2017年7月9日日曜日

心痛める


「努力できることが才能である」
松井秀喜さんは、この言葉を座右の銘にして
少年の頃から野球の練習に励んだそうです。
「夢は世界新記録」と語る
サニブラウンさんが教えてくれるのは
「夢を見られることが才能である」
ということなんでしょう。

以前にもお話したように、
介護には支援計画というものがあり、
達成可能な目標を掲げて行います。
散歩に出られるようになるとか、
トイレに行けるようになるとか、
ADL(日常生活動作)が向上すると
QOL(生活の質)も向上するってことになります。
バイタル(体温・脈拍・血圧など)や、
皮膚や、持病の状態をチェックするなど
医療の下請けのようなことをするのも、
QOL(生活の質)の向上につながるようです。

つまり、
身体能力の改善が生活の質を高める
という考え方です。

ならば、難病が発症して
向上どころか現状維持さえままならない人には
生活の質を高めることはできないのでしょうか。
目標の掲げようもなく、
苦し紛れの作文をするしかないのでしょうか。

「身体の改善がなんぼのもんじゃい!」
なんて言ったら、叱られちゃいますかね?
身体の改善はご本人にも、ご家族にも、
ヘルパーにも、認定調査員にも目に見えるし、
数字にも表せるから解りやすいですね。
目標や評価を複数の人間が共有しやすいです。
でも、心の改善なんて
目に見えないことを言い出したら
目標や評価を客観的事実として
皆が共有することは
難しくなっちゃいますもんね。

そもそも、生活の質なんてものは
極めて個人的な価値観に基づいて語られるもので、
それを測る物差しなんてありません。
それを、やれケアマネだ、サ責だ、ヘルパーだと、
赤の他人が営利目的でやって来て、
寄ってたかって「高めて行きましょう。」
なんて言うこと自体、独善的なんですね。
「お世話させて頂きます。」って言って
愚直に働いておればそれでいい訳です。

私の場合、
「生活の質」なんて大仰なことは
恥ずかしくて言えないにしても、
出会った人に少しでも「幸せ感」を
感じてほしいって気持ちはありますよ。
でも、そのためには
身体より心の改善の方が遥かに大事だって
気がするんですね。
モチベーションが大事だって。

だから、2年ぶりに再開した寝たきりの旦那さんの
目標を私流に「心の通う会話を通じて、生きる意欲
や楽しみを見出して頂く。」とさせて頂いたんです。
もし旦那さんが「夢は世界新記録」とおっしゃれば
「いいですね!かけっこですか?
他のことですか?何に挑戦します?」って
本気で聞くでしょう。

けれども、
精神世界の広がりについて語る介護者に
私、お会いしたことがないんですよ。
研修のテーマにも
「精神世界の広がりが生活の質を高める」
なんてのはありませんし、
介護日誌のチェック欄にも
心の動きを記録する欄はありません。
「笑顔が見られました。」なんて備考欄に書くのが
心模様伝える精一杯の客観的記述なんですね。

しかし、そうだとしても、
その矛盾を自覚しているかどうか、
その矛盾に心痛めているかどうかで、
介護者の質に差が出るんじゃないかなって
私は思うんですよ。

心痛めるって、大事じゃないですかね。
伝わると思いますよ、心の奥行きが…。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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