2018年5月13日日曜日

主導権


私は日常生活の色んな場面で
いちいち仕切る方じゃないんです。
夫婦でも、相手が出て来れば引いちゃうし、
会社や、友人関係もそうです。
研修のグループワークでも、
率先して仕切ろうと思えば仕切れますが、
勝手に仕切り出す人がいればお任せします。
どうでもいいこと、と言ってはなんですが、
誰がやってもいいことなら、仕切りたい人に
仕切らせてあげた方が平和だからです。

でも、肝心なことは常に
自分に主導権がなければならない
という気持ちで生きて来ました。
特に仕事においてそれが顕著なので、
私は大企業の社員や公務員には
向いてなかったと思います。
縦社会も好きじゃないし、
人の顔色をうかがって生きるのも、
権力におもねるのも、既存の風習を踏襲するのも
好きじゃない。自分の実力を磨き、
自分なりに工夫して結果を出し、
周囲の人々に喜んでもらうのが好きでした。

労働者の立場は弱いものです。けれども私は、
経営のことはそっちのけで、徒党を組んで
権利ばかりを主張するより、自分の努力で
自分の価値を高めて行く方が好きでした。

お山の大将になりたいとも思いませんでした。
縦社会が嫌いだというのも理由の1つだった
でしょうし、権力志向も、金銭欲も薄く、
そんなことに時間と労力を費やすぐらいなら
自分を磨くことに費やしたかったんです。

40歳を過ぎてからは、自分の仕事の将来性
5年~10年先ぐらいまでは見通すように
なりました。10年後に会社はどうなっている
べきか、自分はどうなっているべきかと考え、
必要なスキルを身につけたり、社長に提案し
(私の勤めた会社に大企業はなかったので、提案
する相手は常に社長でした)了承が得られれば
改革を断行し、得られなければ見切って会社を
移籍することもありました。私の直言は、会社の
存亡をかけた重要な提案だったからです。
その意味を解せぬ経営者と運命を共にせねば
ならない義理はありませんのでね。

そういう私だけに、
芝居を一生の仕事には出来ないと悟った時の
ショックは大きかったです。出口のない暗闇に
突き落とされた感がありました。幸運なことに
介護が私にチャンスを与えてくれました。

しかしそれでも、
私の信念は変わりませんでした。
私が会社を必要とする以上に会社が私を必要と
する、そうでなければ私の存在価値はない。
居るも辞めるも決めるのは会社でなく私、
そういう関係を作るために、人の倍の仕事が
出来るよう、努力をしました。

ですから、主導権は常に私にあるんです。
なぜなら、私の人生は私のものだからです。

(最後は Back to the future の決めゼリフ
 みたいになっちゃいましたね!)

Because, that’s my life !

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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