2019年2月2日土曜日

クランポン

明日は早出でバンドの稽古に行くので
少し早めの投稿です。

私は中3になる前の春休みに、親から「東大と
芸大、どっちに行く?」と聞かれ、芸大って答え
ました。そんな実力があった訳ではなく、貧しく
て私立は無理だからです。東大なら都立普通科で
偏差値の一番高い学校群、芸大なら一番低い学校
群を受験しろと言われました。レッスンに時間を
費やしても内申が取れるようにってことでした。

中3から芸大OBの先生にクラ・ソルフェージュ
・聴音を習い始めました。クラの先生から「もっ
と良い楽器を使うべき。」と言われ、父は先生の
勧め通りクランポンを買ってくれました。48年
前に11万円しました。私は1年後、一番偏差値
の低い高校に入学し、部活に入らず音楽準備室を
借りて1人で練習してました。その年の12月に
挫折しクランポンは宝の持ち腐れになったけど、
父は文句一つ言いませんでした。家庭のゴタゴタ
の責任は自分にあると理解してたんでしょう。

高校卒業後は演劇学校へ2年間通い、演劇学校
卒業後の下積み時代、小遣いが足りず質屋通いが
始まりました。質草はクランポン。毎月利息を
払いに行ったついでに楽器の手入れをして帰り
ました。払った利息の合計が借りた元金を超えた
頃、私は質草を流しました。「音楽をやめた自分
には必要ない。」父の顔も浮かんだけど「自分が
もらった物。」と正当化し内緒にしときました。
後から解りましたが、父は楽器を失ったことに
気づいていたようです。でも、気づかぬふりを
してました。『親になって知る親の恩』時が経つ
につれ、心の痛みを感じるようになりましたよ。

その後私は、日本各地の子ども達に芝居を観せる
ため、人生の殆どを旅の空の下で過ごしました。
クラを吹きたいという思いは、実現することの
ない見果てぬ夢に終わるだろうと諦めてました。

ところが6年前に、介護の仕事に転職するという
予想だにしなかったことが起き、旅暮らしから
開放されました。そして、高校時代の先輩が
「もう使わないから。」と言って、クラを譲ってくれ
ました。「よ~し、吹くぞ~!」って意気込んだも
のの、なかなかお神輿は上がらずにいました。

去年4月からケアマネになったことで、週末に
休みが取れる確率が格段に上がりました。
「バンドに入れるかも…。」という希望が頭を
かすめた矢先の去年5月に、後輩が主催する
バンドの定期演奏会を久しぶりに聴きに行き
「いいな~」って思ったんです。

「高校生に戻ってから死にたい。」残り少ない
人生でやり残したくないこと、それはクラだと
悟りました。ケアマネの仕事に慣れて、精神的な
余裕が出てきたら始めようと心に決め、楽器の
修理のためにコツコツ貯金を始めました。そして
12月に楽器をオーバーホールして練習を始め
ました。

ついに今年、バンドデビュー!ところが、楽器に
馴染んで来るにつれ、クランポンへの思いが募り
ます…。「高校生の頃の技術を取り戻し更に進化
する!」が目標なら、楽器も取り戻さなきゃ!
そして、今は亡き父に詫びなければ!と。後輩に
クランポンを買いたいと相談すると、クラ奏者
である彼の奥さんが「吹き手のないクランポンが
家に1つある。吹いて貰えば楽器が喜ぶ。」と、
貸して頂けることに。これまでの人生で、これ
ほど自分が幸運だと感じたことはありません
でしたよ!良き後輩との出会いと再会によって
もたらされた最高の贈り物を、私は感謝いっぱい
の気持ちで受け取らせて頂こうと思います。

…こりゃあ、いい演奏しなくちゃね!

Because, that’s my life !

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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