この時のために年末の寒い中
丸2日間もかけて夫婦2人で
頑張って誘引したんですから
喜ばなきゃいけませんね。
ところで、中国の高校生、謝旭君は
同級生の張馳君を3年間おんぶして
登下校したんですって。なぜなら
張馳君は筋ジストロフィーという
少しずつ筋肉が萎縮していく病気を
抱えていたので、そんな張馳君に
授業を受けさせてあげたい一心で
頑張ったんですって。
そんな話を耳にして、私も
忘れかけていた幼い頃の記憶が
甦って来ました。
小学校に入学したばかりのクラスに
痩せ細って顔色の悪い女の子が
いました。なんでも心臓に4つ穴が
開いているとかで、唇は真っ青、
声も小さく歩き方もゆっくりでした。
身体もうんと軽かったので、私は毎日
その子をおんぶして登下校しました。
笑顔がとても可愛くて、私のことを
とし君、とし君と言って
慕ってくれたのを覚えています。
けれども、その子は1ヶ月ほどで
(ちょうど今頃の季節だったと思い
ます)すぐに入院してしまいました。
その後どうなったか
母や先生に何度聞いても
教えてもらえませんでした。
小学校3年生のクラスに
みんなから仲間外れにされている
女の子がいました。『知恵遅れ』と
言われていましたから、きっと
知的障害者ではなかったかと
今になって思うのですが
天真爛漫で優しい感じの子で
やはり私のことを、とし君、とし君と
言って慕ってくれました。私は何度か
その子の家に行って遊びましたが
その子の家は公園の中にあって
ダンボールで出来てました。
今思えば、ホームレスだったんです。
いつしか、その子は学校に来なくなり
公園の中の家も綺麗さっぱり
無くなっていました。
小学校5年生の1学期に
台湾から男の子が転校して来ました。
その子は休み時間いつも独りぼっちで
ドッジボールを手毬代わりにして
遊んでいました。
「天下取り知ってる?」
と私が声をかけると
「知らない。」と答えてくれたので
「じゃあ教えてあげるよ。」と言って
2人でやるボール遊びを始めました。
それから彼と私は学校の休み時間も
放課後も休日も2人きりで
遊ぶようになりました。
『ウッチョ』という私の生涯の
仇名をつけてくれたのも彼です。
けれども私は、その年の夏に引っ越し
2学期から田舎の学校へ
転校することになりました。
https://www.youtube.com/watch?v=TO4jn3HGI84
私は、たくましい花より
はかなく揺れる一輪花を
これからも大切にして行くのかな…
なんて思う、今日この頃です。
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の夜に更新。
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