私は自称『人間嫌い』です。
『人間』の中には自分も入ってます。
先々週のブログで私は
小学校3年生の頃からずっと
率先垂範の人生だったと書きました。
常に人の模範たれと教育され
自身そう自覚して生きて来たと。
それが原因でしょうか
常に『あるべき自分の姿』
という見えない影を
背負って来たような気がします。
出来て当たり前、出来なければ
周囲を失望させてしまう。
そして自己嫌悪…。
小学校6年生の時に
担任の先生から熱心に勧められ
教育大附属中学校を受験しましたが
見事に不合格…。
中学校3年生の時に
芸大を目指し本格的なレッスンを
始めることになりましたが
それまで音楽に関しては
右に出る者はないと思ってた私が
英才教育を受けたエリート達の中に
放り込まれ、自信喪失…。
高校1年生の時に
母が失踪と自殺を繰り返し
母を救ってあげられない自分がいて
誰にも救ってもらえない自分がいて
無力感に呆然…。
私にとって生きることは
チャレンジすること
常に自分の前にハードルを置き
それを乗り越えることで活力を得
生きる喜びを見出してきましたが
裏を返せば、それが
自己嫌悪から逃れる唯一最良の
方法だったのかも知れません。
しかし、それでも
『あるべき自分の姿』の影から
逃れることは出来ず、同時に
『あるべき他人の姿』の影からも
逃れることが出来なくなって
しまいます。
それではまずい
他人に対しては寛容にならねばと
考え出した方法は
他人の良い所を探し、いつでも
それを口に出して言えるように
日頃からイメージ・トレーニングを
しておく、ということでした。
私個人の苦肉の策で始めたことが
効を奏し、私は周囲の人から
「人づき合いが上手」「優しい人」
などと思われるようになり
そう言われる度に
暗示にかかるように
そんな自分を演じることが
苦にならなくなって来ました。
自分自身に関しては
お馬鹿なこと言って
ヘラヘラ笑って過ごす自分を
取り入れました。
これはなかなか楽しくて
いいもんですが、
本質的に変わることは
容易なことではありません。
依然として私は
自分にも他人にも厳しいです。
でも、少しずつでもいいから
変わって行きたいです。
ありのままの自分、
ありのままの他人を
快く受け入れて
穏やかな気持ちになれる日が、
『人間嫌い』を卒業出来る日が、
いつか来るかも知れません。
Because, that’s my life !
武内利之の「ザッツ・ライフ」
原則、毎週月・木の朝に更新。
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