今日は、久々に政治の話をします。
政界の劣化が目に余るからです。
「支持政党なし」の国民が65%などどいうのは
異常な事態ですよね。
政界の劣化は国民の劣化と言われぬよう、
私は問題提起したいです。
補完勢力という言葉をSNSでよく目にします。
是々非々で対応する政治家や政治勢力を
野党支持者が揶揄してそう呼んでいるようです。
「一歩下がって全体を眺めてごらんよ!」って
私は言ってみたいですね。「最強の補完勢力は、
あなた方の背後にいるかも知れないよ!」って。
政権を担う意思がなく、
批判ばかりで対案を示さず、
「政権打倒」を叫んで有権者をたぶらかし、
批判票を頂いて現状維持や微増をもくろむ人々、
いわゆる万年野党の人々は是々非々どころか
何一つ政策を実現することなく、
政治家業を生業とし続けます。
「公約し、負託を受け、実現する。」という
政治家として基本的な志さえない人々を、
政治家だと思い込んではいないでしょうか?
「健全野党」などと言う人を食ったような人々に
願いを託したりしていないでしょうか?
そんなものを信じても
何一つ望みは叶いませんね。
この5年間の政治を見ていれば一目瞭然です。
政権交代可能な二大政党制
と言われて久しいですが、
2つの政党が、国民の選択肢たる政策を提示し
国民の付託を得たほうが政策を実現する、
そんな世の中には
なかなかなってくれないようですね。
選挙が近づくと、マスコミでも、SNSでも、
「選挙に行きましょう!」と呼びかけています。
私もこれまで、いかに選択肢がなかろうと
比較法や消去法で投票するようにしてきました。
でも最近は、白票を投ずることもあります。
選挙は選ばされるのではなく、選ぶものであり、
選ぶものがないのなら、その通りに
意思表示をすべきだと悟ったからです。
選択肢がないのに、しぶしぶ投票すると
それは積極的に投票した1票と何ら変わらない
1票になってしまいます。そういう票が、
実はたいして支持されてもいない議員を
当選させ、支持されたと勘違いさせ、
ひいては政治の劣化につながって行くんです。
一方で、落選運動というものもあり、
気持ちが解らないわけではありませんが、
じゃあ代わりに当選した人が
もっと酷い人だったらどうする?って考えると、
その無責任さに賛同することは出来ないんです。
白票が増え、話題になり、有権者のメッセージが
政治家達に伝われば幸いですが、
たとえ伝わらなくても、自分の意思を
より正確に表示する方法が白票であるなら、
その方法を選ぶのが有権者として
最も真摯な態度なのかなって思う
今日この頃です。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年7月16日日曜日
2017年7月9日日曜日
心痛める
「努力できることが才能である」
松井秀喜さんは、この言葉を座右の銘にして
少年の頃から野球の練習に励んだそうです。
「夢は世界新記録」と語る
サニブラウンさんが教えてくれるのは
「夢を見られることが才能である」
ということなんでしょう。
以前にもお話したように、
介護には支援計画というものがあり、
達成可能な目標を掲げて行います。
散歩に出られるようになるとか、
トイレに行けるようになるとか、
ADL(日常生活動作)が向上すると
QOL(生活の質)も向上するってことになります。
バイタル(体温・脈拍・血圧など)や、
皮膚や、持病の状態をチェックするなど
医療の下請けのようなことをするのも、
QOL(生活の質)の向上につながるようです。
つまり、
身体能力の改善が生活の質を高める
という考え方です。
ならば、難病が発症して
向上どころか現状維持さえままならない人には
生活の質を高めることはできないのでしょうか。
目標の掲げようもなく、
苦し紛れの作文をするしかないのでしょうか。
「身体の改善がなんぼのもんじゃい!」
なんて言ったら、叱られちゃいますかね?
身体の改善はご本人にも、ご家族にも、
ヘルパーにも、認定調査員にも目に見えるし、
数字にも表せるから解りやすいですね。
目標や評価を複数の人間が共有しやすいです。
でも、心の改善なんて
目に見えないことを言い出したら
目標や評価を客観的事実として
皆が共有することは
難しくなっちゃいますもんね。
そもそも、生活の質なんてものは
極めて個人的な価値観に基づいて語られるもので、
それを測る物差しなんてありません。
それを、やれケアマネだ、サ責だ、ヘルパーだと、
赤の他人が営利目的でやって来て、
寄ってたかって「高めて行きましょう。」
なんて言うこと自体、独善的なんですね。
「お世話させて頂きます。」って言って
愚直に働いておればそれでいい訳です。
私の場合、
「生活の質」なんて大仰なことは
恥ずかしくて言えないにしても、
出会った人に少しでも「幸せ感」を
感じてほしいって気持ちはありますよ。
でも、そのためには
身体より心の改善の方が遥かに大事だって
気がするんですね。
モチベーションが大事だって。
だから、2年ぶりに再開した寝たきりの旦那さんの
目標を私流に「心の通う会話を通じて、生きる意欲
や楽しみを見出して頂く。」とさせて頂いたんです。
もし旦那さんが「夢は世界新記録」とおっしゃれば
「いいですね!かけっこですか?
他のことですか?何に挑戦します?」って
本気で聞くでしょう。
けれども、
精神世界の広がりについて語る介護者に
私、お会いしたことがないんですよ。
研修のテーマにも
「精神世界の広がりが生活の質を高める」
なんてのはありませんし、
介護日誌のチェック欄にも
心の動きを記録する欄はありません。
「笑顔が見られました。」なんて備考欄に書くのが
心模様伝える精一杯の客観的記述なんですね。
しかし、そうだとしても、
その矛盾を自覚しているかどうか、
その矛盾に心痛めているかどうかで、
介護者の質に差が出るんじゃないかなって
私は思うんですよ。
心痛めるって、大事じゃないですかね。
伝わると思いますよ、心の奥行きが…。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年7月2日日曜日
火の玉になって
去年の1月下旬に
私は介護福祉士の試験を受けました。そして、
その日の夕方にはネットで答え合わせして、
合格を確信しました。すかさずAmazonで、
ケアマネ試験過去問集を買って、2年後の
ケアマネ試験に向けて勉強を始めました。
2年後と言っても正確には1年8ヵ月後、
平成29年の10月上旬です。
介護福祉士の合格率が64%前後なのに対し、
ケアマネの合格率は17%前後と、俄然難しく
なると聞いてたし、自分の年齢から考えても
万全を期すに超したことはないので、
介護福祉士の試験が終わったらすぐに
勉強を始めようと決めてたんです。
介護福祉士の勉強も5年分の過去問集を買い、
とりあえずやってみたんですが、その時は
いきなり及第点(60%以上の正答)でした。
ところが、ケアマネは50%にも満たない
正答率で、いきなりガーン!!ときました。
「こりゃあ、気合い入れてやんなきゃ!」
って思いましたよ。
認知症対応型共同生活介護・地域密着型特定施設
入居者生活介護・地域密着型介護老人福祉施設の
必要利用定員総数は市区町村が定めるべき事項
…なんて、漢字ばかりの文章と格闘する日々が
始まりました。
5年分の過去問を4回繰り返し解く間に、解説を
抜き書きし、42ページのマイテキストが
出来上がりました。それを常にリュックに入れて
ちょっと空いた時間にも読む癖をつけました。
今年に入って、前年10月の試験を入手し
やってみたところ、残念な結果に…
合計点では及第点を3点上回るものの、
介護問題25問中15点、
医療・保健・福祉問題35問中21点という
それぞれでクリアしなければならない
ハードルがクリア出来ませんでした。
介護問題が1点足りなかったんです。
私は介護福祉士なのに介護問題が取れません。
介護保険法を丸暗記してなきゃ解けないような
問題がずらりと並んでいます。
「介護保険法第1条又は第2条に規定されてい
る文言はどれか。3つ選べ。」とか「介護保険法
第8条に規定されている居宅介護支援の内容と
して正しいものはどれか。2つ選べ。」とか…
知るかっつうの!専門用語を多用したり、
質問の仕方も、わざと解りにくくしてあって、
いかにも『落とすための試験』って感じです。
医療・保健・福祉の問題は常識や勘でも
何とか答えられる問題が多いです。
5月に入って模擬試験を購入し、勉強方法を
過去問から模試に切り替えました。ところが
模試は更に難しかったです。
「指定居宅介護支援事業者から指定居宅介護
支援を受けた場合には、居宅介護サービス
計画費として10割が現物給付される。」
◯か☓か?なんて、「ケアプランは無料」って
ことを、わざわざ解りにくく書いてあります。
それでもめげずに、3つの模試をやりながら、
解説をマイテキストに書き加え、56ページに
なりました。毎晩90分、休日には5時間ほど
勉強する毎日を過ごしています。
今後はマイテキストを何度も読み返し、確実に
記憶して行く一方で、時折過去問をやり直し、
物足りなければ別の模試も買って、最終的な
腕試しをしてみたいと思います。
試験日は10月8日(日)、あと3ヵ月です。
火の玉になって頑張ります!
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
私は介護福祉士の試験を受けました。そして、
その日の夕方にはネットで答え合わせして、
合格を確信しました。すかさずAmazonで、
ケアマネ試験過去問集を買って、2年後の
ケアマネ試験に向けて勉強を始めました。
2年後と言っても正確には1年8ヵ月後、
平成29年の10月上旬です。
介護福祉士の合格率が64%前後なのに対し、
ケアマネの合格率は17%前後と、俄然難しく
なると聞いてたし、自分の年齢から考えても
万全を期すに超したことはないので、
介護福祉士の試験が終わったらすぐに
勉強を始めようと決めてたんです。
介護福祉士の勉強も5年分の過去問集を買い、
とりあえずやってみたんですが、その時は
いきなり及第点(60%以上の正答)でした。
ところが、ケアマネは50%にも満たない
正答率で、いきなりガーン!!ときました。
「こりゃあ、気合い入れてやんなきゃ!」
って思いましたよ。
認知症対応型共同生活介護・地域密着型特定施設
入居者生活介護・地域密着型介護老人福祉施設の
必要利用定員総数は市区町村が定めるべき事項
…なんて、漢字ばかりの文章と格闘する日々が
始まりました。
5年分の過去問を4回繰り返し解く間に、解説を
抜き書きし、42ページのマイテキストが
出来上がりました。それを常にリュックに入れて
ちょっと空いた時間にも読む癖をつけました。
今年に入って、前年10月の試験を入手し
やってみたところ、残念な結果に…
合計点では及第点を3点上回るものの、
介護問題25問中15点、
医療・保健・福祉問題35問中21点という
それぞれでクリアしなければならない
ハードルがクリア出来ませんでした。
介護問題が1点足りなかったんです。
私は介護福祉士なのに介護問題が取れません。
介護保険法を丸暗記してなきゃ解けないような
問題がずらりと並んでいます。
「介護保険法第1条又は第2条に規定されてい
る文言はどれか。3つ選べ。」とか「介護保険法
第8条に規定されている居宅介護支援の内容と
して正しいものはどれか。2つ選べ。」とか…
知るかっつうの!専門用語を多用したり、
質問の仕方も、わざと解りにくくしてあって、
いかにも『落とすための試験』って感じです。
医療・保健・福祉の問題は常識や勘でも
何とか答えられる問題が多いです。
5月に入って模擬試験を購入し、勉強方法を
過去問から模試に切り替えました。ところが
模試は更に難しかったです。
「指定居宅介護支援事業者から指定居宅介護
支援を受けた場合には、居宅介護サービス
計画費として10割が現物給付される。」
◯か☓か?なんて、「ケアプランは無料」って
ことを、わざわざ解りにくく書いてあります。
それでもめげずに、3つの模試をやりながら、
解説をマイテキストに書き加え、56ページに
なりました。毎晩90分、休日には5時間ほど
勉強する毎日を過ごしています。
今後はマイテキストを何度も読み返し、確実に
記憶して行く一方で、時折過去問をやり直し、
物足りなければ別の模試も買って、最終的な
腕試しをしてみたいと思います。
試験日は10月8日(日)、あと3ヵ月です。
火の玉になって頑張ります!
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年6月25日日曜日
今出来ること
私事で恐縮ですが、私は今、
10月に試験を受けるために勉強中なんです。
ところが自分の頭がザルになってて、
たぶん若い頃の3倍以上は努力しないと
試験には受からないだろうなって思うんです。
もし合格出来なかったら、制度改正のため、
3年間おあずけを食らうことになるので必死です。
今の私は60歳。3年後の私は63歳。
頭はザルどころか、紙の千切れた金魚すくい
みたいになってるかも知れません。
以前、ある要支援の方の予防介護を1年強
やらせて頂き、その後2年間ご無沙汰を
してたんですが、その方から先日お呼びが
かかり、再契約させて頂くことになりました。
「お久しぶりですね~!」なんて言って
盛り上がるかと思ってうかがったら、
重たい空気の中で
寝たきりの状態になっておられました。
目もつぶったままで容易に開けません。
「お久しぶりです。前に足洗ったり、体拭いたり
させて頂いてました。覚えてらっしゃいますか?」
かすかにうなづいて下さいました。
「明日から来なくていいよ。
ここでじっとしてね。
お迎えが来るの待ってるから。」
蚊の鳴くような声で、そうおっしゃいました。
寝たきりの状態になってしまったご自身を
未だ受け入れられていないご様子でした。
私は支援を始めるにあたり、
「心の通う会話を通じて、生きる意欲や楽しみを
見出して頂く。」ことを支援の目標に掲げました。
支援内容はオムツ交換ですが、私流に
そのような目標にさせて頂きました。
昨日の支援中に
「いつ治るのかね~。」ポツリと呟かれました。
私の声掛けに答えるのではなく、
ご自分から話されたんです。しかも、
「お迎えを待ってる。」よりずっと前向きです。
「若い頃と違いますからね。根気が要りますよ。
でも、お迎えはまだ来ないみたいですから、
生きること考えましょうよ。3年後には
オリンピックですからね。旦那さんもちょうど
90ですから。そこまで頑張りましょうよ。
80代は鼻タレ小僧だって言いますから。」
旦那さんの顔にうっすら笑みが浮かびました。
「いま卓球の女の子達が強いんでしょ?
あの子達がみんな東京オリンピックで金メダル
取ったら楽しいでしょうね!」
旦那さんの目が少しだけ開きました。
私が以前お世話させて頂いてた頃、
旦那さんは85歳。今は87歳。
この2年間は重たいですね…
歳を重ねるということは
出来ることが、出来なくなるということです。
私も、今出来ることを精一杯やって行こうと
思いを新たにした今日この頃です。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
10月に試験を受けるために勉強中なんです。
ところが自分の頭がザルになってて、
たぶん若い頃の3倍以上は努力しないと
試験には受からないだろうなって思うんです。
もし合格出来なかったら、制度改正のため、
3年間おあずけを食らうことになるので必死です。
今の私は60歳。3年後の私は63歳。
頭はザルどころか、紙の千切れた金魚すくい
みたいになってるかも知れません。
以前、ある要支援の方の予防介護を1年強
やらせて頂き、その後2年間ご無沙汰を
してたんですが、その方から先日お呼びが
かかり、再契約させて頂くことになりました。
「お久しぶりですね~!」なんて言って
盛り上がるかと思ってうかがったら、
重たい空気の中で
寝たきりの状態になっておられました。
目もつぶったままで容易に開けません。
「お久しぶりです。前に足洗ったり、体拭いたり
させて頂いてました。覚えてらっしゃいますか?」
かすかにうなづいて下さいました。
「明日から来なくていいよ。
ここでじっとしてね。
お迎えが来るの待ってるから。」
蚊の鳴くような声で、そうおっしゃいました。
寝たきりの状態になってしまったご自身を
未だ受け入れられていないご様子でした。
私は支援を始めるにあたり、
「心の通う会話を通じて、生きる意欲や楽しみを
見出して頂く。」ことを支援の目標に掲げました。
支援内容はオムツ交換ですが、私流に
そのような目標にさせて頂きました。
昨日の支援中に
「いつ治るのかね~。」ポツリと呟かれました。
私の声掛けに答えるのではなく、
ご自分から話されたんです。しかも、
「お迎えを待ってる。」よりずっと前向きです。
「若い頃と違いますからね。根気が要りますよ。
でも、お迎えはまだ来ないみたいですから、
生きること考えましょうよ。3年後には
オリンピックですからね。旦那さんもちょうど
90ですから。そこまで頑張りましょうよ。
80代は鼻タレ小僧だって言いますから。」
旦那さんの顔にうっすら笑みが浮かびました。
「いま卓球の女の子達が強いんでしょ?
あの子達がみんな東京オリンピックで金メダル
取ったら楽しいでしょうね!」
旦那さんの目が少しだけ開きました。
私が以前お世話させて頂いてた頃、
旦那さんは85歳。今は87歳。
この2年間は重たいですね…
歳を重ねるということは
出来ることが、出来なくなるということです。
私も、今出来ることを精一杯やって行こうと
思いを新たにした今日この頃です。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年6月18日日曜日
普通に接する
親子が並んで腰掛け、
ある映像を見ています。
その映像には、
変顔をする老若男女の顔が
次々とアップで映し出され、
親も子も、その変顔の真似をします。
最後に障がい者が登場して変顔をします。
子どもは何の迷いもなく真似をしますが、
大人は凍りつき、真似することができません。
この実験を見て、
子どもには偏見も差別意識もないが
大人には偏見や差別意識がある良い証拠だと、
批判する人がいます。
「障がい者というレッテルを貼らないで、
もっと普通に見てほしい。」という訳です。
皆さんなら、どうだったでしょう。
真似できたと思いますか?
介護に携わる前の私だったら
きっと真似できなかったでしょう。
でも、今の私は
「そういう実験なのね。」と即座に気づき
敢えて上手に真似するでしょう。
以前、私は
為末大さんのTwitterの話をご披露しました。
障がい者の支援者と称する人々が
こちらの言動を何かと批判するので
障がい者に関わるのは「面倒臭い」と感じてしまう、
という偽らざる気持ちを吐露していました。
また、私は
相模原障がい者施設殺傷事件の際、
被害者の実名を公表しないのは差別だという
批判の声が上がったことについても
私なりの感想を書かせて頂きました。
障がい者と健常者の間には
常にこうした行き違いがあるように思われます。
子どもが何の偏見も差別意識もなく真似できる、
それは予備知識も経験もないのですから、
当然であり、特筆すべきことではありません。
では、大人はどうして真似ができないのでしょう?
そこで私は、敢えて
多くの大人の健常者達の代弁をします。
自分の配慮のなさで
障がい者を傷つけてはいけない。
「お前は健常者だから解らない。」と
批判されたくもない。が、しかし
障がい者の気持ちが解らないのは事実だ。
どうすれば傷つけ
どうすれば傷つけないのか
実のところ、言われてみないと解らない。
解らないから臆病になる…
解らないから躊躇する…
不用意な言動が批判されることが度々あれば
おっかなびっくりになるのは無理からぬこと。
その警戒感が大人の健常者を凍りつかせるのだと
私は思います。
偏見や差別意識の証拠と断ずる論には
私は敢えて異を唱えたいです。
むしろ、気遣いからの躊躇だと弁護したいです。
大人の健常者にとって
障がい者を傷つけないよう配慮すると同時に
「普通に接する。」ということは、
とても難しいことなんです。
障がい者や、ご家族、支援者の皆さんが
大人の健常者を批判することは自由です。
実際、配慮に欠ける行為はよく見かけられます。
しかし、批判された人が素直に間違いを認め
改めてくれなければ、批判の意味がありません。
「面倒臭い。」と思われないような配慮を
お願いしたいところです。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
ある映像を見ています。
その映像には、
変顔をする老若男女の顔が
次々とアップで映し出され、
親も子も、その変顔の真似をします。
最後に障がい者が登場して変顔をします。
子どもは何の迷いもなく真似をしますが、
大人は凍りつき、真似することができません。
この実験を見て、
子どもには偏見も差別意識もないが
大人には偏見や差別意識がある良い証拠だと、
批判する人がいます。
「障がい者というレッテルを貼らないで、
もっと普通に見てほしい。」という訳です。
皆さんなら、どうだったでしょう。
真似できたと思いますか?
介護に携わる前の私だったら
きっと真似できなかったでしょう。
でも、今の私は
「そういう実験なのね。」と即座に気づき
敢えて上手に真似するでしょう。
以前、私は
為末大さんのTwitterの話をご披露しました。
障がい者の支援者と称する人々が
こちらの言動を何かと批判するので
障がい者に関わるのは「面倒臭い」と感じてしまう、
という偽らざる気持ちを吐露していました。
また、私は
相模原障がい者施設殺傷事件の際、
被害者の実名を公表しないのは差別だという
批判の声が上がったことについても
私なりの感想を書かせて頂きました。
障がい者と健常者の間には
常にこうした行き違いがあるように思われます。
子どもが何の偏見も差別意識もなく真似できる、
それは予備知識も経験もないのですから、
当然であり、特筆すべきことではありません。
では、大人はどうして真似ができないのでしょう?
そこで私は、敢えて
多くの大人の健常者達の代弁をします。
自分の配慮のなさで
障がい者を傷つけてはいけない。
「お前は健常者だから解らない。」と
批判されたくもない。が、しかし
障がい者の気持ちが解らないのは事実だ。
どうすれば傷つけ
どうすれば傷つけないのか
実のところ、言われてみないと解らない。
解らないから臆病になる…
解らないから躊躇する…
不用意な言動が批判されることが度々あれば
おっかなびっくりになるのは無理からぬこと。
その警戒感が大人の健常者を凍りつかせるのだと
私は思います。
偏見や差別意識の証拠と断ずる論には
私は敢えて異を唱えたいです。
むしろ、気遣いからの躊躇だと弁護したいです。
大人の健常者にとって
障がい者を傷つけないよう配慮すると同時に
「普通に接する。」ということは、
とても難しいことなんです。
障がい者や、ご家族、支援者の皆さんが
大人の健常者を批判することは自由です。
実際、配慮に欠ける行為はよく見かけられます。
しかし、批判された人が素直に間違いを認め
改めてくれなければ、批判の意味がありません。
「面倒臭い。」と思われないような配慮を
お願いしたいところです。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年6月11日日曜日
本望な死に方
自分は一生芝居をやるんだと
信じて疑わなかった頃
「70になっても体育館で子ども達に
芝居見せていられたら素敵だな。」とか
「舞台でバッタリ倒れて、
ボーダーライト眺めながら死ねたら本望だ。」
とか、マジに思ってましたよ。
介護者になったいま、
雨の日にカッパ着て支援に行って、
支援が終わって利用者宅を出たら
思いがけなく晴れてて、
ニコッとしたとたんにぶっ倒れて、
青空見つめながら死ねたら本望だ。
なんて言ったら怒られるかな。
神様がさ
「もうカッパ着なくていいから、こっち来な。」
って言ってくれてるみたいで
いいかもよ。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年6月4日日曜日
将来像
まだ息子が幼かった頃
私は息子と一緒に
よく近所を散歩したものです。
私の息子は寄り道が好きで、
あちこちで立ち止まり、しゃがみこみ、
遅々として進まないのが常でした。
道端にしゃがみこんで、
石をいじっている息子を見て
「何が楽しいんだろう?」と思いましたが、
「本人が楽しいなら、いいじゃないか。」と思い、
私もしゃがみこみ、
石をいじくる息子の指先を見つめていたものです。
そのせいかどうかは解りませんが、
今30歳になる息子は私に似ず
おっとりとして屈託のない
誰からも愛されるような人間に育ったと、
親バカかも知れませんが
そう思っています。
子どもが大好きな私はいま、たくさんの子ども達と
接することのできる仕事を得て
幸せな日々を送らさせて頂いています。
介護の仕事の中に移動支援というのがあって、
A地点からB地点までの移動を安全に行う、
あるいは自宅を出て目的を果たし
帰宅するまでの移動を安全に行うための支援です。
そうした支援を行うにあたり
サービス提供責任者は、利用者さんやご家族、
そして相談支援専門員さんのご意向を受け、
移動支援計画書というものを作成します。
そこには長期目標や短期目標を書き込む欄があり、
実現可能な目標を期限を切って掲げます。
移動支援のための目標ですから、
当然、移動にまつわるエトセトラ
ということになります。そして、
障害福祉の1丁目1番地である「自立」
という概念から逃れることもできません。
しかも利用者さんが子どもの場合、
計画書の内容には
主に親ごさんのご意向が反映されるので、
長期目標:安全な登下校を維持しつつ、
自立に向けて課題を克服する。
短期目標:信号遵守が出来るようになる。
などと書かれる場合が多いです。
長期目標:おっとりとして屈託のない、
誰からも愛されるような人間に育つ。
短期目標:好きなだけ寄り道して、石をいじくる。
などと書かれることはありません。
子どもが大好きであるが故に
つい親のような気持ちで
その子の将来像まで考えてしまう私は、
この仕事にあっているようでいて
実はあっていないのかも知れません。
様々な制約がある中の「仕事」であるために
常に矛盾や不満を抱え、
その悩みから解放されるためには
「仕事だと割り切る」しかないからです。
それでも私は、
利用者さんやご家族とともに
将来像についての思いを共有しながら
仕事をしてみたいんです。
それが、私が大切にしている
「プラスアルファー」です。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
私は息子と一緒に
よく近所を散歩したものです。
私の息子は寄り道が好きで、
あちこちで立ち止まり、しゃがみこみ、
遅々として進まないのが常でした。
道端にしゃがみこんで、
石をいじっている息子を見て
「何が楽しいんだろう?」と思いましたが、
「本人が楽しいなら、いいじゃないか。」と思い、
私もしゃがみこみ、
石をいじくる息子の指先を見つめていたものです。
そのせいかどうかは解りませんが、
今30歳になる息子は私に似ず
おっとりとして屈託のない
誰からも愛されるような人間に育ったと、
親バカかも知れませんが
そう思っています。
子どもが大好きな私はいま、たくさんの子ども達と
接することのできる仕事を得て
幸せな日々を送らさせて頂いています。
介護の仕事の中に移動支援というのがあって、
A地点からB地点までの移動を安全に行う、
あるいは自宅を出て目的を果たし
帰宅するまでの移動を安全に行うための支援です。
そうした支援を行うにあたり
サービス提供責任者は、利用者さんやご家族、
そして相談支援専門員さんのご意向を受け、
移動支援計画書というものを作成します。
そこには長期目標や短期目標を書き込む欄があり、
実現可能な目標を期限を切って掲げます。
移動支援のための目標ですから、
当然、移動にまつわるエトセトラ
ということになります。そして、
障害福祉の1丁目1番地である「自立」
という概念から逃れることもできません。
しかも利用者さんが子どもの場合、
計画書の内容には
主に親ごさんのご意向が反映されるので、
長期目標:安全な登下校を維持しつつ、
自立に向けて課題を克服する。
短期目標:信号遵守が出来るようになる。
などと書かれる場合が多いです。
長期目標:おっとりとして屈託のない、
誰からも愛されるような人間に育つ。
短期目標:好きなだけ寄り道して、石をいじくる。
などと書かれることはありません。
子どもが大好きであるが故に
つい親のような気持ちで
その子の将来像まで考えてしまう私は、
この仕事にあっているようでいて
実はあっていないのかも知れません。
様々な制約がある中の「仕事」であるために
常に矛盾や不満を抱え、
その悩みから解放されるためには
「仕事だと割り切る」しかないからです。
それでも私は、
利用者さんやご家族とともに
将来像についての思いを共有しながら
仕事をしてみたいんです。
それが、私が大切にしている
「プラスアルファー」です。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
登録:
投稿 (Atom)