4回、沖縄に出張しました。私は39~46歳で、
沖縄訪問は後にも先にもその7年間だけでした。
最初の年、社長の指示通り鹿児島からフェリーに
乗ったんですが、これが25時間の長旅。実際の
距離はそう長くないんですが、途中の島々に寄り
ながら行くんです。しかも、波が荒くて船酔いす
るし、仙台~苫小牧のフェリーと比べると狭いし
汚いし料金高いし、いいとこなしでした。翌年
から空港前の駐車場に車を預け、飛行機で飛び、
現地でレンタカーをマンスリー契約しました。
駐車代、往復の飛行機代、レンタカー代を合わせ
ても、報復のフェリー代より安くあがりました。
沖縄と言えば、中高生時代のアイドル南沙織さん、
俳優時代に親しくなった沖縄出身の先輩俳優さん
など、私にとって良いイメージばかりでしたが、
それが徐々に崩れて行きました。
まずは、レンタカー屋の社員の対応が遅い遅い。
「じゃ、書類をお作りしましょうね~。」と独特の
イントネーションで言って事務室に入ったきり
出て来ない。お菓子食べて談笑してる!いきなり
沖縄タイムの洗礼を受ける訳です。イライラを
我慢して、やっとこさ車に乗りホテルへ。車道に
沿って並ぶ熱帯樹の傍らを走る現地の車は皆
の~んびり走り、まさに南国、別世界。ホテルの
フロントは後払いで、すぐにチェックイン出来た
のはいいが、頼みもしないのに従業員が荷物
持って部屋まで着いて来る…。「チップが欲し
かったのか?」と後になって思いましたよ。
物価が本土より2~3割は安いので、少しぐらい
チップ渡してあげても良かったのに、そういう
習慣がないもんだから気づかなかったんですよ。
沖縄の人を「うちなんちゅ」そうでない人を
「やまとんちゅ」と呼ぶことも初めて知りました。
ご年配の方の中には、やまとんちゅの私を見ると
急にしかめ面になり、無口になる方もいて、
被差別感を感じざるを得ませんでした。
若い方も「政府」のことを「日本」と言ったり、
海外から客人が来ると「来日」と言わず「来沖」
と言ったり、自分達は日本人ではないんだと
思いたいみたいな感じが伝わって来ました。
金城さんとか、大城さんとか、同じ名前の人が
多いので、どこの金城さんか覚えておかないと
記憶がごちゃごちゃになっちゃいます。地名も
北海道と同様、珍しいものが多く、読めません。
「東風平」「南風原」どうです、読めますか?
「こちんだ」「はえばる」って読むんですよ。
私が沖縄を担当してる頃に、普天間基地の辺野古
への移設推進派の稲嶺さんが県知事を2期8年間
され、その後、やはり推進派の仲井真さんが当選
されました。結果、平成10~22年まで3期
12年間、県民は推進派の知事を選んだ訳です。
社長が「来年から北部に振興予算がドンと落ちる
から、名護で営業して来い。」と言うので、名護
市役所へ行って教育委員会・文化振興課など、
舞台芸術の予算を計上してくれそうな部署に営業
しました。県内に国立劇場を建てる為の調査費が
ついたので、文化庁の嘱託を受けたお偉いさんが
視察に来て私が随行したり、その頃の沖縄は
金が落ちる期待感で、とても盛り上がってました。
そして沖縄に手厚い配慮をした当時の首相、橋本
龍太郎さんは大人気となりました。
信じられないかも知れませんが、7年間も通って
いながら、私は一度も沖縄の海に行ったことが
ありません。それどころか、観光地へ行くのも、
名物の食べ物を食べるのも、お客さんに随行した
時だけでした。沖縄そばも、チャンプルーも、
サーターアンダギーも、お金を出して食べたい
とは思いませんでした。ですから、後にも先にも
あの7年間だけってことになりそうです。
【お知らせ】
次回は
7月17日(日)Amに
サウンド・オブ・ミュージック Part1
7月18日(月)Amに
サウンド・オブ・ミュージック Part2
をアップします。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
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