もうすぐ私は70歳になります。いよいよ
残りの人生が少なくなり、なんだか最近、
過去を振り返って色々考えたりすることが
多くなりました。仕事のこと、趣味のこと、
恋愛のこと、そして節目節目で自分が下した
決断について…
私は保育園児の時から小学校6年生まで、
学芸会で毎年主役を演じて来ました。親が
役者だった訳じゃないし、自分が児童劇団に
所属していた訳でもないのに、何故かその時々
の担任の先生が私を主役に抜擢したんです。
私が4年生の時に父は、私に日舞を習わせま
した。5年生になって私が「踊りより音楽が
好き。」というと、あっさり日舞を止めさせ、
ピアノを習わせてくれました。小学校を卒業し
中学生になる前の春休みに父は私にこう尋ね
ました。
「中学でクラブは何にするんだ?」
「ブラバンかバレーボール」
当時は男女共にバレーボールが世界1位2位を
争うほどの実力で、国民から大人気でした。
けれども父はその晩、同じ楽団のクラ奏者から
舶来のクラをセコハン(セカンドハンド・中古
品の意)で買って来て、私の目の前に黙って
置きました。それが私とクラとの劇的な出会い
でした。当時父は、東京宝塚劇場の専属オーケ
ストラでドラムを叩いていました。
中学校に入学してすぐに吹奏楽部に入部し、
中学校3年生から芸大OBの先生方にご指導
を仰ぎ、クラやソルフェージュのレッスンを
開始しました。目的はただ1つ、東京芸術
大学入学。父はしがない一介のドラマーで
決して裕福とはいえない家庭であったため、
私立の音大という選択肢が存在しないことを
誰から言われなくとも私は理解していました。
高校1年生の12月に、私は音楽を放り投げ
ました。母が外に男を作り家出し、その後
二度にわたり自殺未遂を犯しました。それも
私の中間試験の直前と期末試験の直前、一度目
は真夜中に、二度目は早朝に警察から電話が
あり、父と私は面会に行きました。一方、私は
レッスンで人生初の劣等感に苛まれてました。
英才教育を受けた優秀な学生の中で、自分の
才能のなさを思い知らせれてました。私に
とって楽しいはずの音楽が苦しみに変わって
行きました。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る
世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」
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