2016年6月26日日曜日
1つの笑顔
私は以前、スタバやディズニーランドで働く若い
アメリカ人達が手話をマスターして、聴覚障害を
持ったお客さんを喜ばせているという話をネット
で見て心動かされ、自分も手話を覚えることに
しました。そして毎週1回、計15回の手話入門
講座に通い始め、6回目まで終えました。
手話は楽しいです。役者あがりの私に向いてます。
手だけでなく、顔や体も使って表情豊かに話すん
です。また、とかく曖昧になりがちな日本語より
端的な表現の英語に近く、私の性格に合ってます。
でも、ボディランゲージの世界はまた、音のない
世界でもありすから、まずそれを共有しなければ
なりません。映画『奇跡の人』でヘレン・ケラー
さんがサリバン先生から“WATER”の指文字を
学ぶ、あの感動的なシーンが思い出されます。
元来私は音楽好きで、右脳人間でした。それから
役者~プロデューサーと転身するにつれ、左脳を
多く使うようになりました。ヘルパーの仕事は
右脳も結構使うと思いますが、資格取得のための
試験勉強は左脳がほとんどです。でも手話は、
右脳をかなり使うような気がするので、いま現在
試験勉強と手話の稽古の両立に苦はないです。
私はヘルパーとして聴覚障害者の支援をしたこと
はありませんが、将来ケアマネとして聴覚障害を
持った高齢者の支援をする機会があるかも知れま
せん。その時はきっと、筆談でなく手話で話し
合いたいなって思います。筆談でも意思疎通は
出来るでしょうが、それで事足りるなら世界中に
手話が普及することはなかったでしょう。やはり、
互いに顔を見合って会話することが人間にとって
大切だからこそ、普及したんだと思います。
でも、1つの言語をマスターする訳ですから
一朝一夕には成し得ませんよね。講座も
初級~中級~上級と受けて、ようやく手話通訳の
試験を受けられるレベルになるようです。
せっかく始めたことなので、通訳の資格が
取れるくらいに上達したいな。それから、
手話落語の真似事でも出来たらな、なんてね。
私は長年、児童・青少年向けの演劇を手掛けて
来ましたが、作品を創るにあたっていつも念頭に
あったのが「たった1人に、たった1つの笑顔」
でした。クラスメイトのいじめや親の虐待などで、
辛い日々を送っている子、明日に希望を持てない
子がもしいるなら、その子だけでもいい、
ほんの一時でもいい、笑顔にしてあげたい
という思いでした。願わくば、
勇気と希望をもって、明るく前向きに生きて行く
きっかけになってほしい…との思いから、
自分の作家としてのペン・ネームを
「来栖あすか」(明日が来る)としました。
スタバやディズニーランドで働く若者は
聴覚障害者に笑顔をプレゼントしていました。
私も、同じことがしたいです。
Because, that’s my life !
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
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