2015年10月26日月曜日

幸せになる権利

「来年は還暦ですよ。」と言って
「お若く見えますね。」なんて
返して下さる方がいると、お世辞でも
嬉しいもんですよね。私も、ほんの
ちょっとでも実際のお歳より若く
見える方には「え~見えませんね~。」
って言います。どう見てもお歳より
老けて見える場合には嘘は言えませ
んので、別の誉め所を探します。

『慰めの嘘 救いの真実』

マクシム・ゴーリキー作「どん底」
という古い戯曲のテーマです。
20世紀初頭のロシアを舞台に、
とある木賃宿で歌と酒だけを娯楽に
暮らしている貧困層の人々を描いて
います。その中に、死を直前にした人
を優しく慰める巡礼者がいました。
(今の日本にも臨床宗教師がいて
重い病に苦しむ人々の心のケアを
されています。)

慰めの嘘を言ったところで、しょせん
気休めにしかならず、その人を本当に
救うことはできない。むしろ必要な
ことは、残酷なようでも真実を伝え
救いの道を探求することだと、作者は
この劇を通じて訴えています。私は
18歳の時にこの戯曲を読み
「なるほど。」と納得しました。

でも今は、ちょっと違います。
私達にとって唯一確実な真実は
生まれてきたことと死ぬことです。
そして、その間の『生きる』時間の中
においてさえ、不条理な運命と向き
合わざるを得ない場合もあります。
救いの道は嘘より真実の方がいいに
決まってますが、そうも行かない場合
も多々ありますよね。

『幸せになる権利は誰にでもある』

月並みな言葉かも知れませんが
今日まで生きてきた私が、ずっと持ち
続けてきた持論です。慰めの嘘だろう
が救いの真実だろうが、とにかく希望
の光を見出すこと、失意の底から抜け
出すことが大切じゃないでしょうか?

作曲家にとって命とも言える
聴覚を失ったベートーベンは
失意の底から這い上がり
やがて歓喜の歌を描きました。
彼には、聴覚がなくても作曲は出来る
という救いの真実がありました。

戦場で武器弾薬も食料も尽き、飢えと
病に苦しみ、死を目前にした兵士が
残した日記からは、最後まで自分の死
の意味について前向きに考えようと
する人の姿が伝わって来ます。彼ら
には救いの真実はなかったにせよ
日本はきっと勝利する、靖国の桜と
なって戦友と再会する、などという
慰めの嘘がありました。

どんな境遇にあろうとも
どんな理屈であろうとも
幸せになる権利は誰にでもあると
信じなければいけませんね。
私も、どんな状況になろうとも
この世を去る最後の瞬間まで
その精神を貫いてみたいです。

Because, that’s my life !

武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
E-mail:
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