2018年9月30日日曜日

鉛筆

新旧交代。
小学生の頃から使って来た鉛筆削り、
とうとうガタが来ちゃって
新しいの買いました。
買って2週間経つけど、
古いのを捨てられずにいます。


半世紀以上もお世話になったんで、
人生を共にして来た同志って言うか、薄汚れて
しまった姿が自分を投影してるって言うか…。
「自分は使えなくなっちゃったけど、お前は
まだまだ頑張れよ!」って言ってくれてるような
気がして、捨てられなくなっちゃいましたよ。

今時鉛筆?って思う人もいるかも知れませんね。
勿論シャーペンも使ってますが、私メモ魔でね。
思い浮かんだことをすぐにメモっとかないと
忘れちゃうって危機感があるんですよ。だから
メモ用紙と鉛筆を家中に置いてあるんです。
トイレ・ベッドサイド・デスク・キッチン、
さすがに風呂場には置きませんが、もし風呂場で
何かメモりたければ、スマホにメモっときます。
私の風呂は30分半身浴なんで、スマホを持ち
込んで音楽やらYouTubeやら楽しんでますから。
外出時はウェストポーチにメモ帳を入れといて、
移動中に電話があったりしてすぐその場で処理
できない場合は必ずメモる習慣つけてますね。
自分の記憶力を信用してないんです。

今は亡き浜口庫之助さんが作詞作曲して
坂本九さんが歌った「エンピツが1本」
って曲があって、その2番と4番の歌詞が
好きなんですよ。

エンピツが1本 エンピツが1本
君のポケットに
エンピツが1本 エンピツが1本
君の心に
明日の夢を書くときも
昨日の思い出書くときも
黒い頭のまるまったエンピツが1本だけ

エンピツが1本 エンピツが1本
君のポケットに
エンピツが1本 エンピツが1本
君の心に
夏の浜辺の約束も
もう一度会えない淋しさも
黒い頭の悲しいエンピツが1本だけ

今はスマホとかPCとか便利なものが出来て
ますが、昔はよく鉛筆を使ったものです。
鉛筆さえあれば、文学も音楽も絵画も学問も、
企画書も手紙も書けるんですもんね。

思い出深いのは高校生の頃、家庭のゴタゴタが
あり、音楽を投げ出し、心境著しかった頃に、
1年上の先輩とたんさん文通してんですが、
私は何回も間違えて書き直すほうなので、
鉛筆で書きましたよ。長文なので
ボールペンで清書なんかせずに送ってました。

やっぱり高校生の頃、文化祭で発表する
ミュージカルの音楽を作曲したんですが、
それが1時間40分の大作で、Mナンバーが
25まであって、それをブラスバンドに
ギター・マンドリンを加えたオーケストラで
演奏できるように半年がかりでアレンジした
時も、やっぱり鉛筆で手書きしたものです。

大人になってから、カミさんと恋愛時代、
互いに別の劇団で地方を巡業する時は、
あらかじめ彼女のスケジュールと宿を
教えてもらっといて、彼女の行く先々に
手紙が届いているように、毎日手紙を書いて
送ってましたよ。

これからも、鉛筆と鉛筆削りには
お世話になると思いますよ。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2018年9月23日日曜日

何をすべきか

2016年1月18日の「何がしたいの!」
というブログで、高校時代の先輩からの年賀状を
紹介しました。

「何ができるかじゃなく、何がしたいの!」
と言ってくれましたね。去年はちょっと一休み
して、これからの人生について考えてみました…

そんな文面の年賀状を頂いたって話でした。高校生
の時に先輩にそんなこと言ったなんて、自分でも
覚えてなかったのに、それをずっと覚えててくれた
なんて、びっくりでした。自分はただ思った通りを
口にしただけでも、相手には印象に残る言葉だった
ってことがあるんですね。確かに私自身はその言葉
通り、好きな演劇の道を38年間ひた走りました。
しかし6年前に転職して以来、「何がしたいか」
より「何ができるか」を考えて生きて行かざるを
得なくなりました。

1、長生きする
2、生涯現役で働く
3、音楽と共に生きる

今は、その3つしか頭にありません。そして
1と2のために必要なことを自分に課して
生きてます。健康のため、老化予防のために良い
食生活や生活習慣を継続し、職能を高めるための
勉強や訓練をし、ストイックと言えなくもない
生き方を何だかんだ6年ほど続けて来てます。
そしてほんのちょっぴり、好きな音楽に時間を
使ってます。その3つが「したい」って言うより
その3つの実現のために何を「すべき」かを考え
実行してるって感じですね。

歳をとると、いつの間にか無我夢中で生きてる
なんてことはなくなって来ますよ。生き甲斐や
生きる活力なんてものは、若い頃は自然に湧き出て
来るものでしたが、今となっては努力して勝ち取る
べきものになっています。忍び寄る老いと戦うだけ
でも、必死になって来ます。

こんなこと書くようになっちゃっただけでも、
既に自分は老いとの戦いに入ってるんだなって
気がしますね。でも「したいこと」でなくても
「すべきこと」が実行出来てるだけで、まだまだ
幸せかも知れませんね。頑張りましょう!
頑張らないと心の穴が広がって鬱になっちゃって、
脱出が大変になりますからね!

先々週から、高校の文化祭で発表したミュージカル
「ヴェニスの商人」のメドレー創作を始めました。
以前ちょっとだけ手をつけて止まってたことです。
年内には仕上げたいです。一緒に活動した
2年後輩達がぼちぼち還暦を迎えるので、
ちょいと懐かしんでもらおうかと思ってます。

Because, that’s my life !

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2018年9月16日日曜日

ふるさと納税

総務大臣が、ふるさと納税に条件を付けたって
話題になってますね。

だいたいが何なんですか、ふるさと納税って?
住民税って、住んでる民が住んでる自治体に
納めて、その見返りにサービスを受けるから
住民税って言うんでしょ?ふるさと離れて
暮らしてる人が全員ふるさと納税しちゃったら
どうなります?それは極論って言うかも
知れないけど、そうなる可能性がないとは
限らない訳で、そうならないで済んでるのは、
返礼品なんぞに心奪われることなく、良識を
持って納税する人がいてくれてるからでしょ?
でもって、ふるさとに納税するならまだしも、
返礼品の品定めして勝手に納税先を決められる
なんてのは愚の骨頂であって、そんなルールが
まかり通ってたってことに驚きを隠せませんね。

納税者は棚ぼたで返礼品が手に入る
自治体は棚ぼたで税収が増える
返礼品の業者は棚ぼたで商品が売れる
みんな大喜びするから、どんどんエスカレート
するんでしょうが、原資は税ですよ!
税が他地域へ移動するだけでなく、
余計な買い物して消失してるんですよ!
福祉に回すべき金が牛肉に化けて
胃袋に収まっちゃうんですよ。それでも何でも
自治体にしてみりゃ、どうせ棚ぼたなんだから
90%返礼品で還元したっていいじゃない
ってことになってっちゃうじゃないですか。
何十年も他地域に納税し続けた人にも、
他の住民と同等のサービスを受ける権利が
与えられるんですか? …不思議です。

こんなヘンテコな制度は即刻止めにすべきです。
どうにも地方の財政が立ち行かないのなら、
消費税を地方税にすればいいじゃないですか。
でなければ、とりあえず返礼品を廃止すべき
です。そんな見返りがなくても、ふるさとを
思う心から純粋に納税したいという人だけに
して頂きたい。それも全額はいけません。
納税額の半分までが限度です。でなければ、
他の住民と同等のサービスを受ける資格が
あるのか、ということになります。

総務大臣の発言がどうのこうのと報道されて
ますが、私に言わせれば制度そのものが
ヘンテコ極まりないと思う次第です。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2018年9月9日日曜日

チェリッシュ

1971年(昭和46年)私が高校1年生の年に
5人組のフォーク・グループとして
「なのにあなたは京都へ行くの」でデビュー。
3曲めのシングル「ひまわりの小径」から
男女のデュエットになって大ブレイク!
その後、お二人はご夫婦になられました。
どの曲も、どの曲も、曲のいい!
イントロが鳴っただけで、とろけちゃう!
そして悦っちゃん(女性ボーカル)の
か細くも優しい歌声の魅力!
ホントに虜になりました!

なのにあなたは京都へ行くの(1971)
https://www.youtube.com/watch?v=mCWga4rr9nE

だから私は北国へ(1972)
https://www.youtube.com/watch?v=W1H3IMur6Bg

ひまわりの小径(1972)
https://www.youtube.com/watch?v=QzSVy-iPyEA

若草の髪飾り(1973)
https://www.youtube.com/watch?v=ne9RndBQycY

避暑地の恋(1973)
https://www.youtube.com/watch?v=zhxaMOYqleg

白いギター(1973)
https://www.youtube.com/watch?v=8--lGjXFimU

てんとう虫のサンバ(1973)
https://www.youtube.com/watch?v=eRvYq5OTf30

名も無き親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

2018年9月2日日曜日

心の穴は音楽で

5月1日に山下さんが亡くなられてからずっと
追悼MVを創ってるんですが、今日は相棒の家へ
行って音創りの最終調整をして来ます。4年前に
第1作目を発表してからずっと、歌唱・作曲・
作詞・製作協力などを担ってくれている相棒
です。3月まではヘルパーとして彼の介助も
してましたが、約5ヶ月ぶりの再会です。

自分が担当する作曲と字幕作成は3週間前に
ほぼ終えていたんですが、作曲を終えて一段落
ついたとたんに、何だか急に心にポッカリ穴が
空いたみたいになっちゃいました。前々から、
やらなきゃと思ってた高校時代のミュージカル
メドレーに手をつけてもいいんだけど、そろそろ
クラの練習もしなきゃなって思ってます。

やっとの思いで見つけ出したクラだけど、
まだ吹いてません。だから、音が出るかどうか
解りません。43年間のブランクもあるし、
楽器もオーバーホールしなきゃならないかも
知れません。吹奏楽器を吹くって結構、体力
使うんですよ。まともな音出すには、かなりの
肺活量が必要ですから。それに小技も必要です。
指の動き、舌の動きが俊敏でなきゃいけません。
だから、昔取った杵柄で通用するかどうか、
全くのところやってみなきゃ解りません。
でも、吹けたらいいですね。

昔のように、と言いたいところですが
たぶんそれは無理でしょうから、
今は今なりでもいいから、
吹けるようになれたらなって思いますよ。
「自分が吹ける」っていう自己満足より、
合奏ができる楽しさ、しかも上手な方々の中で
ともに音楽を奏でることの喜び!快感!
それを思うと、夢心地な気分になります。
しかも、自分が高3の時に棒振って、
その棒に合わせてテナーサックス吹いてた
2年下の後輩が今は棒振ってて、その棒に
合わせて今度は自分がクラを吹くっていう
おまけ付きで、感慨深いものがあります。

先日FBで、89歳にしてバリバリ現役の
フルート奏者がいらっしゃって、尻上がりに
調子を上げて行ってるって記事を見て、
なんて素敵なことだろうと思いましたよ。
要介護者になっててもおかしくない歳で、
お亡くなりになっててもおかしくない歳で、
そんな生き方が出来るなんて、
なんてお幸せなことでしょう!
普段からの節制と訓練のたまものでしょうし、
何よりモチベーションが続くのが凄いです!

そうかと思えば、高校野球100周年で
甲子園を沸かせた名選手たちが始球式をして
ヘナチョコ玉投げてるのを見ると、
自分のような者が43年ぶりにクラなんか
吹いて、一人前の音が出るもんだろうかと
不安になります。でまた、どうにかこうにか
バンドの皆さんのにご迷惑がかからない程度に
吹けたとしても、いったい何歳になるまで
吹けるんだろうと、途方に暮れます。ま、
先のことばかり心配してもしょうがないか…

とにかく私はどんな形であれ、息を引き取る
最後の瞬間まで音楽と共に生きていたいです。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新