2016年8月14日日曜日

ナショナリズム

東京代表の高校が甲子園で勝ち進むと、
自然と応援に熱が入りますね。
東京がダメなら関東。関東がダメなら東日本…
なんて具合に、皆さんは応援の対象範囲を
広げたりしませんか?

オリンピックでは、
日本人選手の活躍に一喜一憂しますね。
君が代や日の丸を素直に受け入れられない私も、
表彰式を見て涙がこぼれることもありました。

天皇を「陛下」などと呼ばない私も、
生前退位のお気持ちを聞かされれば
「5年もほったらかしといて、これから議論?
議論なんかいらねえ!」って叫んでしまいます。

今時は、卒業式で国歌斉唱の際に
起立斉唱を拒否する先生がいるらしいですが、
私が小・中学生の頃は、儀式において
国旗掲揚・国歌斉唱は当たり前でした。

「皇族の1週間」みたいな番組も、
子どもの頃は何の抵抗もなく観てました。
思えば私達は、子どもの頃から自然と
国旗や国歌や皇族に対して愛着を感じるような
感性を育まれて来たんですね。

でも私は、
国家の為に命を捧げる気はありません。
万が一日本が侵略を受けて
戦わねばならなくなったとしても、
それは「お国の為」ではなく
「家族の為」ということになるでしょう。

「国民の為の国家でなく、国家の為の国民だ。」
などと、時代錯誤なことを言う政治家がいて、
それに共感する国民がいて、
昨今の世の中の右傾化に心配の種が尽きません。

私の郷土は東京です。
でも、郷土愛があるか?と問われて
返す言葉がありません。郷土を愛するって
具体的にどんなことなんでしょう?

国家って何ですか?
私にとっては、市区町村のでっかいやつ
単なる行政上の区分でしかありません。
国家の意味が解らないのですから
当然「愛国」の意味も解りません。

ナショナリズムは必要ですか?
私にとって、
どうしても必要なものではありません。
むしろ弊害の方が多いと思っています。

「国家のための国民」であってほしいのは
為政者だと思っています。いざ戦争となったら、
命がけで戦場へ行ってくれる人間を
日頃から育てておきたいのでしょう。
戦争はいつも国民の都合でなく、
為政者の都合で始められるからです。

高校野球やオリンピックを無邪気に観戦しながら
ついそんなことが頭をよぎってしまうオヤジの
気持ちを、次世代に伝えて行った方がいいんで
しょうかね。私自身、戦後生まれですけどね…。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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