私の高校時代、毎年11月3日に
杉並公会堂で文化祭がありました。
1団体20分の持ち時間で
出し物を次々と披露します。
団体というのは部活でも、有志でも、
クラスでも良いことになってました。
2年生の秋に、私はクラスの皆に
呼びかけ“West Side Story”を
やることになりました。私自身は
脚本・演出をし、その他大勢で
出演する予定だったんですが、
主役のトニー役の男子が本番直前に
なって尻込みしてしまった為に、
急きょ私が主役を演じることに
なりました。と言っても、
たかだか20分の出し物ですから
サントラ盤の音楽をBGMに
流しながら、オムニバス風に
小芝居する程度のものでした。
やり終えて、打ち上げの席で、
「来年はもっと本格的なものを!」
という話になりました。そこには
クラスメイトだけでなく、なぜか
演劇部だとか、他のクラスの奴とか、
何となく何かやりたい雰囲気の奴らが
いつの間にか集まって来てたんです。
で、話はどんどん盛り上がり、
演劇部とブラバンが中心になって
生演奏の創作ミュージカルをやろう!
ということになりました。
私は1年生の2学期に家のゴタゴタが
あり、志していた音楽を放り出して
約1年が経っていました。大学へ
進学するつもりで勉強してましたが、
何か煮え切らず、体の真ん中に
ポッカリと穴が開いたような
空虚な気持ちを抱いていました。
「芸の道へ進むなら勉強は無用…。」
思えば、この時の選択は
我が人生最大の選択でありました。
「大学受験する気持ちで1年間
ミュージカル創作に没頭しよう。」
打ち上げでの盛り上がりから1ヵ月
ほど考えた末に、そう決心しました。
出し物は演劇部の男子の発案で
シェイクスピアの“ベニスの商人”を
ミュージカル化すると決まりました。
が、同学年の仲間は進学希望者ばかり
なので、脚本も作曲も私が引き受ける
ことになりました。私は2年生の間に
脚本を書き上げ、3年生になる前の
春休みから作曲にとりかかりました。
原作を極力カットして、より短時間で
出来る作品にしたかったんですが、
富豪の娘ポーシャに求婚する男達に
日本国の神風天皇を越天楽に乗せて
登場させるなどの遊びを入れたり、
ミュージカルシーンも多かったりで、
どう考えても上演時間が1時間40分
程度になりそうでした。1団体20分
なので、演劇部とブラバンだけでは
40分しか確保できません。器楽部
(ギター&マンドリン)とコーラス部
に声を掛けたら参加に同意してくれ
ましたが、ダンス部は独自の発表を
したいと断られました。苦肉の策で、
1年3組に参加を呼びかけました。
たまたまブラバンの新入部員が多く
在籍していたクラスだった
というだけの理由でした。
私は1年3組に参加を呼びかけに
行った時のことを忘れません。私が
教壇から説明をする、私を見つめる
生徒の中には、ブラバンの可愛い
新入生達がいて、キラキラした目で
こちらを見つめてる…。
自分で言うのも何ですが、あの時の
私は人生で最も輝いていたのでは
ないかとさえ思えるような
素晴らしい瞬間でした。
もしタイムマシーンがあったなら
私は迷わずあの瞬間に
ワープしたでしょう!
…という訳で、どうにか
1時間40分の上演時間を確保し、
生演奏のミュージカルを創作し
発表するという、ご機嫌な計画が
実行されることになりました。
To be continued
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。
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