2016年8月6日土曜日

不戦の誓い Part1

今日は広島市原爆投下記念日です。めでたいこと
でもないのに「記念日」とは何事だって声もある
ようですが、「記憶に念ずる」って解釈すれば
いかがですか? 私はこういう記念日は、戦争の
過ちについて正しく理解し、反省し、記憶し、
不戦の誓いとして念ずる日だと思っています。

毎年、夏になると沖縄~広島~長崎~東京で
記念式典が行われて「二度と同じ過ちを犯さぬ
よう過去の反省に立ち…」といった内容の、誰が
犯したどんな過ちなのか、はっきりしない言葉が
語られます。広島平和公園の慰霊碑に刻まれた
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬ
から」という文言にも主語がありません。でも、
慰霊の対象となっているのが、アメリカの攻撃に
よって亡くなられた罪なき日本人(一部外国人も
含む)であることは間違いないですね。つまり
これらは、被害者を慰霊し、二度と同じような
被害者を出さないために自戒し、加害者である
アメリカ人に対しても言外に「国際法違反である」
と訴えているんですね。


しかし、忘れてはならないものがもう一つ
あります。それは加害者としての記憶です。


私自身、これからご紹介する事件のほとんどを
知らずに大人になりました。親からも、社会科の
先生からも教えてもらえなかったからです。
でも、それは本当に良くないことだと思います。
旧日本軍の蛮行によって苦しみ、亡くなられた
人々のことを思わずに、イケシャーシャーと
被害者面していられないとの思いで、この特集を
考えました。どうか、おつき合い下さい。
尚、以下の資料は「世界戦争犯罪辞典」
(編・秦郁彦、文藝春秋)からのピックアップ
であることを、あらかじめお断りしておきます。


「旅順虐殺事件」(1894年11月)
日清戦争で旅順攻略の際に発生した事件。被害者
は2千~2万人と言われている。


「朝鮮東学党に対する掃討作戦」(1894~1895年)
日韓両軍による朝鮮東学党農民に対する苛烈な掃
討作戦。日本軍の記録によれば戦闘で6000人、処
刑5600人とされているが、5万人という説もある。


「閔妃暗殺事件」(1895年10月)
朝鮮正妃である閔妃が、王宮で日本軍兵士、壮士、
大陸浪人らによって惨殺された事件。


「3.1独立運動事件」(1919年3月)
朝鮮における最大規模の反日運動で日本官憲に
より多数の死傷者をだす。


「台湾霧社事件」(1930年3月)
日本統治下の台湾霧社で先住少数民族タイヤル人
の武装蜂起に対し、毒ガスを使用して鎮圧。


「平頂山事件」(1932年9月)
満州国建国半年後、満鉄の撫順炭鉱を警備する日
本軍守備隊が近くの平頂山集落の中国人住民を大
量殺害した事件。被害者数は400~3000名。


「陽高事件」(1937年9月)
支那事変初期において内モンゴルの陽高で関東軍
チャハル兵団(兵団長:東条英機)が引き起こし
た中国人虐殺事件。被害者数350~500名。


「南京虐殺事件」(1937年12月)
日本軍が南京を攻略した際、多数の中国人捕虜、
敗残兵、便衣兵、一般民間人を殺害した事件。


「百人切り」(1937年11~12月)
南京攻略戦において日本兵が敵兵百人切り競争を
し、それを報道した東京日日新聞の記事が証拠
とされ、戦後戦犯として処刑された事件。100人
という数字の信憑性は疑問視されている。


「重慶戦略爆撃」(1938~1941年)
日本陸海軍航空部隊が首都重慶に対し反復実施し
た大規模な戦略爆撃で多数の民間人死傷者を出し
た事件。しかし戦犯として訴追された日本人なし。


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