の教育者。
化学、植物学、動物学の教師。
札幌農学校(現北海道大学)初代教頭。

このクラーク像には「少年よ大志を抱け」
Boys, be ambitious. と書かれています。
しかし、この言葉には続きがありました。

アメリカで農業大学を設立し、学長として充実
した日々を送っていたクラーク氏のもとに、日本
から使者が訪れ、こう言いました。「北海道開拓
の為、日本で酪農を教えてほしい。」学校関係者
がみな反対する中、クラーク氏は大きなリスク
を承知のうえで、日本行きを決意しました。
その決意の背景にあった体験とは…

南北戦争で、彼は奴隷解放の理想に燃え、教え子
と共に義勇軍として参加しました。しかし、多く
の教え子が命を落としてしまいました。荒廃した
国土と失意の若者を立ち直らせる為に、自分に
何が出来るかと考え、彼は若者達に農業を教える
ことを決意したんです。

日本は戊辰戦争があった直後だと聞かされた
クラーク氏は、その時の自分の体験と重ね合わせ
たんでしょう。2年間という日本からの要望
でしたが、「1年で2年分の仕事をして戻る。」
と言って旅立ちました。

クラーク氏を待っていたのは、武家出身の2男や
3男で、中には幕府方に加担した賊軍出身者も
いました。彼らは元武士のプライドから、農業を
行うことに鬱積した気持ちを抱き、酒を飲んでは
暴れる25~26歳の若者達でした。そんな彼らに、
クラーク氏は体当たりで向き合いました。

彼は大のワイン好きでしたが、母国から運んだ
ワインボトルを全て割り、自分は禁酒すると宣言
しました。そして、校則の書かれた紙を破り捨て、
生徒達に言いました。

「校則はいらない。紳士たれ。」

ある日、生徒達と屋外で植物観察をしていると、
木の高い所に珍しい苔を見つけました。すると
クラーク氏は、木の前で四つん這いになり、自分
の背に乗って苔を取るよう生徒に命じました。
生徒達は、そんなクラーク氏を心から慕うように
なりました。

クラーク氏の帰国する日が迫る中、西南戦争が
始まりました。南北戦争での悲しい体験から
生徒達に生きのびる術を身につけさせたいと、
クラーク氏は軍事訓練施設の建設を進めました。
それが今の観光名所「札幌市時計台」です。
クラーク氏は、生徒達との別れの時、1人1人と
握手した後に、こう言いました。

「少年よ大志を抱け、この老人のように。」
    Boys, be ambitious like this old man.

「少年よ大志を抱け」という言葉だけなら、
勇気づけられるのは若者だけかも知れませんが、
「この老人のように」と続くことで、
私のような年寄りでも涙の出るほど感動し、
勇気づけられます。

素敵なプレゼントを頂きました。
そう言える自分でありたいと思います。

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2016年10月23日日曜日

最上のものは いつ来たる?

【還暦を迎えて Part1】

『花子とアン』は、2014年(平成26年度)
上半期に放映されたNHK連続テレビ小説です。
『赤毛のアン』の日本語翻訳者である村岡花子氏
の半生を原案としたフィクションで、初回から
最終回までの平均視聴率が22.6%を記録。
『あまちゃん』(20.6%)や『梅ちゃん先生』(20.7%)
『ごちそうさん』(22.4%)を超え、朝ドラの
過去10年で最高の記録となりました。

「最上のものは なお後に来たる」

主人公ハナの卒業式で、ブラックバーン校長が
生徒へ向けて述べたスピーチの一節です。
以下、ブラックバーン校長のスピーチ全文と、
ハナが訳した日本語訳です。

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My girls!
Grow old along with me, the best is yet to be.

わたしの愛する生徒たちよ。我とともに老いよ。
最上のものは なお後にきたる

If some decade later,
you look back on your time with us here
and you feel that these were the happiest
days of your life, then I must say
your education will have been a failure.

何十年か後に、皆さんがこの学校生活を振り返り
「あの時代が一番幸せだった。楽しかった。」と
心の底から感じるのなら、私はこの学校の教育が
失敗だったと言わなければなりません。

Life must improve as it takes its course.
Your youth you spend in preparation because
the best things are never in the past, but
in the future.

人生は進歩あるのみ。
若い時代は準備の時であり、最上のものは
過去にあるのではなく、将来にあるのです。

I hope that you pursue life,
and hold onto your hope and your dream
until the very end of the journey.

私は、皆さんが人生の旅路の最後まで、
希望と理想を持ち続けて行けることを
願っています。

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私にも、最上と思える日々がありました。
手創りミュージカルに没頭した高校3年生の頃。
行方知れない道に踏み込み、
レッスンに明け暮れた演劇学生の頃。
全国の子ども達に芝居を観せていた日々…。
どれもこれも、私にとってかけがえのない
人生の1ページです。

私は長男が生まれ、長女が生まれ、
家族4人で過ごしている時に、
妻にこう言ったことがあります。
「今が人生で一番幸せかもね。」
妻は、私の言葉がとても印象的だったらしく、
折りに触れ、そのことを口にします。
「悔しいけど、あれって、当たってたね。」

私は3週間後に60歳、還暦を迎えます。
最上のものが、まだこの先に見つかるかどうか
自信はありません。でも、挑戦あるのみですね。

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2016年10月16日日曜日

無垢の優しさ

子ども心が抜け切れないことを
『ピーターパン・シンドローム』って言いますね。
私は、ちょっと、それっぽいところがあるかな
って、ずっと思ってました。でも、ネットで
ある少年の話を知って「それっぽい」なんて
思ってるのは大間違いで、子どもの純真さに
憧れてるだけだなって思い知らされましたよ。

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医師は、重体に陥った5歳の少女の命を守ろうと
必死でした。少女を救うためには輸血が必要でし
たが、O型の血液が足りず、医師はやむなく
少女の双子の兄からの輸血を提案しました。

妹に血液をあげる気があるかと、医師が少年に
尋ねると、少年は躊躇していたようでしたが、
妹の命を救うためには他に方法がないのだと
説明すると、納得してくれました。

輸血を受け、少女の顔色が蘇ってきたので、
医師はホッと胸をなでおろしました。
輸血が済むと、この勇気ある少年は突然真剣な
面持ちになり、医師にこんな質問をしました。

「それで、僕はいつ死ぬの?」

この少年は、輸血によって妹のために自分の命を
捧げるつもりだったのです。あの躊躇は、それを
決断するための躊躇だったのです。

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子どもの純真さって、心打たれますね。
私達大人には真似ができません。
溺れている人を救おうとした人が、
結果として自分の命を落としてしまう話は
毎年のように報道されますが、
死を決断して行うわけではありませんもんね。

でも、真似はできないにしても
学ぶことはできます。
人を救うには優しさが必要ですよ。
私達ヘルパーにとって介護や支援は職業ですし、
この話のように差し迫った命の危機を救う
仕事ではありませんが、
『優しさ』は基本中の基本ではないでしょうか。

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2016年10月9日日曜日

惚れ込める才能

日本文化にぞっこん惚れ込んで、
ネットを見ながら自己流で模倣しつつも、
常々「日本へ行って本物を見て、学びたい!」
って思ってる人が世界中に結構いるようで、
そういう人を日本のテレビ局が招待して、
行きたい所へ連れてってあげる…ってな番組が
あって、私、好きで欠かさず観てるんですよ。

何が好きって、泣くんですよ、嬉しくて。
日本に行けると知って泣き、
行きたかった所へ行けて泣き、
会いたかった人に会えて泣き、
人々の優しさに触れて泣き、
そして、別れに泣き…

人間、嬉しくて泣くことって
なかなかないですもんね。
感動の涙や同情の涙はしょっちゅうですけど、
それは他人に対して湧き出る感情であって、
嬉しい、悲しい、悔しいっていう
自分自身の感情によって出る涙ってのは
歳とると無くなっちゃいますね。
もともと男は、あんまり泣かないですけどね。

だから、泣くほど嬉しいってことは
よっぽど思いが強かったってことでしょ?
そこに天から降ってきた幸運ってことでしょ?
素晴らしいじゃないですか!
羨ましいですよ!
それほど打ち込めることが
あったらいいですね…

幸せですよね…
まずもって、惚れ込むってことがないとね。
理屈でなく、好きで好きでなまらない。
気づいたら考えちゃってる。
気づいたら始めちゃってる。
それも才能かも知れませんよね。

松井秀樹さんの座右の銘は
「努力できることが才能だ」だそうですが、
「惚れ込めることが才能だ」ってことも
言えるかも知れませんね。

惚れ込める何かを求めて
そして、泣くほど嬉しい体験を求めて
私の旅は続くのだ!

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2016年10月2日日曜日

死ぬ前に何食べたい?

死ぬ前に何食べたい?って聞かれたら、
皆さんは何て答えますか?私は「餃子」です。
醤油に酢と辣油と七味を入れたタレで食べます。

母方の祖父が長崎県諫早市、祖母が同県大村市の
出身、母も少女時代に諫早へ疎開していたので、
やたらと七味を使うんです。だから私も、餃子の
タレにいっぱい七味を入れるようになりました。
韓国に近いせいでしょうか、長崎の人は七味が
大好きみたいですよ。正月には、つきたての餅を
なが~く伸ばして、表面が真っ赤に見えるくらい
七味の入った醤油につけて、飲み込むようにして
一気に食べるんだって、母が言ってました。

私の地元、新小岩に餃子の旨いラーメン屋が
ありまして、他店なら350円位が相場ですが、
900円と高いんです。その代わり、肉がぎっしり
詰まった私好みの餃子を食べさせてくれます。
でも、難点もあるんです。「七味を下さい。」って
言うと「うちでは辛子で食べてもらってます。」
って言われちゃうんです。以来、私がその店に
行かなくなって10年以上経ちます。

「こだわりの店」とか「店長が客を叱る店」とか
「行列のできる店」とか、よく話題になりますが、
私、苦手なんですよね、そういうの。
「何様のつもりだ。金払うのはこっちだ。」と。
「辛子で食おうが、七味で食おうが、
砂糖で食おうが、客の勝手だ。」と。

だいたいが私は、餃子作りの名人なんですよ。
子どもの頃から母親に仕込まれて、一緒に餃子
作ってましたから、味も形もバッチリなんです。
しかも大人になって、ある劇団に所属してた頃、
中国人の女性社員が本場の餃子の作り方、食べ方
を教えてくれたもんだから、もう絶品の餃子が
作れるようになっちゃったんですよ。

ですから本当は、わざわざ金払って店で食べる
ことはないんです。ですが、最近は何かと忙しく
なったもんですから、あっちの餃子、こっちの
餃子、食べ比べてます。

餃子なら選択肢は色々ありますが、国はそうは
行きませんよね。政党に選択肢を見出せないから
と言って、この歳で、この貧乏人が、他国へ移り
住む訳にもいかないし、他に望ましい国があるか
どうかも解りませんもん。

ただ泣き寝入りするのみ、なんですかね…

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