ベートーベンの交響曲と聞くと
『運命』『第九』をイメージする方が
多いでしょう。そして、どちらも
出だしが短調なので、ベートーベン
は暗い曲が多いというイメージを
持つ方も少なくないでしょう。
でも、9つある交響曲のうち短調は
その2作品だけで、他は全て長調。
その2作品にしても、最後は爆発的な
長調で終わっています。彼の肖像画も
恐い顔してますし、耳の病気で悩んだ
ことなどから、人間的にも暗い人では
ないかと思われがちですが、意外にも
快活で商売上手な方だったようです。
『交響曲の父』と呼ばれたハイドン
から、モーツァルト、ベートーベンと
交響曲が受け継がれ、劇的に進化し、
宗教音楽や貴族社会の娯楽に過ぎな
かった音楽を、庶民がコンサートで
鑑賞する作品に高め、作曲家はその
入場料や楽譜出版料で飯を食える
ようになって行きました。
ベートーベンの交響曲の中でも特に
特徴的なのが今日ご紹介する
第6番『田園』です。9作品ある中で
『英雄』『運命』『田園』『合唱付き』
と4作品に副題がついていますが、
ベートーベン自身がつけた副題は
『英雄』と『田園』だけです。しかも
交響曲は4楽章までが常識だったのを
5楽章とし、各楽章に自らタイトルを
つけるという念の入れようです。
余談ですが、ベートーベーンは
生前のインタビューで
「最も出来の良い交響曲は?」の問に
「英雄だ。」と答えたそうで、
「最も好きな交響曲は?」の問には
「8番だ。」と答えたそうです。
私のお気に入りは5・6・7・9番で
3・8番は入ってません。創作者と
鑑賞者にはそんなギャップがある
というのも、面白いことですね。
彼は32歳の時に、ウィーン郊外の
ハイリゲンシュタットという所で遺書
を書きました。難聴が進み絶望的に
なっていたんですね。『田園』は彼の
耳がほとんど聞こえなくなっていた
38歳の春から秋にかけて作曲され、
その夏にもハイリゲンシュタットに
滞在したんだそうです。郊外の豊かな
自然、おおらか人々の中で新たな創造
に取り組んでいたことは想像に難く
ありません。『田園』は目の前の
自然や人々の描写と、そこから湧き
上がる感情の表現だと思います。
当時としては、とても斬新な試みに
満ちた作品だったんですね。
【第1楽章】
田舎に着いた時の愉快な感情の目覚め
ベートーベンの作曲法はレンガを積み
上げるが如しと、よく言われます。
運命では「ダ・ダ・ダ・ダン」の
モチーフが、これでもかというくらい
積み上げられて行きますよね。
田園の第1楽章は4つのモチーフを
次々に積み上げて行きます。
この冒頭のメロディーA・B・Cと
それに続くDで、この楽章を
説明しきってしまいます。
Aはこのように変化し
Bはこのように変化し
Cはこのように変化し
Dはこのように変化します。
彼、ハイリゲンシュタットに行くのが
楽しくて仕方なかったんでしょうね。
そんなワクワクした気持ちが良く
表れてますよ。
【第2楽章】
小川のほとりの情景
彼は『情景』と言っていますが
目に入って来る情景だけでなく
本来なら耳に入って来るはずの音、
小川のせせらぎ、木の葉のざわめき、
鳥の鳴き声などを心の耳で聴いて
音楽にしたのだと思います。
【第3楽章】
田舎の人々の楽しい集い
村の人々が酒を酌み交わし、ダンスを
踊って、楽しく過ごしている光景が
目に浮かぶようです。
【第4楽章】雷雨、嵐
まさしく雷雨、嵐です。
こんな曲はモーツァルトでも
描きませんでしたね。
【第5楽章】
牧歌、嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち
これまたタイトル通りの音楽です。
普通は長調の曲でも、時折暗い
フレーズが入って来るものですが、
この交響曲は第4楽章の『嵐』意外は
徹頭徹尾、明るく穏やかな気持のまま
進行するんですね。そういった点でも
珍しいんですが、運命を爆発的な長調
で書き上げて、クロスオーバーして
すぐにこの曲を描き上げた訳で、何か
彼の中で吹っ切れたと言いますか、
自分は心の耳を使って曲を描くのだ
というような決意があって、これだけ
陰りのない、明るくおおらかな曲が
描けたんじゃないのかなと、私は
勝手に思っています。それにしても
耳が悪くならなかったら、どんだけ
明るい曲を描いたんだ?と思うほど
明るいですよね!
それでは、私が尊敬する
レナード・バーンステイン氏の指揮
(私の作曲者としてのペンネーム
伴麗奈「バン・レナ」は
氏から勝手に頂きました)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏でお聴き下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=_1J7hUH7jlE
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。
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