先日、ある方がFacebookで
こんなことを呟きました。
「僕は障害者であることを
誇りに思っております。
なぜなら健常者にはわからない
苦しみや悲しみの一端を
僕も経験しているからです…。
人に理解されない経験を
健常者の人たちよりもたくさん経験し、
強い立場のみならず弱い立場も
理解することもできる…。
ですから僕は障害者であることを
誇りに感じております。」
他人に優しくなれる人って
自分が苦しみや悲しみ
色々経験した人なんでしょうね。
私は彼の呟きを聞いて、
自分がこれまで「誇り」という言葉に
あまりに無頓着であったことに
気づかされました。
人様から信頼される自分であるために
何を成すべきかという尺度だけは
自分なりに持っていたような気がしていて
ひょっとしたら、その尺度が
私にとっての誇りだったのかも知れない、
そんな気もします。
国家・故郷・家族・知人といった
自分以外のものへの誇りというのも、
滅多に意識できませんでした。
そういうものは、自分が生きて行くために
必要だなものだと感じなかったからです。
でも最近、私は変わりました。
職場で黙々と責務を果たしている
仲間の姿を見るにつけ、
心からの敬意と誇りを
感じずにはいられないのです。
私は
私を変えてくれた仲間に感謝し、
これからは
この誇りを胸に生きて行こうと思います。
Because, that’s my life !
名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
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