2024年9月29日日曜日

究極の脳トレ中

もうかれこれ1年半、無休で働いてます。最後

に休んだのは去年の3月中旬の健康診断の日、

午前中に健診を受けて、そのまま直帰してしま

いました。今年の3月は仕事が忙しかったので、

健診終了後、会社に直行して働きましたよ。


その前に休んだのは、およそ2年前、演奏動画

で初めて自分で撮った動画を使うことにして、

東海道線を西に向かって列車から見える海の

景色を撮影した時です。その日は仕事をして

夕方から列車に乗ったんですが、その晩は熱海

に泊まり、翌日を休みにしました。翌日、帰り

は列車から見える朝の海と都会の風景を撮り

ました。これが、その動画です。


今は本当に超多忙で、この先いつまで無休記録

が続くか予想できません。ようやく40~45名

でコンスタントにやって行くペースができかけ

たところに、会社携帯がガラ系からスマホに

交換。PCが新機種に交換です。若い人にとって

は何てことないでしょうが、年寄りはデータを

移したり、使い方覚えたり、大変なんですよ。


おまけに何と何と、使い慣れた介護用ソフトが

市販のものから自社製のものへと変換!!!

これは本当に一大事です!!!


なんで、

あらゆるものをいっぺんに交換するの?

なんで?


お給料もらって究極の脳トレをして頂けると

思って、喜ばなきゃね!!!


Because, that’s my life ! 


名も無き親爺が人生を語る

世にも不思議なブログ

武内利之の「ザッツ・ライフ」

2024年9月22日日曜日

家に寝に帰るだけ

かれこれ半年間、家に寝に帰るだけの合宿み

たいな生活が続いてます。寝る前に1時間でも

空き時間があれば少しずつアレンジを進めては

いますが、未だに完成してません。7月末に

The Dancing Dollをアップして2ヶ月が経とう

としてるんですから、以前ならそろそろ次の

曲をアップする頃ですよね。


次の作品はクラ2本とテナーサックスで吹こう

と思ってるので、録音に3週間は見とかなきゃ

と思ってます。松枝君にお願いして、ドラムの

音を作ってもらいたいので、その期間も見込ん

でおかなきゃなりません。秋のイメージなので、

遅くとも11月中旬にアップしたい、となると

10月10日前後にはアレンジが終わってなきゃ

間に合いません。あと18日です。譲歩しても

10月13日。その日までにアレンジができて

なかったら、諦めて来年秋に延期します。


Because, that’s my life ! 


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2024年9月18日水曜日

何事にも終わりがある

「我が巨人軍は永久に不滅です。」

という言葉を残し引退した長嶋茂雄さん。

私が18歳の時でしたが、ピッチャーマウンド

に立ってスピーチする引退セレモニーなんて

見たことなかったし、ハンカチで涙を拭き拭き

外野の方まで一周して挨拶をするなんてこと、

想像もできなかったので、まさに『記憶の人』

の締めくくりに相応しい演出だったと、今に

なれば思います。


先日、高校の統廃合や演劇学校の廃校の話を

して、ふと思い浮かんだのが長嶋さんの、あの

引退セレモニーでした。


何事にも終わりがある。


私たちの人生もいずれ終わるし、

地球も、太陽も、いずれは終わる。

いくら逆らっても逆らい切れない現実です。


永久に不滅と思うのは、その時の情緒を表現し

ているに過ぎず、そういうロマンに酔うことで、

人は悲しい現実を受け入れながら、限りある

命を精一杯生きるってことなんでしょう。


Because, that’s my life ! 


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2024年9月16日月曜日

情緒に流されない

高校卒業後、私は舞台芸術学院という2年生

の演劇学校に入学し、昼間の本科と、夜間の

ミュージカル部に通いました。本科の級友から

の連絡で、いよいよその学校の長い歴史に幕を

降ろすことになると知らされました。


その学校は俳優座養成所(今の桐朋学園芸術

短期大学)と並んで日本の草分け的な演劇学校

だっただけに1つの時代が終わったという感じ

がします。って言うか、私が入学した50年程

前は、新劇と言われる演劇の上演が行われてい

たものの、その頃すでに斜陽産業でした。って

言うか、そもそも演劇は、一部の商業化された

もの以外は産業化されたことなどなかった、

と言った方が解りやすいかも知れません。


私にとって2年間という、人生のほんの1コマ

ではあったけれど、アメリカ映画「フェーム」

のような思い出深い日々を送ることのできた

2年間でした。とは言え、私はその学校に特段

の思い入れはなく「廃校?そりゃそうでしょ。

むしろ今まで続いたことに驚き。」ってこと

しか思い浮かびませんでした。級友は「まだ

終わりじゃない。戦う!」って言ってますが、

私にはその思いを共有できません。


20数年前だったでしょうか、ある日突然、

高校時代の先輩から電話がかかって来て、

「○○高校が統廃合されるらしい。反対運動を

してるので、参加しないか?」と言われました。

母校が消えてなくなる寂しさは解らないでも

ないが、少子化が進むのだから当然と言えば

当然の話です。なので「私は賛成なので参加

しません。」と言ったら、絶句してました。


人間の文化は変化するものです。その過程で

淘汰されるものがあっても仕方ないことです。

わざわざ税金を使って保護して、時代の流れに

逆行する必要はないと、以前から思ってました。


私は根っからの表現者ですが、

芯は意外とドライで、

情緒に流されにくいんです。


Because, that’s my life ! 


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2024年9月11日水曜日

言霊が宿った

主治医から終末期と言われ、ご家族はびっくり。

そうとは知らずご本人は


「○○へ行きたい。」


と、かすかな声で呟きました。○○とは東京

から高速道路を使っても5時間以上かかる地方

都市で、ご本人の故郷です。


「○○へ行かせてあげたい。」


と、ご家族はおっしゃいました。私はケア

プラン第1表のご意向の欄に、こう書きました。


ご本人:○○へ行きたい。

ご家族:○○へ行かせてあげたい。


正直言って私は、その言葉を打ち込む時に、

それが実現するかどうか半信半疑でした。

車椅子に移乗するのもやっとという状態で、

食事は?排泄は?旅中に体調が急変したら?

などと考えると、決心がつかないのではないか

と思ったからです。でも、ご本人とご家族が

口にされた言葉ですから、素直に、シンプルに、

そう打ち込んだんです。


ところが数ヵ月後、ご家族は郷里へ1泊旅行に

行かれました。懐かしい人々と再開し、満面の

笑みを浮かべて写真に写っておられました。

自宅では訪問入浴を利用してますが、息子さん

の介助で温泉にも入ったとのこと。


ケアプランに言霊が宿りました。


ご本人は、それから更に数ヵ月生き、主治医

から終末期と言われてから11ヵ月後にご逝去

されました。


それからというもの、

私は言霊を信じるようになりました。


Because, that’s my life ! 


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武内利之の「ザッツ・ライフ」