2016年9月25日日曜日

メロディの宝庫 第2弾

ついに、この日が来ました。
自称「美しいメロディー愛好家」の私が
自信を持って皆さんにお勧めする決定版!

音楽の宝庫・第2弾
ドボルザーク作曲
交響曲第9番「新世界から」

ベートーベンの「運命」
シューベルトの「未完成」と並んで
3大交響曲と呼ばれることもあります。

とにかく、次から次へと美しいメロディーが
繰り出され、最後まで全く飽きさせません。
第2楽章は「家路」「遠き山に陽は落ちて」
などとしても知られる有名な曲です。
第4楽章のトランペットとホルンで奏でられる
勇壮なメロディーも、聴いたことのある方、
多いんじゃないでしょうか。

この曲は1893年、
ドボルザークが52歳の年に発表されました。
彼は晩年に3年間アメリカに滞在し、
その滞在先で創作したので「新世界から」
という副題がついている訳です。
新世界で感じた感動、驚きを表現するとともに、
故郷チェコへの望郷の念も見え隠れします。

いつものように、各楽章ごとに五線譜を使い
ながら、私なりの解説をと思っていたんですが、
あまりに次から次へと美しいメロディーが
繰り出されるので、あきらめました。
どうか、心ゆくまでお楽しみ下さい!
(動画3’25”から演奏が始まります)
https://www.youtube.com/watch?v=f6sZlBF4Gvk

ケルテス指揮・ウィーンフィル演奏(1961)
私にとって「新世界」は、実はこれなんです。
中学・高校生、そして大人になってからも
聴いていたのは、この演奏です。
ケルテスは44歳の若さで他界した
ハンガリーの指揮者で、この演奏は彼が32歳の
年に録音された伝説の名盤です。世界中に多くの
ファンがいて、未だに聴かれている演奏です。
動画がなく、音だけですが、お好きな方は
どうぞ、ご鑑賞下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=Kn9m2QrOMv0&spfreload=10

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2016年9月18日日曜日

長いトンネル

「パラサイト」という言葉が
流行ったことがありますよね。
親のスネをかじって自立しない若者を
「寄生虫」と表現したんですね。

本来なら議席を確保できない政治勢力が
当確すれすれの政治家を支援することで、
実質的に政治参画できる、ということに
皆さんは、お気づきでしょうか? 
なぜなら、支援を受けて当選した政治家は、
その支援者との良好な関係を保つために
政策的な妥協を余儀なくされるからです。
顔はA党でも心はB党という訳です。

もし野党第1党で、そのような議員が多数派と
なったら、寄生した側は勢力を拡大できますが、
寄生された側は政策実現の意欲を失ってしまい、
現実性を無視した国民受けする話ばかりする
ようになります。それを国民から見透かされ、
政権交代は夢のまた夢となるでしょう。
私は、そういう政党を万年野党と呼んでいます。

多数の国民から支持される政策を掲げる政党
でなければ、政権の座に着くことはできません。
もし野党第1党が、多数の国民から支持されない
政策を掲げる政党の支援を受けて生き残る道を
選ぶとすれば、政策を売り渡し、万年野党の道を
選ぶに等しい行いであると、私は感じます。

それは、保守VS革新の時代から、オール保守の
時代へ移行したことを意味します。誰も変化を
望まず、与党は先祖返りし、野党は批判に明け
暮れ、それぞれの役どころを演じることで互いの
議席数が保たれるんでしょう。その陰で、国民は
失政のツケを支払わされるんでしょう。私は、
万年与党と万年野党のサラリーマン議員ご出演
による国会ドラマなど観たいとは思いません。

一部の既得権者・団体ではなく、大多数の国民と
寄り添い、信念を持って自らの政策を掲げ、
たとえ抵抗勢力と戦おうとも、その政策実現の
ために行動する政治家や政治勢力が登場して
くれないものかと、常々考えているんですが…

この先何年続くか解らない長い長いトンネルに
入ってしまったような気がします。
せっかく政権交代が起こりやすい
小選挙区制がありながら、それを活かせないのは、
国民にとって実に不利益なことですね。
演技でなく、真に改革精神のある人々が
立ち上がって、弱き者、貧しき者に優しい政治を
行って頂きたいと思います。

昨今、都政改革が話題になっていて、新党結成か?
という報道もあり、興味深く見ています。広尾
病院の改築計画が都議会の全会一致で750億円の
移転計画に変更されたという話から、野党が機能
していないことが良く解ります。大阪、名古屋の
ように、地域政党を立ち上げ大胆な改革を行い、
国政にも進出してくれれば、少しは希望が持てる
かなと、少々期待しています。

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2016年9月11日日曜日

永遠に生き 今日死ぬ

レブロン・ジェームズ(1984~ )
身長203cm 、体重113kg。
アメリカのプロバスケットボール選手。
クリーブランド・キャバリアーズに所属。
愛称は「キング」。背番号は憧れだった
マイケル・ジョーダンと同じ「23」。
NBAチャンピオン3回、シーズンMVP4回、
ファイナルMVP3回、オールスターMVP2回。
その他、数々の最年少記録や歴代記録を
更新している現代のNBAを代表する
スーパースター。

「永遠に生きるように夢を見、
今日にも死ぬように生きよ。」
Dream as if you’ll live forever,
Live as if you’ll die today.

バスケのスーパースターが現役バリバリの時に、
どれだけ死を意識できたか解りませんが、さすが、
一流人は違いますね。動機も努力も大切にして
ベストを尽くせと言ってるんですよね。言うは
易し行うは難し。日々妥協を許さず努力を重ねた
人だからこそ言える言葉だと思いますよ。

私は最近「夢とは死への儚い抵抗」という言葉を
自分なりに思いつき、自分も歳をとったものだと
思いましたが、似て非なるものですね。彼の言葉
には一点の曇りもありません。

高齢者でも、最期の最期まで何かに打ち込んで、
思いを残すように世を去るといった話はたくさん
あるので、常々私は羨ましいなと、見習いたいな
と思い、生涯現役目指して頑張ってるんですが、
寝食を忘れて打ち込めるものが未だに見つかり
ません。それさえ見つかれば、きっと今日にも
死ぬような生き方が出来るような気がします。

今は永遠に生きるように夢を見ることは出来ない
けれど、自分がやると決めたことを日々精一杯
やって行くことは出来るので、その姿勢でいれば、
きっと素晴らしい夢が見つかると信じ、頑張って
生きて行きたいと、思いを新たにしました。

Because, that’s my life !

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2016年9月4日日曜日

NHK大河ドラマ「篤姫」

2008年にNHK大河ドラマ「篤姫」が放映され、
早いもので、もう8年も経ってしまいました。
初めて放映期間中にアンコール再放送されるほど
の人気で、平均視聴率は24.5%と幕末を舞台に
した大河ドラマとしては過去最高。過去10年の
大河ドラマとしても、2002年の「利家とまつ」
の22.1%を抜いて、最高の視聴率となりました。

私は歴史ドラマが好きですが、出演者や脚本の
質によっては気に入らない場合もあり、初回の
放映を観て気に入れば1年間観続けますが、
気に入らなければ次回から一切観ません。

私にとって「篤姫」は、それまで観た大河ドラマ
の中で一番のお気に入りです。出演者もそれぞれ
の個性が活かされ、皆さん良い演技をされていま
したし、照明・衣装・セットも素晴らしかったし、
何より音楽(吉俣良氏)と脚本(田渕久美子氏)
が素晴らしかったです。それまでの時代劇には
ない魅力を感じました。

例:その1

薩摩の実家で、篤姫の実母と小松帯刀夫妻が
篤姫の話をしています。皇女和宮お輿入れを控え、
とても忙しくしているらしいとの噂話です。

実母「そのせいでしょうか、近頃はあの子のこと
    ばかり考えてしまうんですよ。」
小松夫人「お逢いしとうございますね。」
(動画31’26”)
https://www.youtube.com/watch?v=4kUsf-V-i5M

時代劇で「お逢いしとうございますね」という
セリフ、珍しくないですか?でも、人々の存在感
がリアルに伝わって来ますよね。皆さんには
「逢いたい」と思える人、何人いますか?

例:その2

薩摩藩の有馬新七を始めとする急進派9名が、
同じ薩摩藩士に制圧された寺田屋事件。自分の
部下を切ってまで京の治安を守ったとして、
島津久光は朝廷から絶大なる信頼を得ることに
なります。しかし、小松帯刀は納得がいかず
こう呟きます。

小 松「江戸へ行くことにも嫌気がさしました。」

     すると、大久保利通が尋ねます。

大久保「久光様を信用できなくなっておいでなの
     ではございもはんか?寺田屋の一件のせ
     いでごわすか?」
小 松「私は、有馬さんたちが哀れでなりません。」

そこで、大久保は有馬らの行動の真意が日本国や
薩摩藩の為であり、久光様もそれをご存じだと
小松に伝えます。そして

大久保「有馬さあの死を無駄にせず、この日本国
     を変えて行くのは、おいたちの天命では
     ございもはんか?」
小 松「天命?」
大久保「今この時に居合わせ、その天命に准ずる
     ことができて、おいは腹の底から幸せち
     思うといもす。」
小 松「…ダメだなあ、私は…。先程の泣き言は
     忘れて下さい。江戸へ行き、斉彬様のご
     意志が成るのを、この目で見届けること
     にします。」
 (動画26’04”)
https://www.youtube.com/watch?v=D__EtWFjLO4

時代劇に「ダメだなあ私は」というセリフ、
珍しくないですか?でも武士だって、そう思う
ことはあったでしょう。

例:その3

島津久光が1000の兵を率いて京へ向かう途中、
下関で西郷が出迎えるはずでしたが、西郷が一足
先に大阪へ向かったことを知った久光は激怒し、
西郷を島流しにせよと命じます。小松と大久保は
大阪へ向かい、西郷にそのことを伝えます。

西 郷「そうか、また島暮らしか…。」
小 松「久光様に事情をお話して、許しを乞うべ
     きです。」
西 郷「その気はありもはん。おいは久光様の元
     では働きたくなかち、どこかで思うちょ
     る。お許しを頂いても、また同じことに
     なるじゃろ。」
小 松「西郷さんがいなくなれば、志士たちをま
     とめる者がいなくなります。」
西 郷「小松様や庄助どんがおれば、大丈夫でご
     わす。」
大久保「吉之助さ、一つ約束してほしか。島でん、
     どこでん、生きて生き抜いて、薩摩の為
     に働ける日を待つと。」
西 郷「(長い沈黙のあと)解った。約束する。」
     大久保「よう言うてくれもした。」
(動画9’45”)
https://www.youtube.com/watch?v=D__EtWFjLO4

このドラマでは、西郷・大久保が下級武士の頃か
ら小松帯刀との交流があり、支え合って来た経緯
を描いています。この3名の「弱さ」も含めた
人間的な部分を多く描いています。

例:その4

小松帯刀と勝海舟の出会いの場面

勝 「こたび薩摩は強引なやり方で幕府の改革を
   迫った。力を散らつかせて脅した。ンなあ
   やり方は下の下です。」
小松「私も、こたびのやり方には納得がいって
   おりません。」
勝 「こりゃあ面白いことだ。薩摩の中にもこう
    いう御仁がおいでとは…。だったら、どう
   すべきだったか、よろしいか?上等な人間
   てものは、力で人は動かさねえもんです。」
小松「では、どうやって?」
勝 「心です。心で動かすもんですよ。」
小松「心で?」
勝 「そういうことです。」
小松「…お言葉、胸にしみました。本当にそう
   ですね。」
勝 「ますます面白い…」
(動画25’37”)
https://www.youtube.com/watch?v=y2_KTJac10w

実際の初対面の際に、こういう会話がされたか
どうかは解りませんが、全くリアリティがなくも
ない、そう思わせる良い脚本だと感じます。

最後に、オーケストラによるBGMと
メインテーマの演奏をお楽しみ下さい。
ドラマのBGMは俳優の演技を引き立たせる為に
あるので、観る者が音楽にばかり気が行ってしまう
ようではいけないのですが、吉俣氏の音楽は
俳優と同等の自己主張が感じられ、音楽だけ聴いて
いても心地良いのです。にも関わらず、演技を
決して邪魔しない、素晴らしいコラボレーション
になっています。心から尊敬します。
https://www.youtube.com/watch?v=yWTS2BEpR6Y

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2016年8月28日日曜日

介護文学 Part2

仮に私が支援中に、こう感じたとします。

「入室して私が『今日はお加減いかがですか?』と
尋ねると、とても嬉しそうな顔をされました。でも
体温は36.8℃と少々高めで、お元気がありません
でした。陰部に、ほんの少し赤みがありました。
温タオルを腰に当てると、気持ち良さそうにして
おられました。食欲旺盛ですが、おかずを少しだけ
残されました。吸い物、お茶などで水分補給もされ
ました。美味しそうに食べておられましたので、
配食弁当はお嫌いでないようです。心配なのは、
いつもより箸の運び方がゆっくりだったことです。
食後に服薬を確認し退出しました。」

もし私が、この通りメモに書き残しておけば、
ご家族や事業所の責任者や他のヘルパーさんは、
私が利用者さんを細かく観察し、丁寧に記録して
いることを評価してくれるかも知れません。
しかしこれを、行政の指導に従って、主観を交えず
客観的事実だけで書くと、こうなります。

「体温36.8℃・陰部に赤みあり・野菜炒め以外は
完食・吸い物とお茶を1杯ずつ摂取。服薬。」
せっかく私が利用者さんを観察し、色々気づいたと
しても、それが伝わらない文章になってしまい
ます。なぜこうなるかと言いますと…

「今日はお加減いかがですか?と尋ねると、とても
嬉しそうな顔をされました。」とありますが、
「嬉しそうな顔」と感じたのは、あくまで私の
主観であって、客観的事実とは言えません。

「お元気がありませんでした。」とありますが、
これも私の主観に過ぎません。普段から口数の
少ない方だし、顔色が赤くも青くもないので、
客観的事実だけで表現のしようがないのですが、
私には解ったのです、元気のないことが。

「陰部に、ほんの少しだけ赤みがあった。」
と大事なことに気づきましたが、「ほんの少し」
は主観ですから書けません。色見本でも作って
一番近い色のNoを書き込むしかありません。

「とても気持ち良さそうにしておられました。」
とありますが、これも主観ですから書けません。

「食欲旺盛」も主観。「おかずを少しだけ残され
ました。」の「少しだけ」も主観なので、正確に
記録するなら残り物を軽量しなければなりません。
「美味しそうに食べておられました。」も「配食
弁当はお嫌いでないようです。」も全て主観です。

「いつもより箸の運び方がゆっくりだったこと。」
と、また大事なことに気づきましたが、私は
利用者さんの「いつも」を把握している訳では
ありませんし、ゆっくりとか早いとかの感覚も
私の主観ですから書けません。

日々、一番近いところで利用者さんを観察している
ヘルパーの主観を信用せず、客観的事実だけを
記録させるのは、もったいないような気がします。
「記録に書けないことは口頭で伝えればいい。」
と言う人もいますが、文章は主観NGで口頭は
主観OKというのも、筋の通らない話です。
内部カンファレンスも主観NGでは、
とても窮屈な話し合いになるでしょう。

思った通りに記録を書けば、ご家族が早めに
利用者さんの異変に気づけたかも知れない事例で、
私が模範的な記録を書いたがために利用者さんに
不利益が生じたとしても、行政が責任をとって
下さることはないでしょう。が、私達介護者に
とっては、利用者さんの安全確保が第一義です
から、恥を忍んで不出来な記録を書いてしまう
ことがあるのかも知れません。

そうならぬよう、勉強あるのみですね。

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2016年8月21日日曜日

着々と事を進める

私は、着々と計画通りに事を進めるのが好きです。
当ブログもテーマの基本周期を決めてますし、
更新する日時を皆さんにお伝えしないと気が済み
ません。「期待して開いてみたら、まだアップして
なかった。」って思いをして頂きたくないんです。

仕事・手話・ブログ・体操・FaceBook・ケアマネ
の試験勉強・家事・入浴をコンスタントにこなす
ルーティンが出来てます。FaceBookの投稿でさえ、
FB友を飽きさせないようにテーマの基本周期を
決めてます。TVはニュース以外はリアルタイムで
観ず、録画した番組を、CMを飛ばし、興味のない
場面を飛ばしながら、早回しで観ます。

仕事であれ、趣味であれ、家事であれ、何でも
「いつまでにやる。」と無理のない計画を立て、
そこから逆算して日々のノルマを自分に課し、
粛々とこなします。それも、毎日少しずつ全てを
平行して進めるのが好きで、今日は勉強、明日は
手話というやり方は、あまり好きじゃないんです。
ダイエットも4月の頭に「23週で4.6kg落とす」
と決め、毎日体重計に乗ってチャックしています。
9月の健康診断日には目標体重になる予定です。

そんな私ですから、年末の大掃除の時には妻と
喧嘩になることが多いんです。妻は私と違って
何事にも計画を立てませんし、自己コントロール
めいたことは一切しない自由人です。大掃除も
気の向くままに、やりたいことをやりたいように
やります。私は物を片付け、整理して、最後に
掃除をしますが、妻はいきなり掃除から始めます。
それでよくヘルパーが務まるなと思うくらいの
段取りの悪さですが、彼女には段取りという概念
がない(言い過ぎかな?)ので、仕方ないんです。

眠る時間以外はボーッとする時間がない私の生活
ぶりを知る人は「ストイックだ。」と言いますが、
私はプロデューサー時代に身についてしまった
職業病だと思ってます。演劇プロデューサーは、
期日までに様々な事を同時に進める必要があり、
綿密な計画性と、それを着実に実行する実行力、
イレギュラーなことにも対応出来る柔軟性も持つ
マルチタレントであることが理想なんです。でも
世の中のプロデューサーがみんな私みたいだとは
限らないので、やっぱり私の個性なんでしょうね。

世の中の人がみんな私みたいだったら、物事は
ちゃっちゃと進んで行くでしょうが、なんだか
潤いがなくなっちゃうかも知れませんよね。
でも、そう思っても、変えることは出来ないし、
変えようとも思わないんですよね。私の信条は
「変わることの出来る自分」なんですけどね…。

ひょっとして死期を感じた時にも、
ちゃんと計画立てて粛々と死んでったりしてね。
…冗談じゃなく。

Because, that’s my life !

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2016年8月15日月曜日

不戦の誓い Part3

71年前の今日、ラジオから流れる玉音放送で
「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ
共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」(私は
日本政府から米・英・中・ソの四国に対して、
それらの共同宣言を受諾することを通告するよう
下命した。)という天皇の言葉を聞き、国民は
敗戦を知りました。共同宣言とはポツダム宣言
のことで、それを受諾したことを「無条件降伏」
と考えている人も多いようですが、宣言には
「全日本軍の即時無条件降伏」と書いてあり、
無条件降伏を迫られたのは国家でも国民でも
なく日本軍だった、というのが真実です。つまり
今日は「旧日本軍の敗戦記念日」と言い換える
ことも出来る訳です。

以下の資料は「世界戦争犯罪辞典」
(編・秦郁彦、文藝春秋)からのピックアップ
であることを、あらかじめお断りしておきます。

「ビハール号事件」(1944年3月)
重巡利根が英商船「ビハール号」を撃沈した際、
揚収した生存者60名を甲板で処刑。

「ババル島事件」(1944年10月~11月)
インドネシア・ババル島の日本軍守備隊による
住民虐殺事件。被害者数704名。

「ポンナチャック事件」(1943~1944年)
インドネシア・ポンナチャックで発生した大規模
な住民検挙粛清事件。被害者数4000~2万人。

「デュエナス神父処刑事件」(1944年7月)
日本軍占領下のグアム島で島民への影響力が強か
った神父を逮捕、公衆の面前で拷問し処刑した。

「メリッソ村民虐殺事件」(1944年7月)
グアム東南部のメリッソ村民を日本軍が虐殺。
被害者数46人。

「トラック病院の捕虜生体解剖」(1944年2~7月)
米兵捕虜4人に生体切開を行い、このうち2名が
ショック死。生き残った二人はダイナマイトで
爆殺された。さらに他の4名にぶどう状球菌を
注射し全員死亡させる。

「ティンブンケ事件」(1944年7月)
東部ニューギニアのティンブンケ村で、約100名
の村民が日本軍に集団殺害された事件。

「パラワン島米兵捕虜殺害事件」(1944年12月)
米軍の上陸が迫るフィリピン・パラワン島で飛行
場の保守作業に従事していた米軍捕虜150名が
処刑される。

「父島人肉食事件」(1945年2月)
撃墜され落下傘降下した米兵を捕らえ処刑の後、
その肉を食べた事件。当時の父島は食料に困って
いたわけではなかった。被害者数8名。

「九州大医学部生体解剖事件」1945年5~6月)
米兵捕虜8名を生体実験。肺の全摘出を行った後、
輸血の代用として海水を点滴。どのくらい生き
ながらえるかを実験した。

「マニラ市街戦での虐殺事件」(1945年2月)
マニラ市街戦で多数の民間人が虐殺された事件。
聖パウロ大学で子供を含む994名を殺害。北部墓
地で2000名を処刑。サンチャゴ監獄で集団殺害。

「石垣島事件」(1945年4月)
石垣島で米兵捕虜3名が処刑される。

「ランソン事件」(1945年3月)
仏印北部のランソンで仏兵捕虜を処刑。

「サンダカン死の行進」(1945年2~6月)
北ボルネオのサンダカンから260km離れた西海岸
へ移動させられた2000人の英豪捕虜の大部分が
飢えと病気のため死亡した事件。

「花岡事件」(1945年6月)
日本へ強制連行され、秋田県花岡炭鉱で働かされ
ていた中国人労務者が起こした蜂起・逃亡事件。
見せしめの為100人が拷問後処刑される。

「ヤルート島民処刑事件」(1945年5月)
マーシャル諸島ヤルート島で陸海軍将校が島民
21名を殺害。

「カラゴン事件」(1945年7月)
日本軍が南ビルマのカラゴン村の村民600名を
集団殺害した事件。

「オーシャン島住民殺害事件」(1945年8月)
島民140名に終戦を告げた後、全員を銃殺。

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