自分がプロデューサーとして手腕を
ふるい、営業成績をあげることは、
自分の努力で出来ることでしたが、
思うようにならなかったのは
人を育てるということでした。
私は元来芸術家肌で、人と関わるのは
得意な方じゃありませんでした。
音楽家志望の学生時代から、芸は盗む
もので、教えて貰うものではない
という感覚で生きて来ました。
また、営業というものは天性の人柄
(第一印象や説得力)が大事で、
あとは気を抜かずコツコツやれるか
どうかなんです。私が或る劇団に
入った時には「パンフを良く読んで
売ってくりゃいいから。」と言われて
先輩に同行もしてもらえず、いきなり
一人で地方営業に行かされました。
それでも自分なりに営業して、
1年目からダブルスコアで先輩達の
成績を上回ることが出来ましたが、
人を育てる立場になった時、私は
自分がされたように乱暴に部下を
放り出すことは出来ませんでした。
「今は営業してるけど、いずれは自分
の企画をプロデュースしたい。」という
モチベーションをガチっと植えつけて
おかないと、どうせ1~2年で辞めて
しまうと思ったからです。
私がリーダーになった頃は
バブルが弾け、人材も売り手市場から
買い手市場に変わりつつありました。
けれども私は、面接の時から一貫して
後輩達の動機づけに努めました。
採用後は私と二人で1週間、地方営業
をしながら友好を深めましたが、
いきなり上司との二人旅は、さぞかし
気が重かったことでしょうね。
でも私は最初が肝心だと思いました。
営業ノウハウだけでなく、ホテルでの
暮らしぶりや自分の夢など、私が
持っているものを惜しみなく伝え、
あとは独自にモチベーション作って
羽ばたいて行ってほしかったんです。
しかしそれも
あまり効果はありませんでした。
年200日以上の出張を毎年続ける
ことは、普通の人には無理でした。
いつか自分の企画を実現したいという
夢を持つ人もいませんでした。
「しょせん自分達は社長の自己顕示欲
を満たす為の遊び道具に過ぎない。」
という彼らの無力感を払拭することが
最後まで出来ませんでしたし、
私の心の中からも、その思いが
消えることはありませんでした。
新劇団では作品の質にこだわり
他を圧倒する作品を世に出したので
すぐに軌道に乗りましたが、そこの
社長が手の平を返したようにワンマン
になってしまったので、優秀な人達が
反発し退団してしまいました。
その時も私は、彼らを引き止めること
が出来ませんでしたし、私も数年後に
演劇界から去ることになりました。
俳優には演技力
営業マンには営業力
管理職には人間力が必要です。
武田信玄は「人は石垣、人は城。」
と言って家臣を大切にしましたが
人間力があったんでしょうね、きっと。
THE END
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
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