民意が軽んじられる時世に、私達は
歴史から何を学ぶべきでしょうか?
☆佐藤幸徳さん(1893~1959)
インパール作戦に参加した3師団の
うちの1つ16600名の師団長でした。
彼は作戦決行前から、補給を軽視した
計画の無謀さを訴え、戦いが始まると
予想通り武器・弾薬・食料が尽きかけ、
上司に補給か撤退のどちらかを要求
し何度も打電するも聞き入れられず、
独断で撤退し部下の命を救いました。
日本軍史上、極めて稀なことでした。
【インパール作戦】
1944年3月から約4ヵ月間に渡り、
3師団(約5万人)がインド北東部
のインパール攻略を目指した作戦。
甲府から岐阜まで日本アルプスを
越えて行くような過酷な作戦であり
ながら、補給を軽視した無謀な計画で
戦死者11400名、病死・餓死者
11500名、行方不明1100名を
出し敗北。兵士が歩いた道筋に無数の
死体が放置されたので、白骨街道と
呼ばれました。佐藤氏が打電したのは
牟田口司令官、そのまた上司は川辺
司令官で、両名とも4月には敗北を
悟りましたが、中止を言い出した方が
責任を問われると恐れました。川辺
「牟田口は言いたくても言えない
顔色だったが露骨に聞かなかった。」
牟田口「喉まで出かかったが言えなか
った。顔色で察してほしかった。」
と述懐しています。5月に現地視察
した大本営の参謀は「作戦は失敗。」
と判断、しかしその報告が東條英機に
は「極めて困難」と伝えられ、東條は
天皇に「既定方針の貫徹に務める」と
上奏しました。結果、兵士達は7月
まで補給のないまま戦場にほったら
かしにされました。佐藤氏は自らの命
と引き換えに作戦失敗の責任を解明
するため、軍法会議にかけられること
を望みましたが、陸軍はその責任が
軍中枢に及ぶことを恐れ「佐藤中将、
心神喪失につき不起訴。」としました。
後に佐藤氏は「大本営、南方軍、
ビルマ方面軍、15軍という馬鹿の
4乗がインパールの悲劇を招いた。」
と痛烈に批判しました。
☆杉原千畝さん(1900~1986)
リトアニアのカウナス領事館に赴任
した彼は、ナチスの迫害から逃れて
欧州各地から来たユダヤ人に同情し、
1940年の夏に約1ヵ月間、外務省
の訓令に反して大量のビザを発給し、
約6000名の命を救いました。
今ではその子孫が20万人にも増え、
世界のあちこちで暮らしながら
彼の功績を語り継いでいます。
【杉原千畝さんの言葉】
浅慮で無責任な職業軍人グループの
ナチス協調に迎合し、全世界に勢力を
擁するユダヤ民族から永遠の恨みを
買ってでも、旅行書類の不備云々を
理由にビザ発給を拒否することは
出来るが、果たしてそれが国益に叶う
ことだろうか?私は1晩中、苦慮、
煩悶の揚句、ついに人道・博愛精神
第一という結論を得た。そして私は、
何も恐れることなく職を賭して
これを実行したと今も確信している。
他人の子を戦場に送り込みたいなら
自分の子や孫を最前線に送り込む
ことを必須とする法律を作って
信念を示してはいかがでしょう?
肉親を戦場に送り込みたくない人は
民主政治が多数決によって行われる
ことを理解し、選択した政権が
何をやらかすかを良く見極め、
信念を持って投票されては
いかがでしょう?
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
E-mail:
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