2019年5月19日日曜日

矛盾した思い


私の38年間の演劇生活のうち、31年間は
児童・青少年演劇に取り組んだ人生でした。
特に最後の10年間、営業は苦しかったけど、
プロデュース・原作・作詞・作曲を自分自身が
担当出来た幸せな日々でした。そんなことは、
高校の文化祭でミュージカルを発表して以来
プロとしては初めてのことでした。でも、私は
幸せでも、観てくれた子ども達も皆幸せだった
かどうかは解りません。

子どもの悲惨なニュースを見る度に胸が潰さ
れそうになるけど、じゃあ私に何が出来るのか
と問われれば、返す言葉が見つかりません。
でも、少しでも力になってあげたいって気持ち
になります。当時の私は、劇を観ているほんの
ひと時だけでも、苦しみから逃れて楽しんでほ
しい。出来れば、劇に勇気づけられて強く生き
抜いてほしいと願うばかりでした。

明日が来ることが苦しくて逃げ出したい子が
いるなら、明日が来ることが楽しみになって
ほしい、そんな思いから、原作者としてのペン
ネームを「来栖あすか」としました。
ミュージカル“West Side Story” の
作曲者で“Somewhere”「いつか、どこかに、
どうにかすれば、私達の住むべき場所がある」
と歌う名曲を描いたレナード・バーンステイン
氏にあやかり、作曲者としてのペンネームを
「伴麗奈(バン・レナ)」としました。自慰的
と言われればそれまでですが、苦しみ悲しみの
中にある子ども達のために、演劇を通じて自分
に出来ることをしてあげたかったんです。

7年程前から介護の仕事を始めて、目の前に
観客ではなく利用者さんがいて、私の支援で
暮らしが成り立ち、時には心の交流まで出来る
関係が生まれました。何の役に立っているのか
と問われても、返す言葉が見つかる仕事です。
なのに未だに、悲しい報道を見るにつけ児童・
青少年演劇への思いが募ります。一方は役に
立つかどうか解らない仕事、一方は役に立つと
実感出来る仕事なのに、矛盾してますね…

でも、今の私は自分のことで精一杯。生涯現役
で働きたいとか、クラ吹きたいとか、作曲した
いとか、自分のことばっか考えてるし、目下
一番の心配事は脳の退化。でも、脳は退化して
も、心だけは退化させたくないですね。

Because, that’s my life !

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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