2019年6月16日日曜日

一杯のかけ蕎麦

「一杯のかけ蕎麦」って話がありましたね。
私は原作を読んだことないし、映画も観たこと
ないけど、なんでも、事故で夫を亡くした女性
が2人の子どもを連れ、大晦日に蕎麦屋で一杯
のかけ蕎麦を注文し、店主は黙って1.5人分の
蕎麦を出し、それを母子3人が食べる…って
話だそうですね。

子どもをロッカーに置き去りにしたり、
虐待死させる母親も世の中にはいるけど、
縁あってこの世で出会った者同士が
慈しみ合い、助け合って生きるのが、
人間らしさだって思いたいですね。

近頃世界中で見られる自国ファーストの現象、
排他的と言うか、弱肉強食と言うか、
自分だけ食べて他人に食べさせないみたいな、
一杯と言われても一杯すら出さないみたいな、
世知辛い世の中になっちゃったなって
気がしませんか?

人類の歴史は戦いの歴史であると同時に、
家族~地域~国と集合体の範囲を広げる歴史
でもあったと思います。EUみたいな国の連携も
出来たし、知り合いでなくても縁あって同時代
に生きる者同士が慈しみ合い、助け合って生き
る範囲を広げて行く過程なんだと思うんです。

民主主義があり、徴税分配のシステムがあり、
自由な報道があり、時代とともに世の中が
良くなって行くはずだと思ってると、意外にも
歴史を逆行させるような現象が起こる。でも、
歴史を逆行させる指導者が選挙で選ばれる国が
多いんですから、人々の利己的で排他的な心が
表現されてるんだと考えざるを得ないですね。

利己的で排他的な心は誰でも持っていて、
個人とか家族とか、小さな集合体の範囲内で
防衛しようとする本能なんだとすれば、
その範囲を広げて行けるのが
人間らしさじゃないかなって思うんですね。
だから私達、
知り合いでない人々のことを考える時も、
とりあえず一度、一杯のかけ蕎麦のことを
思い出してみるといいんじゃないでしょうか。

縁あって同時代を生きる者同士が
慈しみ合い、助け合って生きる
人間らしい集合体の範囲を広げて行く能力を
人類は持っていると、私は信じたいです。

名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新

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