2017年6月25日日曜日

今出来ること

私事で恐縮ですが、私は今、
10月に試験を受けるために勉強中なんです。
ところが自分の頭がザルになってて、
たぶん若い頃の3倍以上は努力しないと
試験には受からないだろうなって思うんです。

もし合格出来なかったら、制度改正のため、
3年間おあずけを食らうことになるので必死です。
今の私は60歳。3年後の私は63歳。
頭はザルどころか、紙の千切れた金魚すくい
みたいになってるかも知れません。

以前、ある要支援の方の予防介護を1年強
やらせて頂き、その後2年間ご無沙汰を
してたんですが、その方から先日お呼びが
かかり、再契約させて頂くことになりました。

「お久しぶりですね~!」なんて言って
盛り上がるかと思ってうかがったら、
重たい空気の中で
寝たきりの状態になっておられました。
目もつぶったままで容易に開けません。

「お久しぶりです。前に足洗ったり、体拭いたり
 させて頂いてました。覚えてらっしゃいますか?」

かすかにうなづいて下さいました。

「明日から来なくていいよ。
 ここでじっとしてね。
 お迎えが来るの待ってるから。」

蚊の鳴くような声で、そうおっしゃいました。
寝たきりの状態になってしまったご自身を
未だ受け入れられていないご様子でした。

私は支援を始めるにあたり、
「心の通う会話を通じて、生きる意欲や楽しみを
 見出して頂く。」ことを支援の目標に掲げました。
支援内容はオムツ交換ですが、私流に
そのような目標にさせて頂きました。

昨日の支援中に
「いつ治るのかね~。」ポツリと呟かれました。
 私の声掛けに答えるのではなく、
ご自分から話されたんです。しかも、
「お迎えを待ってる。」よりずっと前向きです。

「若い頃と違いますからね。根気が要りますよ。
 でも、お迎えはまだ来ないみたいですから、
 生きること考えましょうよ。3年後には
 オリンピックですからね。旦那さんもちょうど
 90ですから。そこまで頑張りましょうよ。
 80代は鼻タレ小僧だって言いますから。」
旦那さんの顔にうっすら笑みが浮かびました。

「いま卓球の女の子達が強いんでしょ?
 あの子達がみんな東京オリンピックで金メダル
 取ったら楽しいでしょうね!」
旦那さんの目が少しだけ開きました。

私が以前お世話させて頂いてた頃、
旦那さんは85歳。今は87歳。
この2年間は重たいですね…

歳を重ねるということは
出来ることが、出来なくなるということです。
私も、今出来ることを精一杯やって行こうと
思いを新たにした今日この頃です。

Because, that’s my life !

名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
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2017年6月18日日曜日

普通に接する

親子が並んで腰掛け、
ある映像を見ています。
その映像には、
変顔をする老若男女の顔が
次々とアップで映し出され、
親も子も、その変顔の真似をします。
最後に障がい者が登場して変顔をします。
子どもは何の迷いもなく真似をしますが、
大人は凍りつき、真似することができません。

この実験を見て、
子どもには偏見も差別意識もないが
大人には偏見や差別意識がある良い証拠だと、
批判する人がいます。
「障がい者というレッテルを貼らないで、
 もっと普通に見てほしい。」という訳です。

皆さんなら、どうだったでしょう。
真似できたと思いますか?
介護に携わる前の私だったら
きっと真似できなかったでしょう。
でも、今の私は
「そういう実験なのね。」と即座に気づき
敢えて上手に真似するでしょう。

以前、私は
為末大さんのTwitterの話をご披露しました。
障がい者の支援者と称する人々が
こちらの言動を何かと批判するので
障がい者に関わるのは「面倒臭い」と感じてしまう、
という偽らざる気持ちを吐露していました。

また、私は
相模原障がい者施設殺傷事件の際、
被害者の実名を公表しないのは差別だという
批判の声が上がったことについても
私なりの感想を書かせて頂きました。

障がい者と健常者の間には
常にこうした行き違いがあるように思われます。
子どもが何の偏見も差別意識もなく真似できる、
それは予備知識も経験もないのですから、
当然であり、特筆すべきことではありません。
では、大人はどうして真似ができないのでしょう?

そこで私は、敢えて
多くの大人の健常者達の代弁をします。

自分の配慮のなさで
障がい者を傷つけてはいけない。
「お前は健常者だから解らない。」と
批判されたくもない。が、しかし
障がい者の気持ちが解らないのは事実だ。
どうすれば傷つけ
どうすれば傷つけないのか
実のところ、言われてみないと解らない。
解らないから臆病になる…
解らないから躊躇する…

不用意な言動が批判されることが度々あれば
おっかなびっくりになるのは無理からぬこと。
その警戒感が大人の健常者を凍りつかせるのだと
私は思います。

偏見や差別意識の証拠と断ずる論には
私は敢えて異を唱えたいです。
むしろ、気遣いからの躊躇だと弁護したいです。

大人の健常者にとって
障がい者を傷つけないよう配慮すると同時に
「普通に接する。」ということは、
とても難しいことなんです。

障がい者や、ご家族、支援者の皆さんが
大人の健常者を批判することは自由です。
実際、配慮に欠ける行為はよく見かけられます。
しかし、批判された人が素直に間違いを認め
改めてくれなければ、批判の意味がありません。
「面倒臭い。」と思われないような配慮を
お願いしたいところです。

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2017年6月11日日曜日

本望な死に方


自分は一生芝居をやるんだと
信じて疑わなかった頃
「70になっても体育館で子ども達に
    芝居見せていられたら素敵だな。」とか
「舞台でバッタリ倒れて、
    ボーダーライト眺めながら死ねたら本望だ。」
とか、マジに思ってましたよ。

介護者になったいま、
雨の日にカッパ着て支援に行って、
支援が終わって利用者宅を出たら
思いがけなく晴れてて、
ニコッとしたとたんにぶっ倒れて、
青空見つめながら死ねたら本望だ。
なんて言ったら怒られるかな。

神様がさ
「もうカッパ着なくていいから、こっち来な。」
って言ってくれてるみたいで
いいかもよ。
Because, that’s my life !

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2017年6月4日日曜日

将来像

まだ息子が幼かった頃
私は息子と一緒に
よく近所を散歩したものです。

私の息子は寄り道が好きで、
あちこちで立ち止まり、しゃがみこみ、
遅々として進まないのが常でした。
道端にしゃがみこんで、
石をいじっている息子を見て
「何が楽しいんだろう?」と思いましたが、
「本人が楽しいなら、いいじゃないか。」と思い、
私もしゃがみこみ、
石をいじくる息子の指先を見つめていたものです。

そのせいかどうかは解りませんが、
今30歳になる息子は私に似ず
おっとりとして屈託のない
誰からも愛されるような人間に育ったと、
親バカかも知れませんが
そう思っています。

子どもが大好きな私はいま、たくさんの子ども達と
接することのできる仕事を得て
幸せな日々を送らさせて頂いています。
介護の仕事の中に移動支援というのがあって、
A地点からB地点までの移動を安全に行う、
あるいは自宅を出て目的を果たし
帰宅するまでの移動を安全に行うための支援です。

そうした支援を行うにあたり
サービス提供責任者は、利用者さんやご家族、
そして相談支援専門員さんのご意向を受け、
移動支援計画書というものを作成します。
そこには長期目標や短期目標を書き込む欄があり、
実現可能な目標を期限を切って掲げます。

移動支援のための目標ですから、
当然、移動にまつわるエトセトラ
ということになります。そして、
障害福祉の1丁目1番地である「自立」
という概念から逃れることもできません。
しかも利用者さんが子どもの場合、
計画書の内容には
主に親ごさんのご意向が反映されるので、

長期目標:安全な登下校を維持しつつ、
            自立に向けて課題を克服する。
短期目標:信号遵守が出来るようになる。

などと書かれる場合が多いです。

長期目標:おっとりとして屈託のない、
            誰からも愛されるような人間に育つ。
短期目標:好きなだけ寄り道して、石をいじくる。

などと書かれることはありません。

子どもが大好きであるが故に
つい親のような気持ちで
その子の将来像まで考えてしまう私は、
この仕事にあっているようでいて
実はあっていないのかも知れません。
様々な制約がある中の「仕事」であるために
常に矛盾や不満を抱え、
その悩みから解放されるためには
「仕事だと割り切る」しかないからです。

それでも私は、
利用者さんやご家族とともに
将来像についての思いを共有しながら
仕事をしてみたいんです。

それが、私が大切にしている
「プラスアルファー」です。

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