2016年6月26日日曜日

1つの笑顔


私は以前、スタバやディズニーランドで働く若い
アメリカ人達が手話をマスターして、聴覚障害を
持ったお客さんを喜ばせているという話をネット
で見て心動かされ、自分も手話を覚えることに
しました。そして毎週1回、計15回の手話入門
講座に通い始め、6回目まで終えました。

手話は楽しいです。役者あがりの私に向いてます。
手だけでなく、顔や体も使って表情豊かに話すん
です。また、とかく曖昧になりがちな日本語より
端的な表現の英語に近く、私の性格に合ってます。
でも、ボディランゲージの世界はまた、音のない
世界でもありすから、まずそれを共有しなければ
なりません。映画『奇跡の人』でヘレン・ケラー
さんがサリバン先生から“WATER”の指文字を
学ぶ、あの感動的なシーンが思い出されます。

元来私は音楽好きで、右脳人間でした。それから
役者~プロデューサーと転身するにつれ、左脳を
多く使うようになりました。ヘルパーの仕事は
右脳も結構使うと思いますが、資格取得のための
試験勉強は左脳がほとんどです。でも手話は、
右脳をかなり使うような気がするので、いま現在
試験勉強と手話の稽古の両立に苦はないです。

私はヘルパーとして聴覚障害者の支援をしたこと
はありませんが、将来ケアマネとして聴覚障害を
持った高齢者の支援をする機会があるかも知れま
せん。その時はきっと、筆談でなく手話で話し
合いたいなって思います。筆談でも意思疎通は
出来るでしょうが、それで事足りるなら世界中に
手話が普及することはなかったでしょう。やはり、
互いに顔を見合って会話することが人間にとって
大切だからこそ、普及したんだと思います。

でも、1つの言語をマスターする訳ですから
一朝一夕には成し得ませんよね。講座も
初級~中級~上級と受けて、ようやく手話通訳の
試験を受けられるレベルになるようです。
せっかく始めたことなので、通訳の資格が
取れるくらいに上達したいな。それから、
手話落語の真似事でも出来たらな、なんてね。

私は長年、児童・青少年向けの演劇を手掛けて
来ましたが、作品を創るにあたっていつも念頭に
あったのが「たった1人に、たった1つの笑顔」
でした。クラスメイトのいじめや親の虐待などで、
辛い日々を送っている子、明日に希望を持てない
子がもしいるなら、その子だけでもいい、
ほんの一時でもいい、笑顔にしてあげたい
という思いでした。願わくば、
勇気と希望をもって、明るく前向きに生きて行く
きっかけになってほしい…との思いから、
自分の作家としてのペン・ネームを
「来栖あすか」(明日が来る)としました。

スタバやディズニーランドで働く若者は
聴覚障害者に笑顔をプレゼントしていました。
私も、同じことがしたいです。

Because, that’s my life !

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2016年6月19日日曜日

サ責もケアマネもいらない

私は今年1月末に国家試験を受け、介護福祉士に
なりました。平成27年度までは介護歴3年で
受験できたんですが、次からは制度が変わります。
10万円程の費用をかけ320時間の実務者研修
を受けなければなりません。それは、ヘルパーに
とって、とても高いハードルになります。

今までは、サ責やケアマネを目指さなくても受ける
人が結構いましたが、今後は激減するでしょうね。
それどころか、目指してた人でさえ「や~めた!」
ってなっちゃう可能性もありますよ。

ちなみに我が妻は、私より介護歴が半年短いために
翌年度の受験となり、実務者研修を受けています。
私はといえば、国家試験を終えた翌週にケアマネの
過去問集を入手し、勉強を始めました。2年かけて
勉強しようと、以前から決めてたんです。

ケアマネの受験資格は国家資格の有無に関わらず、
介護歴5年でOKです。私が受ける来年10月の
試験までは…。翌年から、国家資格を持ってから
5年間の実務経験が必須となります。国家資格が
なければ受験もできないし、あっても今より3年
長くかかる訳です。前述のように介護福祉士の
ハードルが上がるうえに、ケアマネのハードルまで
上げるなら、ケアマネになる人も減るでしょうね。
ちなみに我が妻は、私より介護歴が半年短いために
介護歴8年なきゃケアマネになれない身の上です。

要は、介護界は人材不足と言うけれど、
不足しているのはヘルパーだけで、
サ責やケアマネは余ってると、
そういうことなんですね。

しかしですよ
サ責もケアマネも、1人でこなせる利用者数には
限りがありますからね。団塊世代が続々と認定を
受ける頃になったら、さすがに人材不足になりゃあ
しませんか?って、思いますよね。ところが…

介護保険制度において、人材不足と財源不足とは
セットのようなもので、国はむしろ財源不足の対策
として手を打ってくる訳です。3年毎に制度改定が
あるんですが、一昨年の改定では、要支援者の予防
介護が保険適用対象外となり、国から市区町村に
運営権が委譲されました。その上、介護報酬が切り
下げられました。来年の改定では要介護1・2の
生活援助が保険適用対象外になる見通しです。
「税と社会保障の一体改革」なんて言って消費税は
上がったけれど、サービスは削られる一方です。

つまり、財源不足の対策としてザービスの絶対量を
減らしていけば人材不足の対策にもなるという訳
ですが、高齢者やその家族にとっては受難の時代と
なるでしょう。介護保険に頼らず自費でヘルパーを
呼べる人と呼べない人の介護格差が出るでしょう。
介護離職者も減るどころか、増えるでしょう。

サ責やケアマネのハードルを上げて、ヘルパーの
まま働く人が幾らか増えたとしても、ヘルパーの
絶対量は増えないと、私は思います。何故なら、
最初からサ責やケアマネになることを目指して
この業界に入る人も、少なからずいるからです。
ヘルパーは通過点に過ぎないと考える人にとって、
期間や費用の増加は動機の低下につながり、この
業界に入って来る人を減らす結果になります。

しかも、団塊世代が世を去る頃には急激に需要が
減って、今度は事業者受難の時代になります。
20~40代の人なら、そこまで見越して
介護業界に入ること自体に二の足を踏むでしょう。
また、少子化で1人っ子が増えれば「ケアマネは
いいけど、いつまでもヘルパーはやりたくない。」
と考える人も増えると、私は思います。

…それでも私は、
ケアマネ目指して日々勉強を続けています。

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2016年6月17日金曜日

我が青春の歌 Part4

私がビリー・ジョエルを知ったのは、高田みずえ
さんの“私はピアノ”という曲の2番に「雨の降る
夜にはビリー・ジョエル」という歌詞があったので、
何かな~って調べてみたらビックリ、いい曲だ!
ってことになったんで、『ストレンジャー』という
アルバムが出てから3年以上経ってたんですね。

“The Stranger”(1977・Billy Joel)
夜の首都高にピッタリって感じがしましたよ。
https://www.youtube.com/watch?v=qdLPI6XhEN8

“Just the way you are” (1977・Billy Joel)
ビリー・ジョエルの中では、この曲が一番!って
思ってる人、結構多いんじゃないでしょうか?
私もですよ!
https://www.youtube.com/watch?v=tJWM5FmZyqU

“ブルー”(1978・渡辺真知子)
今は貫禄の彼女も、若い頃は可愛かったです。
私、しっかりと声を出してくれる歌手が好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=AB1rX49xGws

“秋止符”(1979・アリス)
私はこの年、23歳にして初めて親元を離れ独立。
新居を探して中央線沿線~西武新宿線沿線~
西武池袋線沿線と北上し、最後は京浜東北線の
川口駅からバスに乗って、ある安アパートに
辿り着きました。隣人が毎日この曲をかけていて、
壁が薄いので自分でかけて聴いているようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=dH_PAXHXFZw

“モンロー・ウォーク”(1979・南佳孝)
夏の浜へ行けば、いい女に出逢える…。
そんな妄想を抱かせてくれる曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=ULhD2fJfXl4

“夜明け”(1979・松山千春)
私はこの方を、昭和を代表するメロディメイカー
だと思い尊敬しています。特にこの曲は、私が鬱に
なりかけた時に、私を慰めてくれた大切な曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=BwSCrLePua4

“さよなら”(1979・オフコース)
ご本人が歌っている動画で唯一見つかったのが
これです。
https://www.youtube.com/watch?v=9g6ONYkugWk

“私はピアノ”(1980・高田みづえ)
私はサザンを大して好きじゃなかったんですが、
この曲が桑田佳祐さんの曲でサザンも歌っていて、
それを聴いてから、サザンが好きになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=pbiE8Zy6NzM

“夢の途中”(1981・来生たかお)
この年、私は25歳。児童・青少年演劇を生涯の
仕事にしようと決心しました。まさに夢に向かって
走りだした年。恋愛の方でも、少々気になる人が
現れ、2年後に結婚することになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=Jb70kKbB1Vk

“Billie Jean”(1983・Michel Jackson)
私が結婚式を挙げる2ヶ月程前に出た曲。
いわば私の青春打ち止めラス前の曲です。
思えばこれがMVのはしりだったのかな?
映像・音楽・ダンス、全てが新しく感じました。
https://www.youtube.com/watch?v=Zi_XLOBDo_Y

“初恋”(1983・村下孝蔵)
私が結婚式を挙げる1ヶ月程前に出た曲。
まさに私の青春打ち止めの曲です。
今は亡き村下孝蔵さんの映像、切ないです…。
https://www.youtube.com/watch?v=ZmU9MR9DzRo

The End

今週は毎夜おつき合い頂きまして
有難うございました。少しでも楽しみを共有して
頂いたり、新しい発見をして頂けたら嬉しいです。
次回から通常通りに更新します。
では、19日(日)の午前中にお逢いしましょう!

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2016年6月16日木曜日

我が青春の歌 Part3

1975~77年、
私は18~20歳で、まさに青春真っ盛り!
とても年2曲ずつには絞れませんでした!
どうかおつき合い下さい!

“想い出まくら”(1975・小坂恭子)
演劇学校の女性から「この曲を練習したいから伴奏
お願いします。」と言われ、伴奏してあげました。
https://www.youtube.com/watch?v=cSUo4OC6a8A

“22才の別れ”(1975・風)
その後、その女学生と恋をしましたが、
21歳の時に別れました。
https://www.youtube.com/watch?v=iq7FlafShEU

“時代”(1975・中島みゆき)
最初に歌声を聴いた時は「フォーク版・日吉ミミが
出て来たか」と思いました。彼女と別れたばかりで
傷に塩を塗るような思いで聴いてました。
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo

“およげたいやきくん”(1976・子門真人)
演劇学生でしたが「サラリーマンの悲哀」なんて
言葉が何故かスッと入ってくる曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=kmPCD4bwa2w

“俺たちの旅”(1976・中村雅俊)
日本テレビのドラマの主題歌です。登場人物が私と
同世代なので、聴くだけで胸がキュンキュンします。
https://www.youtube.com/watch?v=Uy3WPxAAX0I

“フィーリング”(1976・ハイファイセット)
バイトをしてた新宿歌舞伎町のキャバレーに
ハイファイセットさんが出演し、この曲を歌って
ました。色っぽい歌だな~って思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=NFW6xU2aAFo

“サクセス”(1977・ダウンタウン・ブギウギバンド)
「スモーキング・ブギ」で登場したキワモノかと
思いきや、いい曲を出して来てビックリ!
軽快で、シンコペが効いてて、大好きになりました!
聴いたことのない若者に是非聴いてほしいです!
https://www.youtube.com/watch?v=uL2m9WHObVU

“コスモス”(1977・山口百恵)
さだまさしさんも山口百恵さんも、さほど好きと
言うわけではなかったんですが、この曲は本当に
名曲だと思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=PtWeN5hfhq0

“Hotel California”(1977・Eagles)
言葉はいらない、いい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=puHoadtIivc

明日へつづく

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2016年6月15日水曜日

ミュージック・ビデオ第5弾「奈落」

みんなのミュージック・ビデオ第5弾「奈落」
が完成しました。
https://youtu.be/f6EJgJ476KI

自分で自分の作品解説をするのは変ですが
この作品を創るにあたっての思いや工夫などを
若干、ご披露させて頂きます。

まず、この「みんなのミュージック・ビデオ」という
プロジェクトですが、一昨年(2014)の夏から始まり、
これまで4作品をYouTubeにアップして来ました。
今回の曲は、その5作目で、作詞の山下礼さんは
第2弾「幼き日々よ」、第3弾「希望の星」の作詞も
担当して下さいました。第4弾「パワフル」からは
英語の訳詞も担当して下さっています。

製作協力の松枝泰弘さんは、第1弾から共に創造
して来た方です。私より良いソフトをお持ちなので、
私の創った音の質を高め、彼流のアレンジを加えて
曲を完成させて下さっています。第2弾「幼き日々よ」
ではボーカルを担当され、第4弾「パワフル」では
後半部分の作詞・作曲・編曲・ボーカルで、才能を
いかんなく発揮して下さいました。

さて、今回の作品ですが、
まず歌詞を頂いて、直感的に「曲にしたい!」と
思いました。言葉がシンプルで無駄がなく、しかも
奥が深いと感じたからです。この詩を歌にすれば、
必ず聴き手に伝わると感じました。

しかし、いざ頭の中で構想を練り始めると、
あまりにシンプルで短い詩を歌にすることの
難しさに直面しました。そこでまず考えたのは、
リフレイン(繰り返し)でした。考えてみれば昨今は、
歌詞の中身が伝わらない歌が蔓延していますから、
シンプルな歌詞を更に繰り返すことで、とことん
伝わる歌を創るのも一考かと考えました。

次に悩んだのは「奈落」をどうイメージするかです。
言葉の意味は「舞台の下部にあたる空間」で、
観客が決して見ることのない世界です。
「奈落の底に突き落とされたようだ。」などという
使われ方をされ、絶望的な状況を示唆しています。
ところが私には、奈落の底のような絶望的な経験が
なく「もし私が…。」と想像してみたところで、所詮
想像に過ぎません。私には、過去の自分の苦しい
経験を追体験し増幅させることしか出来ませんので
「苦しみも、そこから這い出そうとするパワーも、
這い出した時の喜びも、全ては私の想像を超える
ものだ。」という前提で構想を練りました。

歌詞が繰り返すので、メロディーも繰り返すことに
して、短調から中間部を経て長調で終わるという
若干のストーリー性を加えました。更に楽曲全体に、
言葉に出来ない不安感・焦燥感・高揚感といった
ものを暗示したかったので、
・引いては寄せる波のように、PPからFFに急激に
 クレッシェンドするパターンの繰り返し
・不協和音の使用
・中間部以外は常に鳴っているティンパニー
・4分の7拍子という変拍子
・パーカッションのみの後奏
などの工夫をしてみましたが、これら全てが
私にとって初めての試みでした。

実を言うと、もうひとつありまして、
これは敬愛するベートーベン様へのオマージュ
などと、私のような市民作曲家が言っては
大変に失礼なんですが…
交響曲「運命」の運命の扉を叩く音「ダ・ダ・ダ・ダン」
のモチーフを、少々お借りしました。

奈落の底に落ち込んだ人が
この歌と出逢うことで
果たして何かしらの救いとなるか否か
考えても詮無いことではありますが、
何かのお役に立てればと
願わずにはいられません。

…ということで、今日は急きょ予定を変更し
ミュージック・ビデオの話をさせて頂きました。
我が青春の歌 Part3~4 は、
明日~明後日と続けてアップさせて頂きます。

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2016年6月14日火曜日

我が青春の歌 Part2

1972~74年の3年間、私は高校生でした。
それまでは、テレビで聴いていた歌謡曲、ピアノや
クラリネットのレッスンで演奏した曲、音楽の授業
で聴いたクラシック音楽、吹奏楽部で親しんだ音楽
などが私のテリトリーでしたが、高校の新たな
クラスメイトの影響で国内外のフォークやロック
などにも親しむようになりました。

高校1年生のクラスにギターの名手がいました。
彼は3本の指にツメをつけ、サイモンと
ガーファンクルの曲を完コピしてました。
放課後の教室で彼を囲んで、よく歌ったものです。

“Sound of Silence”(1964・Simon & Garfunkel)
このギター伴奏、ギターを触ったことのない私でも、
ちょっと練習しただけで出来てしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=4zLfCnGVeL4

“Scarborough Fair”(1967・Simon & Garfunkel)
S&Gの魅力は何と言ってもハーモニー。特にこの曲
は3重唱でハモれるので、人気がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=-BakWVXHSug

“さよならをするために”(1972・ビリー・バンバン)
日本テレビの夜9時からのドラマ
「三丁目四番地」の主題歌でした。
https://www.youtube.com/watch?v=8O3iMB_72xw

“旅の宿”(1972・吉田拓郎)
高校1年生の夏に流行り、
夏休み中ずっとラジオや有線でかかってました。
https://www.youtube.com/watch?v=Mqd8ZldAMEs

 “神田川”(1973・かぐや姫)
1950年代生まれの人に「あなたは『神田川』世代
ですか?」と聞けば、かなりの確率でYESでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=JSgyHiKESGw

“夢の中へ”(1973・井上陽水)
この歌に乗せられて、私は大学進学でなく演劇の道
を歩むことを決めました、なんちゃって。
この曲辺りからフォーク~ニューミュージックの
流れになって行きました。
https://www.youtube.com/watch?v=iL1u84C86ug
※おまけ “帰れない二人” with 忌野清志郎
https://www.youtube.com/watch?v=XF-XCE8oAjs

“あなた”(1974・小坂明子)
少女らしい声と率直な歌詞、しっかりした歌唱力で
ラジオや有線からヒットしました。テレビで彼女の
姿を見たのは随分後になってからでした。なので、
1973年12月発表の曲ですが、74年の曲として
私の記憶に残っています。
https://www.youtube.com/watch?v=txco4i2GpTE

“ふれあい”(1974・中村雅俊)
失恋の寂しさに、喫茶店のジュークボックスで
何度も何度も聴いてました。
https://www.youtube.com/watch?v=xypH-qVnfls

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2016年6月13日月曜日

我が青春の歌 Part1

青春の思い出に残る歌をご紹介しようと思ったら、
ドラマの題名じゃないけど「青春とは何だ?」って
しばし考えちゃいました。とりあえず青春の終わり
は結婚ってことにして、1983(S58)年、私が
27歳の年にしました。始まりは、モンキーズの
ドーナツ盤を何度も聴いていた中学1年生、ただし
アメリカでの発売は1968(S43)年なので、
私が小学校6年生の年にしました。

曲の選択にも悩みました。お気に入りの曲、想い出
と共に記憶に焼きついている曲など、とりあえず
どんどん書き出してみたら、出るは出るわ…。
多過ぎるんで、泣く泣く年2曲ずつに絞りました。
これまでのブログで既にご紹介した曲も多いので
恐縮ですが、ご勘弁下さい。

それでは参りましょう、我が青春の歌!
Here we go !

“Daydream Believer”(1968・Monkees)
日本の歌謡曲とは全く異質。ピアノの入りからして
当時は新鮮で、私を夢の世界に誘いました。中毒的
に何度もレコードを繰り返し聴いていました。
https://www.youtube.com/watch?v=nU615FaODCg
※おまけ:モンキーズ主演のドラマも、日本の
ドラマとは異質で、夢中で観てました。
https://www.youtube.com/watch?v=VNcqV_dC_gE

“人形の家”(1969・弘田三枝子)
“バケーション”で放ったパンチのある歌声と
ふっくらキュートなミコちゃんのイメージが
まるで別人に!しっとりとした歌で
持ち前の歌唱力が存分に活かされました。
https://www.youtube.com/watch?v=G1Pv1_AvLHY
※おまけ:ちなみにイメチェン前は…
https://www.youtube.com/watch?v=FL5bNN8XjT4&index=7&list=RD-k1oQemNw-8

“別れのサンバ”(1969・長谷川きよし)
盲目の歌手で、抜群のギター!
https://www.youtube.com/watch?v=06AXV0MRz5M

“Let it be”(1970・The Beatles)
ビートルズ世代でない私が、初めてリアルタイムで
彼らの歌を聴くきっかけになった曲です。それから
遡るように初期のいい歌をいっぱい覚えました。
「ほっとけよ。」というのが歌になるんだ…と
若干のカルチャー・ショックもありました。
https://www.youtube.com/watch?v=0D5JJZl6MB0

“Close to you”(1970・Carpenters)
私はカレン・カーペンターさんの歌唱力は最高だと
思って尊敬してます。大好きな歌いっぱいです!
https://www.youtube.com/watch?v=iFx-5PGLgb4

 “黒の舟歌”(1971・長谷川きよし)
恋愛関係にある男女の歌なのかも知れませんが、
私は自分と妹の歌だと思って大事にしてました。
https://www.youtube.com/watch?v=bBTw_oAmQ5w

“しおさいの詩”(1971・小椋佳)
しばらくの間、彼がどんな人であるか、誰も知り
ませんでした。当時は暗い曲が多かったですね。
https://www.youtube.com/watch?v=sQODHalzBW8

明日につづく

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2016年6月5日日曜日

児童劇との出逢い

演劇学校を卒業した私は、ある劇団の研修生になり
ました。小日向文世や余貴美子が同期生でした。
卒業する前に他社のミュージカル公演の出演依頼を
受けていたので、入団後すぐにミュージカルに出演
することになりました。しかも上演場所が、なんと
その劇団の劇場でした。当時その劇団で活躍して
いた笹野高史さんが観に来てくれました。

その劇団での私の立場は研修生ですから、給料は
頂けません。それどころか、レッスン代を払い、
公演の度にチケットノルマを課せられ、売れても
売れなくても、お金は収めねばなりませんでした。
公演中は毎日、劇場の準備・後片づけをさせられ
ました。当然、アルバイトとの両立が必須でした。

私のミュージカルを観て下さった今は亡き相米慎二
さん、後に『セーラー服と機関銃』を監督すること
になりますが、当時は助監督をされていた方が声を
かけて下さり、『星空のマリオネット』という映画
に出演しました。今は亡き三浦洋一さんの主演で
私は2シーンに出るだけのチョイ役でしたが、
ちゃんとギャラを頂きました。制作会社はATGと
いって、東映・松竹などの既存の大会社とは一線を
画し、新進気鋭の監督や俳優を起用して革新的な
映画を制作していました。桃井かおりさんや水谷豊
さんもATG映画を足場にスターになられました。

入団後すぐにミュージカル・映画と出演した私は、
劇団から「研修生は外の仕事は禁止。」と言われ
「ならば辞めます。」と言って退団しました。

でも、映画を観たラジオのプロデューサーから
声がかかり、ラジオドラマに1クール(3ヶ月間)
出演しましたが、プロデューサーへのサービスを
怠ったためにリピートが頂けず、演劇学校卒業後の
快進撃はそこで止まりました。

下積みの役者は仕事が来ないと、ただアルバイトに
明け暮れ、なけなしの金で芝居や映画を観たり、
飲み歩いたりという暮らしになります。気がつくと
私は、用もないのにATGの事務所に顔を出しては、
助監督さん達とだべったりしていました。情報を
頂き、永島敏行さん主演の『サード』、今は亡き
古尾谷雅人さん主演の『ヒポクラテスたち』、
荻野目慶子さん主演の『海潮音』のオーディション
を受けましたが、どの作品もチョイ役すら頂け
ませんでした。だんだん、仕事欲しさにATGに
出入りしている自分が卑屈に思えて来ました。

実は私、土・日・祝日に効率よく稼げるバイト
として、遊園地の野外ステージでぬいぐるみ劇を
やってたんです。で、そこで一緒だった女優さんが
児童劇に出ると聞いて、私も紹介してほしいと
お願いし、一緒に出演することになったんです。
最初は脇役でしたが、だんだん良い役がまわって
くるようになりました。出番もセリフもたくさん
ありましたし、何よりいつも満員の観客の前で
演じることが出来ました。自分の一挙手一投足で
泣いたり笑ったりしてくれる純粋な小学生達が…。

大分県別府市で『赤毛のアン』を上演し、終演後に
俳優が出口で観客を握手で送り出す『送り出し』を
していた時、顔を真っ赤に泣き腫らしたお母さんが
小さな3人の子どもさん達とともに、握手をして
帰られました。翌年『足長おじさん』という作品で、
同じ会館で公演し、今度はロビーで観客と俳優との
交流会をしました。その時、去年のあのお母さんが
3人の子どもさん達とともに参加しておられ、発言
されたんです。「去年、夫が急死し、私一人で幼い
3人の子をかかえ、正直無理心中しようかという
ところまで考えました。そんな時に『赤毛のアン』
の公演があることを知り、せめてこの子達に劇を
見せてやってから…、と思い鑑賞したら、とても
感動し、頑張って生きていく勇気を頂いたんです。」
そうおっしゃり、今度は私の方が、顔を真っ赤に
泣き腫らすことになりました。

私は、用もないのに映画会社に出入りしてる自分と
決別し、児童・青少年演劇と共に生きて行くことを
決心しました。

Because, that’s my life !

【お知らせ】

いつも、ご愛読頂き、有難うございます。
更新のタイミングですが、
これまでは月曜日の朝7:00~7:30頃でしたが、
今後は日曜日の午前中9:00~11:00に
させて頂こうと思っています。
また、イレギュラーな更新の際は、
なるべく事前にお知らせしたいと思っています。
今後とも、よろしくお願い致します。

ということで、来週いきなりイレギュラーな企画!
「我が青春の歌」Part1~4 を
13日(月)~16日(木)まで毎夜21:00~21:30
頃にアップする予定です。乞うご期待!

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