2018年2月25日日曜日

いつも笑顔で

スピードスケート女子500mに優勝した
小平奈緒さんのアシスタントトレーナーは、
バンクーバー、ソチで同部屋だった親友、
石沢志穂さんだったそうです。
小平さんは石沢さんに
「慰めたり励ましたりしてくれなくていいから、
いつも笑顔でいてほしい。」と言ったそうです。
頂点を目指すほど精神力の強い方の言葉だけに、
胸迫るものがありますね。

オリンピック選手を見ていて感心するのは、
試合後のインタビューで
勝った人の自慢話や
負けた人の言い訳が聞かれないことです。
プロ意識と言いましょうか、
素晴らしいと思います。

プロとは何ぞやという話になると、「お金を稼ぐ
のがプロ、稼がないのがアマ。」とか「アマに
出来ない凄いことをやってのけるのがプロ。」
とか、色々ご意見があると思いますが、
私はこう考えてるんです
「アマはプロセスが大事、プロは結果が大事。」
「アマは言い訳の必要がなく、
  プロの言い訳は通用しない。」

巨人・大鵬・卵焼き世代の私が思い浮かべるのは
「記録に残る王。記憶に残る長嶋。」です。

テレビの普及とともに
プロ野球を国民的な人気スポーツに育てた
立役者である長嶋さんは、チャンスに強く、
努力型の王さんと比較され天才と称されたものです。
けれども彼のモットーは
「人の見ていない所で血の滲むような努力をし、
華やかな舞台では、いとも軽々とやってのける、
それがプロ。」でした。

ホームランの世界記録を塗り替えた王さんは、
シーズン30HRを放ちながら
「王貞治のバッティングが出来なくなった。
人は30本もというが、私には30本しか、
なんです。」と言って引退されました。

介護の仕事に勝ち負けはありません。
余人をもって代え難い才能を
求められる訳でもありません。
しかし、お金を頂いて働く以上、
プロであることに違いありません。

「結果が全ての言い訳なし。」
それは苦しい苦しいものです。
しかし結果を出すこと以外に
その苦しみから逃れる方法はありません。
だからこそプロは、
人の見ている所であろうがなかろうが、
出来る限りの努力をするのでしょう。
「いつも笑顔でいてほしい。」と
願う心が痛ましいです。

私も歳を言い訳にすることは出来ません。
……やるっきゃないですね。

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2018年2月18日日曜日

ターニングポイント

誰にも
人生のターニングポイントがあるでしょう。
私の場合、高校2年生の年末に
人生初にして最大の
ターニングポイントがやって来ました。

私は高校1年生の秋に、
クラリネット奏者になる志を捨てました。
それから1年間、大学受験を目指して
塾へ通っていました。英語が得意だったので、
英文科を出て語学力を活かせる職に就こうと
考えていました。ところが、高校2年生の秋に
文化祭でちょっとした出し物をやり、
翌年に本格的な創作ミュージカルをやろう
という話が持ち上がり、私は自分の進路について
大学受験以外の道を考えるようになりました。
演劇学校に進み、演劇の道で生きる…。

私は年内に決めてしまおうと思いました。
演劇の道へ進むなら、高校生活最後の1年を、
学業を顧みず創作ミュージカルに打ち込む
1年にしたかったからです。
その年の末に、私は父に
演劇の道へ進みたいと打ち明けました。
「芸の道へ進むなら学歴は関係ない。
実力の世界だから思いきりやれ。
ただし、決して後悔するな。」そう言って
父は私の背中を押してくれました。
その父も7年前に他界し、
今は私の背中を押してくれる人はいません。

人生の岐路に立った時、
右へ行くにも左へ行くにも、
留まるにも引き返すにも、勇気が必要です。
一歩踏み出すには、
己の信じる道を見出さねばなりません。
そして、決して後悔しないことです。

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2018年2月11日日曜日

自分流

今までにご紹介してきた素敵な言葉たちが
頭に浮かんで来ます。

『なぜ山に登るのか、そこに山があるからだ。』

イギリスの登山家ジョージ・マロニーさんが
エベレスト登頂に挑んだ際に、記者から
「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」
と問われて、それは愚問だと言いたげに
「そこにエベレストがあるから
(Because it's there. )」と答えたんだそうです。
その言葉が日本では
「好きなことをするのに理由はいらない。」
と解釈され定着したようです。

『目標がその日その日を支配する』

横浜高校の創立者である黒土四郎さんの言葉で、
横浜高校を甲子園常連校に育て上げた
元野球部監督の渡辺元智さんが
座右の銘としていたそうです。

「富士山に登る第一歩
三笠山に登る第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
どこまで登るつもりなのか
目標がその日その日を支配する」

黒土さんは、そうおっしゃったそうです。
目標を掲げてそれを達成しようとする人は、
そのために自分のすべき事を考え、
1日のスケジュールを組み立て実行する。
自己管理の能力が必然的に備わるんですね。

『努力できることが才能である』

これは、晩年石川県加賀市に移り住み
九谷焼の創作に没頭した、
画家であり陶芸家の硲伊之助さんの言葉です。
松井秀喜さんの父、昌雄さんは
その言葉を紙に書いて2人の息子に渡しました。
秀喜少年はその紙を部屋に貼り
座右の銘にしたそうです。

要介護者が介護サービスを受けようとすると、
ケアマネだのサ責だのが
入れ替わり立ち替わりやって来て、
根掘り葉掘り聞かれた挙句に
「長期目標と短期目標を考えましょう。」
などと言われることになりますが、
マロニーさんのように
理屈抜きに好きなことができ、
黒土さんのように1日のスケジュールを組み立て、
硲さんのように努力を続けられるなら、
たとえ要介護者になっても、
他人様にとやかく言われず
自分流に充実した日々を
送って行けるのかも知れません。

名言・格言と出会った時
「確かにね~」と感心しているだけでなく、
確実に自分流の中に取り込んでしまうのも
いいかも知れませんね。
私の登る山は、さほど高い山ではありませんが、
そんな風にして生きて来たし、
最期までそうありたいと思っています。

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2018年2月4日日曜日

スマホのない時代

私が幼い頃にテレビ・洗濯機・冷蔵庫、
いわゆる三種の神器と言われた家電製品が
各家庭に普及しましたが、
電話が各家庭に普及し始めたのは、
私が小学校3~4年生の頃でした。

当時の電話はダイヤル式の黒電話、
それも旧式のやつで、大家さんのうちにしか
ありませんでした。ですから、親戚縁者から
かかって来ると大家さんが
「武内さ~ん、電話ですよ~!」って
呼びに来てくれて、大家さんちに上がり込んで
話をさせてもらう…。お互いプライバシーも
へったくれもなかった訳です。

こっちからかける時は公衆電話でしたね。
昔はタバコ屋さんに赤電話がありましたよ。
電話ボックスも徐々に増えて、
長電話する時は10円玉積み上げて、
長距離の時には百円玉積み上げて
かけてたもんです。
テレフォンカードなんてもんが出来たのは、
ずっと後のことですからね。

携帯がなかった時代は、人との持ち合わせに
苦労しましたね。駅の改札とかハチ公前とか、
解りやすい所を待ち合わせ場所にしてね。
相手がなかなか来ないと、掲示板に
「先に行ってます。」とか書いてったりしてね。
デートの待ち合わせで何分まで待てるかで
その人の性格や本気度を感じる取ることも
ありましたよね。

メールなんてのも当然ありませんでしたから
文通でしたね。私は高校生の頃に、1年上の
先輩と滅茶苦茶頻繁にやり取りしてました。
家庭内で色々あった頃だったので、とても
救われましたよ。

私は家電で誰かにかけて長話するってことは
ありませんでしたが、思春期になると家電で
しょっちゅう交際相手と長電話して
月の電話代がとんでもない額になったと
親からお目玉食らう人もいたようですね。

携帯電話が普及したのは、私が30代後半に
なってからですよ。最初はお金持ちだけが
肩からでっかいの下げてやってましたね。
すぐにバッテリーがなくなっちゃってね。

ワープロがパソコンになってったのも
ほぼ同時期でした。その頃はインターネット
なんて言われても何のこっちゃ解らなかった
けど、今じゃどうですか、スマホなしには
生きられなくなっちゃいましたね。

この四半世紀の変化、凄まじいですね!
まかり間違って、もう四半世紀生きるような
ことになっちゃったら、
いつまで変化に着いていけますかね?

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