「壁というのは、できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時は
チャンスだと思っている。」
世界のイチローの言葉です。いかにも、次々と
記録を塗り替えた一流選手の言葉らしいですね。
しかし、この言葉には
多少の翻訳が必要かも知れません。
「壁というものは、
それを乗り越えたいと思った時に
初めて壁となるのであって
そう思わない者にとっては
壁でも何でもない。」
と言い換えることも出来そうな気がします。
イチロー選手の言葉は上昇志向の強い人にとって
当たり前のこと。しかし世の中は、そういう人
ばかりではない。全く違った世界観・人生観を
持った人はたくさんいるし、いくら上昇したいと
望んでも、叶わぬ人もたくさんいます。
そこで、壁の乗り越え方について
ちょっと考えてみるのも
悪くないんじゃないでしょうか?
『壁』と言うと、すぐに『乗り越える』
と来ますが、それは何故でしょう。
壁の向こう側に進化した自分がいる、
という前提の話な訳ですね。
つまり『乗り越える』という行為は
『進化』のプロセスな訳です。
ならば、進化ではなく、変貌、または異化する
ことを目指したら?『乗り越える』という行為に
意味がなくなれば『壁』も存在しなくなります。
『ヒットを打つ』ということにのみ固執するなら
その壁を乗り越えた者だけが勝者となり、
乗り越えられない者は敗者となる訳ですが、
『野球で飯を食う』というように範囲を
広げれば、監督・コーチ・トレーナー・審判・
スカウト・GM…、可能性は格段に広がります。
更に範囲を広げて『野球を愛する』自分であろう
とするならば、実業団でプレーするも良し、
草野球に興じるも良し、単なるファンとして野球を
観戦して楽しむも良し…。ということになります。
ドン・キホーテのように、たとえそれが見果てぬ夢
であろうと、他人が何と言おうと、挑戦し続ける
ことは自由です。でも、叶わぬ夢を追うより、
叶う現実を追いたいと願うなら、ちょっと方向性を
変えてみるのも有効ではないでしょうか?
私は4年前の春、長年歩んで来た演劇の道で食べて
行くことが出来そうにないと悟った時、出張先で
鬱の一歩手前になりました。かろうじて昼の営業
には出かけて行くものの、ホテルにいる時は、排泄
以外は食事も入浴もせず、ベッドに横たわったまま
何もする気になれなくなってしまいました。
毎日毎日「死んだら楽になれるかな…。」などと
考えている自分がいました。でも、旧友の
「介護の世界なら感動するほど仕事があるよ。」
の一言に救われました。目の前の壁には目もくれず、
別の方向を見据えたんです。その夏にヘルパーの
資格を取り、第二の人生を歩み始めました。
今は、方向を変えたことを後悔するどころか、
もっと早く変えるべきだったと思っています。
ただし、人生は筋書きのないドラマ、
この先また、壁に突き当たるかもしれません。
が、その時はその時、何とかしましょう。
Because, that’s my life !
名も無きオヤジが人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」毎週月曜日の朝に更新
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