『努力できることが才能である』
これは、晩年石川県加賀市に移り住み
九谷焼の創作に没頭した、画家であり
陶芸家の硲伊之助(はざまいのすけ・
1895~1977)さんの言葉です。
松井秀喜さんの父、昌雄さんは
その言葉を紙に書いて
2人の息子に渡しました。
秀喜さんはその紙を部屋に貼り
座右の銘にしたそうです。
素晴らしい親子ですね。
米ミシガン州立大学の心理学教授
ザック・ハンブリック氏がチェスの
プレイヤーとミュージシャンを対象
に調査を行った結果、日々の練習に
よりスキルアップした人は全体の
3分の1のみで、残りの3分の2は
天性の才能、または練習を開始した
年齢がスキルに反映されていた
とのことです。
同じ内容の練習を同じ時間やっても
上達に差が出てしまうのは、親から
引き継いだDNAによるものなんで
しょうかね? 考えてみたら
『努力できることが才能』という言葉
は「努力によって上達する。」とは
言ってないですね。むしろ
「努力できるのは天性の才能だから、
努力したくても出来ない人もいる。」
と言ってるんですよね。ってことは
紙に書いて貼ってあっても、実行に
移せる人と移せない人、あらかじめ
決められてるってことなんですね。
それなら『素敵な言葉』かどうか
怪しくなっちゃいますね…。
教授は言います
「天性の才能があるなしに関わらず、
練習すれば上達することに変わりは
ない。ただし、それが自分に適して
いるかいないかを早期に見極めて、
無駄な時間を費やさずに方向修正が
できる。」と…。
私は英才教育を受けなくても、ずっと
学校の音楽の成績が良かった、それは
DNAのせいだったんでしょうか?
確かに、大人になって見よう見まねで
ドラムセットが叩けてしまった時
自分は天才じゃないかって
思いましたし、その話を聞いた父も
驚いてましたよ。
役者とかプロデューサーとかが
私に適していたかどうかは疑問です。
適してなかったんじゃないかなって
思います。私は、ひたすら人より努力
を重ねることで、職能を身につけて
来たのかも知れません。
介護の仕事もまた
私に適しているとは思いません。
「天職ですね。」と言って下さる方が
仮にいらっしゃったとしても、それは
嬉しい錯覚をして下さっただけの
ことじゃないかなって思います。
幸いなことに『努力できる才能』は
あるような気がします。と言うか
それだけが頼りです、私の場合…。
皆さんは、いかがでしょうか?
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の夜に更新。
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