親子が並んで腰掛け、
ある映像を見ています。
その映像には、
変顔をする老若男女の顔が
次々とアップで映し出され、
親も子も、その変顔の真似をします。
最後に障がい者が登場して変顔をします。
子どもは何の迷いもなく真似をしますが、
大人は凍りつき、真似することができません。
この実験を見て、
子どもには偏見も差別意識もないが
大人には偏見や差別意識がある良い証拠だと、
批判する人がいます。
「障がい者というレッテルを貼らないで、
もっと普通に見てほしい。」という訳です。
皆さんなら、どうだったでしょう。
真似できたと思いますか?
介護に携わる前の私だったら
きっと真似できなかったでしょう。
でも、今の私は
「そういう実験なのね。」と即座に気づき
敢えて上手に真似するでしょう。
以前、私は
為末大さんのTwitterの話をご披露しました。
障がい者の支援者と称する人々が
こちらの言動を何かと批判するので
障がい者に関わるのは「面倒臭い」と感じてしまう、
という偽らざる気持ちを吐露していました。
また、私は
相模原障がい者施設殺傷事件の際、
被害者の実名を公表しないのは差別だという
批判の声が上がったことについても
私なりの感想を書かせて頂きました。
障がい者と健常者の間には
常にこうした行き違いがあるように思われます。
子どもが何の偏見も差別意識もなく真似できる、
それは予備知識も経験もないのですから、
当然であり、特筆すべきことではありません。
では、大人はどうして真似ができないのでしょう?
そこで私は、敢えて
多くの大人の健常者達の代弁をします。
自分の配慮のなさで
障がい者を傷つけてはいけない。
「お前は健常者だから解らない。」と
批判されたくもない。が、しかし
障がい者の気持ちが解らないのは事実だ。
どうすれば傷つけ
どうすれば傷つけないのか
実のところ、言われてみないと解らない。
解らないから臆病になる…
解らないから躊躇する…
不用意な言動が批判されることが度々あれば
おっかなびっくりになるのは無理からぬこと。
その警戒感が大人の健常者を凍りつかせるのだと
私は思います。
偏見や差別意識の証拠と断ずる論には
私は敢えて異を唱えたいです。
むしろ、気遣いからの躊躇だと弁護したいです。
大人の健常者にとって
障がい者を傷つけないよう配慮すると同時に
「普通に接する。」ということは、
とても難しいことなんです。
障がい者や、ご家族、支援者の皆さんが
大人の健常者を批判することは自由です。
実際、配慮に欠ける行為はよく見かけられます。
しかし、批判された人が素直に間違いを認め
改めてくれなければ、批判の意味がありません。
「面倒臭い。」と思われないような配慮を
お願いしたいところです。
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