何にでも依存症のリスクがあると
私は思っています。依存症の定義を
「生命の維持に必ずしも必要でない
のに断ち切ることのできない習慣」
とするなら、麻薬や酒・煙草などの
他にも、ギャンブル・買い物などの
個人破産型、ゲーム・スマホなどの
引籠り型、趣味に没頭するオタク型、
好物ばかり飲食する偏食型なども
依存の一種かも知れませんね。
その他にも、
精神衛生上おおいに役に立ってる
依存もあるんじゃないかって、最近
思い始めてるんですよ。
おしゃべりです。
「悩みを打ち明けられて、ちょっと
気持ちが楽になった…。」なんて、
女性はよく言いますよね。『ガス抜き』
なんて言葉もありますが、会社や亭主
への不満や他人の悪口を、のべつ
言ってる方とか、自慢話や今日食べた
献立など、他人からすればどうでも
いいような話が習慣化されてる方
とか、結構いらっしゃるでしょ?
そういう天真爛漫な方を見るにつけ
「これも依存症の一種か?」と
感じてしまうんですが…
果たして人は
生活に必要な最低限の会話だけでは
生きて行けないものなんでしょうか?
私は家庭以外で人と話をする時
相手のペースに逆らわないように
自然と気を使ってしまうので
自分のペースで言いたい放題言える
場所があったら気分いいだろうなァ
って思いますよ。じゃあ家庭では
どうかと言えば、やっぱりそうは
いかない悲しい現実があるんです。
同居してる女性陣にもちゃあんと
気ィ使って、話聞いてやらなきゃ
ならないんですよ。
女性のしゃべりたい欲望は
ま~ハンパじゃないです。
私の場合、自分が話してるのに
相手が上の空だったりしたら
嫌んなって話やめちゃいますけど、
ウチの女性陣は違います。
明らかに相手が生返事していても
勝手にしゃべってます。私が
いい加減眠くなってきて上下の瞼が
くっついちゃっても、ハッと目が
覚めると、まだしゃべり続けてます。
「結論が欲しいんじゃないの
ただ聞いてほしいだけなの。」って
女性は言いますが、実は聞いて
ほしいんでもなくて
ただしゃべりたいだけなんですね。
ですから私は、
同居人との共有時間を極限まで削り、
自分だけの趣味の世界に逃げこむ
ことで、己のしゃべりたい欲求を
まぎらわしているんですが…。
人はそれを
孤独と呼ぶんでしょうか?それとも
趣味への依存と呼ぶんでしょうか?
皆さんは
いかがお感じになりますか?
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の朝に更新。
E-mail:
at-home-takeuchi@aqua.ocn.ne.jp
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