2016年8月7日日曜日

嫌悪感を乗り越えて

私は、障がいは「害」でなく「個性」だと思って
います。人と違うことを指して障がいと言うなら、
世の中は障がい者だらけということになります。
障がいを「害」とする解釈は「害を取り除く」
という発想を生み、優生思想に発展しかねません。
「個性」と解釈すれば、その個性と向き合い
ながら尊厳を持って生きて行けると、自他ともに
認め合えるはずです。

先般の忌まわしい事件を引き起こした犯人は、
障がいを「害」ととらえたからこそ、それを
「取り除く」という発想で、自分の行動を正当化
したのではないでしょうか?
その根源には、人間なら誰でも持っているで
あろう、異質なものへの嫌悪感というものが
作用していたように思います。

体内にウィルスが入ると発熱し警告するように、
人間関係において異質なものに対峙すると嫌悪感
を抱き警告するのかも知れない、と私は考えます。
夫婦喧嘩・ご近所のいざこざ・職場での反目・
大阪人と東京人・日中韓の嫌悪三角図・男女差別・
障がい者差別・外国人差別…。どれも異質なもの
への嫌悪感が根源にあるのかも知れないと。
であるなら、差別発言やヘイトスピーチ、
そして今回のような殺人は、嫌悪感を吐き出し
浄化させようとする防衛反応であると言えます。
吐き出す方は良い気分でしょうが、
吐き出された方はたまったものではありません。

SNSにおいても、考え方の異なる人との言い合い
をよく見かけます。自分が否定された、攻撃され
たと受け取り、論破されまいと凄い熱量で作文し
返信したり、カンカンに怒ったり、一方的に着信
拒否する人も大勢います。異質なものに歩み寄ろ
うとする気配はまるでなく、猛烈な拒絶反応を
示すのです。彼らは同質な者同士で、ひたすら
嫌悪感を吐き出し合って心の安定を図っている
ように見えます。

異質な者同士が共存するには拒絶ではなく理解が
必要で、理解するには知性が必要だと、私は
思っています。私達人間は知性によって、異質な
ものへの嫌悪感を乗り越え、歩み寄り、集合体を
形成して来たのだと思います。

しかし、戦争や殺人事件は、
今なお世界中で起こっています。

私達は日々の暮らしの中で、
嫌悪感を感じている自分に気づき、
嫌悪感を感じている他人に気づき、
知性を持ってそれを乗り越え、
歩み寄って行きたいものと、
この度の事件を受けて思った次第です。

Because, that’s our life !

名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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