2014年12月31日水曜日

笑わない人々

私は小学校5年生の時に
ピアノを習い始めました。
自分が望んだのではなく
親が勝手に習わせたんです。
音楽専科のO先生が立ち上げた
アコーディオンバンドで
スネア・ドラムを叩き始めたのも
ちょうどその頃でした。

そして私が小学校を卒業した春休み
「中学に行ったら何のクラブに
入るんだ?」と父が聞くので
「ブラバンかバレー部かな…。」
と答えると、父は翌日、私の目の前に
クラリネットを置きました。
同じオーケストラの演奏家から
中古の楽器を売ってもらったんです。
必然的に、私はブラバンに
入部することになりました。

そして私が中3になる前の春休み
親と相談して
芸大を目指すことになりました。
才能があったからではありません。
貧乏だから私立の音大には
行けなかったというだけです。
芸大出身の先生に
クラリネットの個人レッスンを
受けることになり、その他にも
ソルフェージュや聴音のレッスンも
受けることになりました。

ソルフェージュとは
楽譜を初見で歌う訓練でした。
聴音とは先生が弾くピアノの音を
楽譜に書くという訓練でした。
単旋律ではありません。
両手で普通に引くんです。
3回弾いても書き終わらないと
何で?って感じになっちゃうんです。
何故なら、他の生徒は皆
3回聴けば書けちゃうからです。
ソルフェージュも
#がいくつ付いてようが
♭がいくつ付いてようが
初見でスラスラ歌えちゃうんです。

いや~
英才教育の凄さを初めて知りました。
絶対音感は10歳までにというのが
常識なのに、私は10歳でようやく
ピアノを始めたんですから
お話になりません。

私はそれまで劣等感というものを
味わったことがなく、特に音楽では
右に出るものはいないという自信に
満ち溢れていましたので
ショックもショック、谷底へ
突き落されたような衝撃でしたよ。
絶対音感のある人は
皿の割れる音も楽譜に書けると聞き
こりゃダメだと思いましたね。

しかし、才能はともかくとして
1年半、私と一緒にグループレッスン
を受けていた優秀な生徒達は、一度も
笑顔を見せませんでした。口数も
少なかったです。エリートって
そうなんでしょうか?

ちなみに私は
未だにヘラヘラ笑ってます。

武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の夜に更新。
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