『河北新報』という新聞があります。
東北一帯で売られている新聞です。
戊辰戦争の際に薩長軍から
『白河以北一山百文』と
侮辱されたことから
『東北日報』を『河北新報』と改め
東北人の意地を示したんですね。
戊辰戦争からさかのぼること800年
中尊寺金色堂や源義経をかくまって
頼朝軍と戦ったことで有名な
奥州藤原氏が100年間に渡り
(1087~1189)中央政権と
戦い続けた歴史があります。
更にそこからさかのぼること300年
将軍アテルイと福将軍モレを中心
とした蝦夷(えみし)の人々が30年
間に渡り(774~802)戦い、最後
は2人が征夷大将軍坂上田村麻呂に
降伏し大阪府枚方市で処刑された
という歴史があります。
征夷大将軍とは、朝廷に服従しない
蝦夷を征討する将軍という意味です。
蝦夷とは朝廷側が勝手につけた
呼び名であり、都の貴族は彼らを
野蛮人扱いしていましたが、実は
彼らこそ,ずっと以前から
日本列島に住み続けていた
ネイティブ・ジャパニーズなんです。
朝廷を中心とする大和民族は
大陸からの渡来人を祖先に持つ
好戦的な人々なんで、本当は自分達
こそ野蛮人だった訳です。
こうして歴史を紐解いてみると
東北の人々は中央政府からの
理不尽な干渉・攻撃と
戦い続けてきた訳です。そして
そうしたことへの怒りと
自分達は野蛮人ではないという
プライドを強く持った人々である
と言えるんじゃないでしょうか?
東日本大震災で世界中を感動させた
道徳的な振る舞いは
そうしたプライドがあってこそ
なのかも知れませんね。
私は劇団の営業で長年
東北にも行っていましたから
東北人の気質は良く解っています。
とにかく、日本一優しいです。
義理堅いです。新参者でも
優しく歓待して下さるので
「商談成立かな?」と
つい思ってしまうんですが、既存の
取引先を軽々しく切るようなことは
なかなかなさらないんです。
ですから、東北人とのおつき合いには
本音が見えない難しさがあります。
最近はテレビの影響で、郷土の言葉
を恥じるなんて人はいなくなったと
思いますが、昔は他地域の人から
『ズーズー弁』と言われるので
郷土訛りを隠そうとする人が
ほとんどでしたよ。
「どちらから?」と聞かれて
「東京から。」と私が答えると
パーっと笑みがこぼれて
「道理で言葉がきれい。」と言われる
ことがしょっちゅうありましたよ。
To be continued
武内利之の「ザッツ・ライフ」
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