癌になって、二度転移して、
計3回の手術をした高齢者が、
最近、アルコール性認知症になりました。
アルコールが回ってる時は
自力でトイレに行き、冗談が出るくらい元気。
ところが、
アルコールが切れると起き上がることも出来ず、
塞ぎ込んでしまいます。
ご家族は
「本人が飲みたがったら、飲ませて下さい。」
とおっしゃいます。
皆さんがヘルパーだったとしたら、
どのように対処しますか?
予備知識として
第1に、ヘルパーが嗜好品を提供したり
買い物代行したりすることは禁じられています。
第2に、ヘルパーが医師やケアマネの意向に
反した支援をすることは禁じられています。
もし、
ご利用者様のご意向にも、
ご家族様のご意向にも、
自分自身の良心にも
従えない場合があるとしたら、
その仕事はいったい、
どなた様本位と呼ぶべきなんでしょうか?
自我を捨て、結果を恐れず、
ひたすら介護への情熱に
身を委ねることが出来た時、
介護が美しいと
感じられるのでしょうか?
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年5月28日日曜日
2017年5月21日日曜日
テニスの美しさ
伊達公子さん
19歳でプロのテニスプレイヤー
となり、世界ランク・ベスト4、
シュテフィー・グラフを破るなどの
実績を残し、26歳で引退しました。
その後、結婚を経て39歳の時に
「クルム伊達公子」の名で現役復帰し、
アラ4世代の希望の星となりました。
しかし昨年、
左膝半月板断裂と関節軟骨損傷のため
手術を受けるか否かの選択に迫られました。
「手術をしないために(テニスを)
辞める選択肢は生まれなかった。」
46歳の彼女は迷わず手術を選択しました。
「結果を出さなければいけない、
強くなければいけない。孤独なように
10代、20代を突っ走ってきたけれど、
離れて見た時にテニスの素晴らしさ、
テニスの美しさを実際に感じられた。」
と語る伊達さんは5月3日に
1年4ヵ月ぶりの復帰を果たしました。
ところで…
私は訪問介護事業所の
サービス提供責任者になって4ヵ月目です。
いきなり前任者から
20名近い利用者さんを引き継ぎ、
その後、月1件ぐらいのペースで
新規のご契約を頂いています。
出逢った全ての方の
期待に応えられる自分でありたいと願っても
容易にそれを叶えさせてくれない現実があり、
もがき、苦しみ、格闘する日々…。
そんな中、伊達さん復帰の記事を見て
大いに勇気づけられました。
そして、ふと思いました。
「美しい介護ってあるのかな…。」
伊達さんから学び、
自我を捨て、結果を恐れず、
ひたすら介護への情熱に
身を委ねることが出来た時、
介護が美しいと
感じられるのかも知れませんね。
しかし、46歳のプロ・テニスプレイヤーを
介護者に置き換えたら、いったい何歳になる?
80過ぎてヘルパーやってたら、
その境地に達することが出来ますか?
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
19歳でプロのテニスプレイヤー
となり、世界ランク・ベスト4、
シュテフィー・グラフを破るなどの
実績を残し、26歳で引退しました。
その後、結婚を経て39歳の時に
「クルム伊達公子」の名で現役復帰し、
アラ4世代の希望の星となりました。
しかし昨年、
左膝半月板断裂と関節軟骨損傷のため
手術を受けるか否かの選択に迫られました。
「手術をしないために(テニスを)
辞める選択肢は生まれなかった。」
46歳の彼女は迷わず手術を選択しました。
「結果を出さなければいけない、
強くなければいけない。孤独なように
10代、20代を突っ走ってきたけれど、
離れて見た時にテニスの素晴らしさ、
テニスの美しさを実際に感じられた。」
と語る伊達さんは5月3日に
1年4ヵ月ぶりの復帰を果たしました。
ところで…
私は訪問介護事業所の
サービス提供責任者になって4ヵ月目です。
いきなり前任者から
20名近い利用者さんを引き継ぎ、
その後、月1件ぐらいのペースで
新規のご契約を頂いています。
出逢った全ての方の
期待に応えられる自分でありたいと願っても
容易にそれを叶えさせてくれない現実があり、
もがき、苦しみ、格闘する日々…。
そんな中、伊達さん復帰の記事を見て
大いに勇気づけられました。
そして、ふと思いました。
「美しい介護ってあるのかな…。」
伊達さんから学び、
自我を捨て、結果を恐れず、
ひたすら介護への情熱に
身を委ねることが出来た時、
介護が美しいと
感じられるのかも知れませんね。
しかし、46歳のプロ・テニスプレイヤーを
介護者に置き換えたら、いったい何歳になる?
80過ぎてヘルパーやってたら、
その境地に達することが出来ますか?
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年5月14日日曜日
マーチ Part2
マーチは吹奏楽の魅力満載ですが、
オーケストラやピアノ曲にも
楽しい曲がありますね。
ワシントン・ポスト
8分の6拍子のマーチの代表格ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=jQyXv4NK7kw
エル・カピタン
これも8分の6拍子。よく演奏したものです。
https://www.youtube.com/watch?v=yORgB9Ho1k0
忠誠
8分の6拍子のマーチで最も好きな曲です。
トランペットのファンフォーレあり、
高音楽器の装飾あり、低音楽器の装飾あり、
なかなか楽しい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=eOx3xOxcguQ
双頭の鷲の旗の下に
ドイツのマーチです。実はマーチの中で
私の一番のお気に入りです。厳かなイントロに
続き高音楽器による軽快なメロディー。そして
低音楽器による重厚なメロディー。
メリハリが効いてて飽きさせませんね。
https://www.youtube.com/watch?v=uGAlLbj6z2A
勝利の父
フランスのマーチです。ラ・マルセイエーズの
勇ましさと、フランス独特のオシャレ感が
調和した、いい曲ですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=EIlDXjk2u3E
ラデッキー行進曲
ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート
でお馴染みになりましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=YWNRIkGhbos
威風堂々
イギリスの作曲家・エルガーの作品です。
他のマーチと違って格調高く
まさに威風堂々とした曲ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=m20LnRnSNDM
トルコ行進曲(ベートーベン)
交響曲やピアノソナタで有名なベートーベン様。
でも、こんな小品にも愛すべき作品が
あるんですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=fM4x3CIEvzw
トルコ行進曲(モーツァルト)
小学校4年生の時のクラスメイトに
この曲を弾きこなす女子がいましたよ。
私は中間部の流れるようなメロディが
大好きです!
https://www.youtube.com/watch?v=B7ccYFyQMrE
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年5月7日日曜日
マーチ Part1
マーチは楽しいですよね! ウキウキします。
行進曲と言うと軍隊のイメージがつきまとう
のが残念ですが、純粋に音楽として聴けば、
なかなか楽しいものですよ。
マーチの形式は
イントロ~A~B~C(トリオ)~D が一般的で、
トリオは穏やかな曲調になっています。また、
ユーフォニウムのオブリガート(対旋律)や
ピッコロの装飾的な動きなども楽しみです。
軍艦行進曲
日本の代表的なマーチです。パチンコ屋のBGM
でご記憶の方も多いでしょう。戦前戦中には
この曲が吹けるクラリネット奏者は一人前だと
言われてたそうですが、私はそんなに難しい
曲だとは思いませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=fUdKEaTLl_c
星条旗よ永遠なれ
アメリカの国家に準ずるような曲です。
私が中学校1年生でブラバンに入部した時、
「星条旗を吹けるようになろう!」が
部の目標で、その後めきめき上達し、
卒業する頃には十八番になっていました。
https://www.youtube.com/watch?v=FsJWGSqJ5_k
国民の象徴
アメリカ国家のモチーフが入っていて
メリハリの効いた、なかなかいい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=qBg-3LqeiQc
雷神
中学校の運動会の入場行進は、雷神に始まり
星条旗で終わるってのが常でした。
https://www.youtube.com/watch?v=X7AmOpvbSdE
錨を上げて
これは結構聴いたことのある人、多いでしょ?
https://www.youtube.com/watch?v=YcXbZK_VB-U
士官候補生
小学校のアコーディオンバンドで、この曲を
演奏してました。毎週月曜の朝礼でも退場行進に
使ってたし、年1回武蔵野音大でやる音楽会でも
演奏しました。私はスネア・ドラムでした。
https://www.youtube.com/watch?v=j21fCiYa0RU
旧友
符点や16分音符が多いので、
縦の線を合わせるのが結構難しい曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=r2RJRbL-4DQ
美中の美
一般的にはあまりポピュラーじゃないかも。
でも私は演奏しすぎて、やや耳タコ。
https://www.youtube.com/watch?v=yTMk-bHHB10
海を越える握手
これは更にポピュラーじゃないけど、
私は結構好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=jKY3EwFvv9I
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年4月30日日曜日
心の住みか
テレビで
建築家・安藤忠雄さんの番組を観ました。
教会に光の十字架を作ったり、
世界貿易センタービル跡地を
地下に聖堂、地上に広場とし、
人々が集まり平和について考える
場所にすることを提案したり、
大阪造幣局の桜の通り抜けを広げたり
などのエピソードが紹介されました。
「桜の通り抜けを広げることが建築か?」
との批判に対し、
「建築は人間を包み込み、
人間が生きていて良かったと感じる
心の住みかを作ることだ。」
と述べていました。
私は、その言葉に感動しました。
介護の課題の1つに、
QOL(生活の質)の向上という
解釈の難しいものがありますが、
あるいは介護にも、
安藤氏の考える建築の哲学が
当てはまるのかも知れません。
ただし、それが如何なるもので、
如何にして実現するかは、
自分で考えるしかありませんね。
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
建築家・安藤忠雄さんの番組を観ました。
教会に光の十字架を作ったり、
世界貿易センタービル跡地を
地下に聖堂、地上に広場とし、
人々が集まり平和について考える
場所にすることを提案したり、
大阪造幣局の桜の通り抜けを広げたり
などのエピソードが紹介されました。
「桜の通り抜けを広げることが建築か?」
との批判に対し、
「建築は人間を包み込み、
人間が生きていて良かったと感じる
心の住みかを作ることだ。」
と述べていました。
私は、その言葉に感動しました。
介護の課題の1つに、
QOL(生活の質)の向上という
解釈の難しいものがありますが、
あるいは介護にも、
安藤氏の考える建築の哲学が
当てはまるのかも知れません。
ただし、それが如何なるもので、
如何にして実現するかは、
自分で考えるしかありませんね。
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年4月23日日曜日
動揺しない心
人生は私達に幾多の苦難を与え、
私達はその度に、頭を上げ、前を向き、
歩き始めます。
いかに順風満帆な人生を
歩んで来た人と言えども
避けて通れないのは、人の死ですね。
尊敬する人、苦楽を共にした人、
心通い合う人との別れは、辛いものですね。
最愛の家族との別れともなれば
それはもう、
筆舌に尽くしがたい悲しみだと思います。
私は、これまで色々な経験を重ねる中で
「動揺しない心」を育んで来ました。
その前提となったのが
今はなき父から授かった「決して後悔するな。」
という言葉だったんです。
私が高校生の時、
大学でなく演劇学校に進みたいと告白した私に
「お前の人生はお前が決めればいい。
ただし、決して後悔するな。」と
父に言われました。
私はその言葉を胸に、後悔しない人生を送るべく
一生懸命に生きました。
一生懸命に生きていれば、結果がどうであれ
後悔しないで済むと思ったからです。
そんな私が、いつの頃からか
父の言葉を更に進化させ
「決して動揺するな。」と
自分自身に言い聞かせるようになりました。
あまりに動揺が激しいと
仕事や日常生活にまで影響し、
自分の人生まで狂わせかねません。
「人は誰でも幸せになる権利がある」
が持論の私は、
ストレスから身を守る防衛機制として
そんな感覚が
身についてしまったのかも知れません。
今起こっていることは
瞬時に過去に変わって行きます。
ですから、悲嘆にくれるという行為は
過去に居残ることを意味します。
私達が幸せになる権利を上手く使うのなら、
過去でなく未来を見つめて生きるべき。
私は、そう思っています。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
私達はその度に、頭を上げ、前を向き、
歩き始めます。
いかに順風満帆な人生を
歩んで来た人と言えども
避けて通れないのは、人の死ですね。
尊敬する人、苦楽を共にした人、
心通い合う人との別れは、辛いものですね。
最愛の家族との別れともなれば
それはもう、
筆舌に尽くしがたい悲しみだと思います。
私は、これまで色々な経験を重ねる中で
「動揺しない心」を育んで来ました。
その前提となったのが
今はなき父から授かった「決して後悔するな。」
という言葉だったんです。
私が高校生の時、
大学でなく演劇学校に進みたいと告白した私に
「お前の人生はお前が決めればいい。
ただし、決して後悔するな。」と
父に言われました。
私はその言葉を胸に、後悔しない人生を送るべく
一生懸命に生きました。
一生懸命に生きていれば、結果がどうであれ
後悔しないで済むと思ったからです。
そんな私が、いつの頃からか
父の言葉を更に進化させ
「決して動揺するな。」と
自分自身に言い聞かせるようになりました。
あまりに動揺が激しいと
仕事や日常生活にまで影響し、
自分の人生まで狂わせかねません。
「人は誰でも幸せになる権利がある」
が持論の私は、
ストレスから身を守る防衛機制として
そんな感覚が
身についてしまったのかも知れません。
今起こっていることは
瞬時に過去に変わって行きます。
ですから、悲嘆にくれるという行為は
過去に居残ることを意味します。
私達が幸せになる権利を上手く使うのなら、
過去でなく未来を見つめて生きるべき。
私は、そう思っています。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
2017年4月16日日曜日
食堂
利用者さんと一緒に
ファストフード店に行きました。
満席なので立ち止まって様子を見てたら、
後から来たお客さんが私達を追い越して
客席の方へ行き、タイミング良く立ち上がった
お客さんの席にサッと座ってしまいました。
私が店員さんに
「どういうシステムになってるんですか?」
って聞くと「空いた席にお座り下さい。」
って言うから「食べ終わりそうな人の前に立って
待ってるんですか?」って聞き返したら
何も答えず、ほくそ笑んでました。
思えば私が子どもの頃、デパートの食堂には
今みたいに食事エリアの外に待機エリアなど
用意されておらず、テーブルとテーブルの間の
隙間がないほど席待ちの人が立ってて、
食べ終えた人が立ったらすかさず座って、
注文したものがなかなか出てこなくても
辛抱強く待って、やっと出てきたと思ったら
今度は私達が食べ終えるのを待ってる人達に
見られながら食べるってことをやってましたが、
そんな昭和30年代の悪夢が蘇りましたよ。
落語「時そば」に、こんなくだりがあります。
「親方、お待ちどう様。」
「お、いいね。ちょいと無駄っぱなししてる間に
親方お待ちどう様、これじゃなきゃいけねえ
や。あつらえたもんがなかなか出来てこねえな
んてのは、うめえもんもまずくなっちまわあ。」
江戸っ子は気が短かったんですかね。
私の父も、しょっちゅういらいらしてましたよ。
「お待ちどうさまでした。」と言う
ウェイトレスに「お待ちしてました。」なんて
皮肉で返すのはザラで、
当時はそんな父を咎める者はいませんでしたが、
今の私は妻が怖くてそんなことは言えませんね。
私が子どもの頃のある日、食堂で注文したものが
なかなか出て来ず、父の怒りが頂点に達し、
私達は代金をテーブルの上に置き、店を出て行く
ことになりました。食べてもいないのに代金を
置いて行くってところが江戸っ子ですね。
「あんたは俺に迷惑かけたが、俺はあんたに
迷惑かけねえ。」って心意気を
見せたかったんですかね。
今の若者にも、当時の関西人にも
理解されない奇行だったかもね?
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
ファストフード店に行きました。
満席なので立ち止まって様子を見てたら、
後から来たお客さんが私達を追い越して
客席の方へ行き、タイミング良く立ち上がった
お客さんの席にサッと座ってしまいました。
私が店員さんに
「どういうシステムになってるんですか?」
って聞くと「空いた席にお座り下さい。」
って言うから「食べ終わりそうな人の前に立って
待ってるんですか?」って聞き返したら
何も答えず、ほくそ笑んでました。
思えば私が子どもの頃、デパートの食堂には
今みたいに食事エリアの外に待機エリアなど
用意されておらず、テーブルとテーブルの間の
隙間がないほど席待ちの人が立ってて、
食べ終えた人が立ったらすかさず座って、
注文したものがなかなか出てこなくても
辛抱強く待って、やっと出てきたと思ったら
今度は私達が食べ終えるのを待ってる人達に
見られながら食べるってことをやってましたが、
そんな昭和30年代の悪夢が蘇りましたよ。
落語「時そば」に、こんなくだりがあります。
「親方、お待ちどう様。」
「お、いいね。ちょいと無駄っぱなししてる間に
親方お待ちどう様、これじゃなきゃいけねえ
や。あつらえたもんがなかなか出来てこねえな
んてのは、うめえもんもまずくなっちまわあ。」
江戸っ子は気が短かったんですかね。
私の父も、しょっちゅういらいらしてましたよ。
「お待ちどうさまでした。」と言う
ウェイトレスに「お待ちしてました。」なんて
皮肉で返すのはザラで、
当時はそんな父を咎める者はいませんでしたが、
今の私は妻が怖くてそんなことは言えませんね。
私が子どもの頃のある日、食堂で注文したものが
なかなか出て来ず、父の怒りが頂点に達し、
私達は代金をテーブルの上に置き、店を出て行く
ことになりました。食べてもいないのに代金を
置いて行くってところが江戸っ子ですね。
「あんたは俺に迷惑かけたが、俺はあんたに
迷惑かけねえ。」って心意気を
見せたかったんですかね。
今の若者にも、当時の関西人にも
理解されない奇行だったかもね?
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
登録:
投稿 (Atom)