吉田松陰は福島から新潟に抜ける
雪の峠越えを強行しました。
地元の人に止められはしたのかも
知れませんが、なにせ情報の乏しい
時代の事、体験に勝る情報なしってな
思いだったんでしょう。対ロシア戦
に備えて頑張っちゃった、そんな
無鉄砲さがまた魅力なんですよね。
情報の豊かな現代に、いい歳して
「冬山の怖さを初めて知りました…」
なんてコメントを聞かされたら
「おいおい、寝ぼけたこと
言ってんじゃねえよ。」と
誰もが思うんじゃないでしょうか?
毎年繰り返されている雪山遭難
素人の私だってニュース見てますよ。
そりゃ何にでもリスクはあります。
電車だって車だって、リスクがある
から乗るなとは言えませんが
雪山登山は完全な趣味でしょ?
なのに生死に関わるリスクがあり
大勢が危険な捜索しなきゃならない。
いくら「そこに山があるからだ。」
と言っても、プロの登山家だけに
したらどうでしょうかね?
安部譲二氏の自伝的小説
『塀の中の懲りない面々』が1987
年に映画化され話題になりました。
自由のない刑務所暮らしを経験して
いながら、懲りずに入出所を繰り返す
累犯罪者たちの様子を描いています。
懲りない人って、懲りる人から
見ると、たとえ刑務所にいなくても
まるで見えない塀の中にいるように
不可思議に見えるんですよね。
私、不可思議な人、知ってます。
キーホルダーを鞄の中に放り込み
帰宅時にドアの前で「無い無い」と
言って鞄をまさぐることしばしば。
夜の11時頃にフィットネスクラブ
から帰り、つまみを食べながらビール
を飲み、暖房をガンガンつけたまま
ソファーで眠り、夜中3時頃に寝床に
入ることしばしば。改善したらどうだ
と言うと逆切れすることしばしば…。
クレージー・キャッツの
『スーダラ節』じゃないですが
解っちゃいるけど
止められないんでしょうかね?
私は満員電車で痴漢に間違われた
翌日から、決して女性に近寄らず
荷物を股に挟んで両手を上げて乗る
それほど懲りてしまう人間ですので
解っちゃいるけど止められない人を
どうしても理解できないんです。
だって、本人にとっても
周囲の人にとっても、ちっとも
いいことないと思いません?
容易にできる改善策があるなら
やればいいだけの話だと
私は思うんですが
皆さんは
いかがお感じになりますか?
皆さんの周囲には
見えない塀の中にいるような
不可思議な人、いませんか?
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・水・金の夜に更新。
E-mail:
at-home-takeuchi@aqua.ocn.ne.jp
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