2025年8月24日日曜日

コンクール 盲導犬拒否

広島県の吹奏楽コンクールで、会場側が視覚

障害者の盲導犬を受け入れ拒否したことが話題

になりました。私はSNSでそれを知り、気に

なってちょっと調べてみましたが、法律的には

受け入れを拒否してはいけないことになって

いるようですね。けれども、盲導犬を伴った

視覚障害者の実に48%もの人が拒否の体験を

しているそうです。そして、盲導犬は音楽会の

会場にいても、決して吠えたり動き回ったりは

しないそうです。


音楽会の会場でそのようなことがあるってこ

とにも驚きましたが、私がもっと驚いたのは

「コンクールだから」とことさら強調する

人々がいるってことです。


中学や高校の吹奏楽部で優勝を狙うような

学校の熱の入れようったら、それは尋常じゃ

ないでしょう。さながら吹奏楽版甲子園と

いった盛り上がりなんだと思いますよ。優勝

すれば学校も売名になるし、指導者はキャリア

に箔がつくし、生徒は進学や就職に有利に

なるのかな?良くは知りませんが…


では何故、私は驚いたと思います?


どんな人達を対象にしたアンケートかは知り

ませんが「これはコンサートではなくコン

クールなのだから、拒否は仕方がない。」と

考える人が、なんと70%もいたんだとか。

私には全く理解できません。ってか価値観が

全く逆です。コンクールは有料で音楽を聴か

せるイベントじゃないけど、コンサートは

有料で音楽を聴かせるイベントですから、

当然コンサートの方が価値観は上でしょって

思う訳です。


スポーツは競うものですが

音楽は競うものじゃありません。


コンクールの勝敗に一喜一憂するメンタリ

ティーは、芸術とは何の関係もない競う文化

のメンタリティーです。競う文化では人の

演奏を上手いか下手かを聞き分ける耳は育て

られるかも知れませんが、芸術本来が目指す

感性の育成には寄与しづらいと思います。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年8月17日日曜日

自分史

27年ほど前だったでしょうか、たぶん私が

40代前半ぐらいだったと思うけど、自分史

なんてものを書いたことがあるんです。


笑って下さいね。


当時はワープロからPC、ガラケーからスマホ

に移行する過渡期で、当然ながら私はワープロ

とガラケーを使ってましたよ。物心ついてから

40歳までの自分史、しかも自分のことだけ

じゃなく両親や祖父母の話から始まり、世の中

の出来事や流行なども書いてたから、物凄い

ページ数になっちゃったんですね。で、これを

フロッピに保存してたんですけど、もうこれ

からはPCの時代だってことになったんで、

仕方なくプリントアウトして持ってました。

今はもうどこに行ったか解らないけど、もし

かしたらどっかから出てくるかもしれません。

40歳まで書いて、残りは80歳になったら

書こうとか思ってましたよ。


でも、いったい私は

何故そんなものを書こうと思ったんでしょう?

承認欲求かな?

自己顕示欲かな?

生きた証を残したかったかな?

誰に読んでもらうために?

子や孫たちに?

たぶんそんなところでしょうね。


私はまだ68歳で、80歳はまだ先だけど、

仮にそのプリントアウトしたやつが見つかった

としても、続きを書きたいとは思いませんね。

ってか、そんな余裕はないです。そんな暇が

あったら音楽やりますよ。仕事をリタイヤして、

音楽もそこそこやり尽くしていよいよ終活が

近づいてきたら、残りを書いてみようと思う

かも知れないけど、その時になってみなきゃ

解りませんね。


たぶん、そんな気にならないと思いますよ。

私にとっても子孫にとっても、私の過去の

ことなんてどうでもいいんじゃない?って

思って、むしろ生きた痕跡を残さず人知れず

静かにいなくなりたいと思うでしょう。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年8月10日日曜日

ワクワクドキドキ

連日の猛暑、お見舞い申し上げます。


特に、訪問ヘルパーさんはご苦労様ですね。

私も経験があるけど、1件訪問するともう

汗だくになって、時間があれば家に帰って

水シャワーを浴びて着替えてましたよ。

家に帰る時間がない場合はコンビニに寄って

涼んでましたよ。


しかし、年々暑さが酷くなって来ますよね。

40度超えが当たり前なんて時代が、すぐ

そこまでやって来てる感じしますもんね。

私の子ども時代、1960~70年代、

昭和で言うと30~40年代の夏って、

こんなじゃなかったと思いますよ。30度を

超えるのは、ひと夏に2~3日しかなかった

と思いますよ。それも31度とか、せいぜい

32度ぐらいじゃなかったですか?朝晩は

網戸にしとけば、まあまあ涼しい風が入って

来るし、日中でも日陰にいればさほどの暑さ

じゃなかったような気がします。今はエアコ

ンの室外機から出る熱風が酷いですもんね。

あれの影響、かなりあるんじゃないですか?


ところで皆さんは、青春時代の夏の思い出、

どんなのがありますか?


私がパッと思い浮かぶのは、小学生の頃の

豊島園遊園地です。流れるプールとか波の

プールとか、サイクロンとかフライングパイ

レーツとか、1回転しちゃう怖いやつとか、

ディズニーランドがなかった頃は最先端の

遊園地とプールで、物凄い人混みでしたよ。

夏休みには毎週土曜の夜に打ち上げ花火が

あって、我が家は豊島園の近くの8階建て

アパートの8階だったので、ベランダから

目の前に上がる花火を楽しむことができた

んです。ちょうど「ドリフの8時だよ全員

集合」が始まって30分後にドーン、ドーン

って鳴り出したものです。プールでは、当時

流行のエレキサウンドのグループが生演奏を

してましたよ。ベンチャーズのダイヤモンド

ヘッドとか演奏してましたね。


次に思い浮かぶのは中1の夏、千葉の海で臨海

学校した時の夜、全員が食堂に集まってアポロ

月面着陸の生中継を見てた思い出です。白黒の

映像で、なかなか船員が出てこなくて、やっと

出てきたかと思ったら、なんだか良く解んない

映像で…。人間が月面に降り立つことの凄さも

良く解ってなかったような気がします。


もう1つ思い浮かぶのは高1の夏、吉田拓郎

の「旅の宿」が流行って、やたら街に流れてた

ってことです。当時は有線放送が盛んだった

ので、あちこちで流行歌が流れてたんですね。

高校生になって学ランから私服になり、親に

せがんで生まれて初めてジーンズはいてね。

我が家は特に厳格な家ってわけじゃなかった

けど、親の世代の認識はジーンズ=労働者の

作業着だったんです。でも僕らはフォーク

ソング世代ですからね。そこにあの色っぽい

「旅の宿」が耳に入って来る…。な~んか

ドキドキワクワクでしたよ!


さて、今の私は何にワクワクドキドキすれば

いいんでしょう。

大谷選手に期待しましょうかね。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年8月2日土曜日

ケアプランの有効期間

最近はケアマネの仕事をAIが担い、ケアマネ

を少しでも楽にしてくれるような方法を考えて

下さってる方々がいるようです。そうなって

くれれば有難いですが、世の中に普及して行く

までにはそれなりに時間がかかるでしょうし、

個人でやってるならまだしも、会社で働く場合

は会社が方向性を決め、予算をつけ、推進して

くれなきゃ、自分らで勝手にはできません。


ケアマネの仕事は増える一方で、減るってこと

は滅多にないけど、やろうと思えばすぐにでき

ることもあります。ケアプランの有効期間を

伸ばすことです。


ケアプランには長期目標と短期目標ってのが

あって、長期が1年、短期が半年って感じで

有効期間を設定します。でも、この期間設定

には決まりがなく、ケアマネ判断で変えるこ

とができるんです。まず基準になるのは、

介護保険証の有効期間です。保険証が1年しか

有効でないなら、当然長期目標も1年にせざる

を得ません。でも保険証の有効期間が4年なら

最大4年まで長期目標も設定できる理屈にな

ります。実際に介護保険証の更新が行われる

時に、状態の安定している利用者さんには4年

の有効期間が与えられる場合があるんです。

であれば、長期4年、短期2年でもいいし、

長期2年、短期1年でもいいっていう理屈に

なります。


そもそも何を根拠に長い間、長期1年、短期

半年なんて慣習になってたのかが不思議です。

保険者様が「それが望ましい。」とおっしゃ

れば、たとえ必須でなくてもその通りにするの

が日本人。特に介護業界は運営指導と言う試練

がいつ何時やって来るか解らないから、保険者

様のご意向には敏感になっちゃう訳ですね。

「やっておくに越したことはない。」という

臆病な考え方が、どんどんケアマネの仕事を

増やして行く訳です。でも普通に考えれば、

ケアプランってものは利用者さんの状態が

変化して、支援内容を変える必要があれば

誰に言われずとも変更する訳ですから、根拠

なく有効期間を設定し、根拠なくプラン更新

することがどれだけ無意味なことか気づくはず

なんです。


状態が安定していて保険証の期間も長く設定

されてる利用者さんの長期目標を2年にすれ

ば、おそらくケアマネの仕事は4分の3ぐらい

に効率化されるでしょう。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年7月27日日曜日

2年前の教訓

一昨年の今頃、Concertinoと格闘し、夏に

アップする予定が10月になってしまいま

した。それでも満足の行く演奏はできず、

悔いが残る結果となりました。


今回も夏にアップする予定だけど、なかなか

満足の行く演奏ができません。秋にどうしても

アップしたい曲があるので、いったん中断して

冬に再挑戦となるかも知れません。2年前の

教訓を活かし、納得行くまではアップしない

覚悟で望みます。


やっぱ夏はきついですね。1日働いて、帰宅

したら冷たいシャワーを浴びて、冷たい物を

飲んで、コテンと横になりたいのに、そこから

ヨイショ!って気合入れて2時間、楽器に集中。

頑張ってるつもりでも、イマイチ集中力がなく

て上達が遅いのかも知れませんね。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年7月23日水曜日

道徳的な恥の概念

ハニトラだのマネトラだのって言葉が話題に

なるのは何も今に始まったことじゃないけど、

現政権になって急にそういう話題が増えまし

たよね。アメリカ大統領がトランプ氏になって

米中戦争や関税戦争が勃発するだろうって時に

なんと外相が中国にスッ飛んでったでしょ。

その後も何かと中国を擁護する発言を繰り返し

反米親中丸出しで恥じ入る様子がありません。


自民党の総裁も幹事長も、衆参両院の選挙で

大敗したにもかかわらず辞任しないという

前代未聞のあつかましさ。あの二人も多分

ハニトラ・マネトラにはまってるんだろう

なって想像しちゃいますよ。「絶対辞めるな。

辞めたら全部バラすぞ。」って脅されてると

しか考えようがないですもんね。


我が国は主権在民だけど、その権利を行使で

きるのは選挙だけですよね。だから、選挙で

示された民意を軽んじることは、国民から

主権を奪うことに他なりません。こんなでた

らめな政治を、近い将来選挙権を得るであろう

中高生に見せるのは大きな罪だと思います。

「日本は所詮こんな国なんだ。生き方考えな

きゃな。」って思われたら、日本の将来は

真っ暗じゃないですか?


アメリカの言いなり、これはずっと前から

言われてることで、戦争に負けんだから、

ある程度はしょうがないんでしょう。でも

敗戦当時、白洲次郎さんって方は「我々は

戦争に負けたのであって、奴隷になった訳

ではない。」って言ったそうですよ。気骨が

ありますよね。ところが今の日本はどうで

しょう。現政権への退陣要求が強まり、喉

から手が出るほど外交成果がほしい状況だと

見透かされ「日本が80兆円の投資をし、

利益の90%をアメリカが得る。」ってな

ことになりましたね。赤沢なにがしが笑顔で

親指突き立ててましたよ。奴隷がご褒美を

頂戴して喜ぶ姿は痛々しいですね。

ま、トランプにとっても手柄がほしい状況

ではあるんですがね。


トランプ、プーチン、習近平などが、力と脅し

によって自国の利益を追求し世界の覇権を

握ろうとする戦いに、弱小国は否応なく巻き

込まれて行きます。弱肉強食の世界では、

道徳的な恥の概念がなく、負けることが恥な

んだと、私は思います。だから、目的達成の

ために手段を選ばないんです。騙すことは悪

でなく騙されるのが悪。奪うのが悪ではなく

奪われるのが悪。殺すのが悪ではなく殺される

のが悪なんでしょう。


たとえ世界がそんな風潮になって行ったと

しても、私達日本人は道徳的な恥の概念を

失わず、賢く生き抜いて行ってほしいと願

わずにいられません。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年7月17日木曜日

意欲が失せる時

協奏曲を吹いても吹いても、上手くなりません。

それどころか、下手になって行くような気さえ

します。まるで1日生きると1週間歳をとって

しまうかのようです。もはや協奏曲は無理なの

かと、絶望的な気分に苛まれます。


5月5日に“ What a wonderful world ”

をアップして、次は高校生の頃に夢見た

ウェーバーのクラリネット協奏曲第1番

第1楽章を8月10日までにアップしようと

決めました。難曲であることは解ってたけど、

高校生の頃に吹いてた曲だし、伴奏の音源は

できてるので、3カ月あれば間に合うだろう

とたかをくくってました。でも、今では全く

目処が立たない状況です。自分の納得行かない

演奏しかできないなら、動画にする価値なんて

ありません。いっそのことすっぱり諦めて、

自分の身の丈にあった楽曲を思いを込めて

作品にした方がいいです。


思えば一昨年の今頃、“ Concertino ”に

苦しんで苦しんで、下手っぴながらも何とか

形にした、あれがターニングポイントだった

のかも知れません。50肩のように、

「お前さんはもう若くない。無茶しなさんな。」

ってことだったのかも知れません。でも、

ウェーバーを第3楽章まで吹いて、その次は

モーツァルトって決めてたし、そのためにA管

も買ってあるので、そうやすやすと夢を諦める

訳には行きません。とにかく8月中旬まで

粘って吹いて、それでも完成しなければその時

に考えます。


ケアマネをしてると、せっかく趣味をお持ち

なのに、ある時期から急に意欲が失せて趣味

を止めてしまう方をよく見かけます。今更で

すが、私、何となく解るような気がします。

今はまだ身の丈にあった楽曲なら吹けると

思えても、それすら自信がなくなったなら、

この私とて、一気に意欲が失せても不思議

ではありません。


そんな日が来ると想像しただけで悲しく

なります。クラだけは、いつまでも吹いて

いたいです。吹きながら死んでもいいくら

いです。意欲が失せる前に命が失せた方が

ましです。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」