2017年4月30日日曜日

心の住みか

テレビで
建築家・安藤忠雄さんの番組を観ました。

教会に光の十字架を作ったり、
世界貿易センタービル跡地を
地下に聖堂、地上に広場とし、
人々が集まり平和について考える
場所にすることを提案したり、
大阪造幣局の桜の通り抜けを広げたり
などのエピソードが紹介されました。
「桜の通り抜けを広げることが建築か?」
との批判に対し、

「建築は人間を包み込み、
 人間が生きていて良かったと感じる
 心の住みかを作ることだ。」
と述べていました。

私は、その言葉に感動しました。

介護の課題の1つに、
QOL(生活の質)の向上という
解釈の難しいものがありますが、
あるいは介護にも、
安藤氏の考える建築の哲学が
当てはまるのかも知れません。

ただし、それが如何なるもので、
如何にして実現するかは、
自分で考えるしかありませんね。

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2017年4月23日日曜日

動揺しない心

人生は私達に幾多の苦難を与え、
私達はその度に、頭を上げ、前を向き、
歩き始めます。

いかに順風満帆な人生を
歩んで来た人と言えども
避けて通れないのは、人の死ですね。

尊敬する人、苦楽を共にした人、
心通い合う人との別れは、辛いものですね。
最愛の家族との別れともなれば
それはもう、
筆舌に尽くしがたい悲しみだと思います。

私は、これまで色々な経験を重ねる中で
「動揺しない心」を育んで来ました。
その前提となったのが
今はなき父から授かった「決して後悔するな。」
という言葉だったんです。

私が高校生の時、
大学でなく演劇学校に進みたいと告白した私に
「お前の人生はお前が決めればいい。
ただし、決して後悔するな。」と
父に言われました。

私はその言葉を胸に、後悔しない人生を送るべく
一生懸命に生きました。
一生懸命に生きていれば、結果がどうであれ
後悔しないで済むと思ったからです。

そんな私が、いつの頃からか
父の言葉を更に進化させ
「決して動揺するな。」と
自分自身に言い聞かせるようになりました。

あまりに動揺が激しいと
仕事や日常生活にまで影響し、
自分の人生まで狂わせかねません。

「人は誰でも幸せになる権利がある」
が持論の私は、
ストレスから身を守る防衛機制として
そんな感覚が
身についてしまったのかも知れません。

今起こっていることは
瞬時に過去に変わって行きます。
ですから、悲嘆にくれるという行為は
過去に居残ることを意味します。
私達が幸せになる権利を上手く使うのなら、
過去でなく未来を見つめて生きるべき。
私は、そう思っています。

Because, that’s my life !

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2017年4月16日日曜日

食堂

利用者さんと一緒に
ファストフード店に行きました。
満席なので立ち止まって様子を見てたら、
後から来たお客さんが私達を追い越して
客席の方へ行き、タイミング良く立ち上がった
お客さんの席にサッと座ってしまいました。
私が店員さんに
「どういうシステムになってるんですか?」
って聞くと「空いた席にお座り下さい。」
って言うから「食べ終わりそうな人の前に立って
待ってるんですか?」って聞き返したら
何も答えず、ほくそ笑んでました。

思えば私が子どもの頃、デパートの食堂には
今みたいに食事エリアの外に待機エリアなど
用意されておらず、テーブルとテーブルの間の
隙間がないほど席待ちの人が立ってて、
食べ終えた人が立ったらすかさず座って、
注文したものがなかなか出てこなくても
辛抱強く待って、やっと出てきたと思ったら
今度は私達が食べ終えるのを待ってる人達に
見られながら食べるってことをやってましたが、

そんな昭和30年代の悪夢が蘇りましたよ。

落語「時そば」に、こんなくだりがあります。
「親方、お待ちどう様。」
「お、いいね。ちょいと無駄っぱなししてる間に
親方お待ちどう様、これじゃなきゃいけねえ
や。あつらえたもんがなかなか出来てこねえな
んてのは、うめえもんもまずくなっちまわあ。」
江戸っ子は気が短かったんですかね。

私の父も、しょっちゅういらいらしてましたよ。
「お待ちどうさまでした。」と言う
ウェイトレスに「お待ちしてました。」なんて
皮肉で返すのはザラで、
当時はそんな父を咎める者はいませんでしたが、
今の私は妻が怖くてそんなことは言えませんね。

私が子どもの頃のある日、食堂で注文したものが
なかなか出て来ず、父の怒りが頂点に達し、
私達は代金をテーブルの上に置き、店を出て行く
ことになりました。食べてもいないのに代金を
置いて行くってところが江戸っ子ですね。
「あんたは俺に迷惑かけたが、俺はあんたに
迷惑かけねえ。」って心意気を
見せたかったんですかね。

今の若者にも、当時の関西人にも
理解されない奇行だったかもね?

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2017年4月9日日曜日

この上もない贈り物


好きなものがあるってことは、有難いですね。
私にとって音楽は、この上もない贈り物です。
一度自分の耳に入ってしまえば
それは私のものであって、
頭の中で奏でようが、口ずさもうが、
誰からも邪魔されませんし
著作権料を要求されることもありません。

お気に入りの音楽ともなれば
愛おしくて愛おしくて
いつまでもいつまでも
私を慰めてくれます。
音楽は裏切らない!
偉大な作曲家の方々に感謝感謝!です。

けれども、
私が鬱の一歩手前まで追い込まれた
5年前のちょうど今頃に流行っていた曲
K-POPガールズグループKARAの
第6弾シングル「スピード・アップ」は
未だに聴くことが出来ません。
桜を見ても、手放しで喜べません。

音楽は良い思い出と共に記憶に残ることも
嫌な思い出と共に記憶に残ることもあります。
ですから、先々のことも考えて
良い精神状態で音楽を聴きたいものですね。

Because, that’s my life !

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2017年4月2日日曜日

FB友

私の愛すべきFB友が先日
癌の告知を受けたと、
FB上でカミングアウトしました。


2年前、
政界が安保法制で揺れていた頃、
共通のFB友の投稿で知り合い、
意気投合したお若い方です。

何故、意気投合したかと言えば、
「現政権が決して良いとは言えないが、
 野党の体たらくも目に余る。」という点で
共感し合えたからです。


島根県在住で、
ご自身を「在日」と言ってらっしゃいますが、
韓国語だけでなく、色々な国の言葉に
精通されているようです。
私と同じようにK-POPが大好きで、
他にも色々な国の歌手の音楽を
愛聴していらっしゃいます。


これから闘病生活に入り、
放射線治療で髪も抜け落ちるだろうから、
武内さんみたいにバンダナを巻こうか
などとおっしゃってました。


私はすかさず
「病と闘い勝利して下さい!」とコメントし、
私のプロフィール写真を帽子姿のものから
真っ赤なバンダナ姿のものに変えました。
すると彼から「参考になります。」
との返信がありました。


そして、みんなのミュージック・ビデオ
第5弾「奈落」を再投稿しました。
https://www.youtube.com/watch?v=f6EJgJ476KI


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