忘れ得ぬ人生の1コマ…
なんて感動的なシーンを予感してましたが、
そんな悠長なこと言ってられなかったです。
行ったらすぐにクラの列に座って演奏に加わる
ことになりました。それも、難しい曲ばかり!
特に難しかったのは、戦前戦後を通じて活躍した
ロシアの作曲家、ショスタコービッチ氏の
Festive Overture(祝典序曲)という曲でした。
https://www.youtube.com/watch?v=eyPzJxuwEAU
44年ぶりにクラを持って、5週間で何とか
音が出るようになっただけなのに、いきなり
初見でこれを吹けって言われても、無理!
芸大目指してた頃なら、意地でも吹いたかも
知れないけど…。
私は学生時代に、自分より上手いと思う人に
滅多に出会わなかったけれど、周りで吹いてた
クラの人たちは全員、私より上手かった!
上手い人の中で演奏するって、こんなに気持ち
のいいことなのかと、始めて知りましたよ!
私がクラを吹いてた中学~高校生6年間で、
自分より良い音を出してるなって思った人、
自分よりテクニックがあるなって思った人、
2人だけいたんです。
中2で初めて入ったスポーツ少年団音楽隊。
都内の優秀な中高生を集めて結成された
親方日の丸の楽団ですが、ちょいとコネが
あって入れてもらえたんですね。そこで、
ファーストクラのトップだった高校3年生
の方が、私にはプロの演奏家にしか見えません
でした。まるで別世界の人で、憧れでした!
「クラって、こういう音なんだ…。」って
目が点になり、その方が在籍してた半年間は
ずっとその方を目標にしてました。サードクラの
一番左端の席から始まって、徐々に席が右に
移ってその人に近づいて行くのが嬉しかった
ものです。私は高校1年生の時、その方が座って
いた一番右端の席に座るようになりました。
都立高校の合同音楽会ってのが毎年恒例で
行われていて、同じ学校群の高校から有志が
集められて結構難しい曲に挑戦したりする
んですが、2年生の時だったかな?私は
ファーストクラの一番右端に座り、私の隣に
座った他校の女子が、音もテクニックも私より
優れてると思い、びっくりしました!私は高1
まで芸大を目指してレッスンしてましたし、
楽器もクランポンという最高のメーカーの楽器
を使ってましたが、上には上がいるものだと
思い知らされましたよ。でも、何故か右端に
座ってしまっていたので、その子に負けないよう
必死に吹いたのを覚えています。
楽団の主催者であり指揮者である後輩は私に、
5月の定期演奏会に出たらいいと言ってくれ
ました。嬉しさと不安とが入り混じった複雑な
気持ちで「間に合うかな?」って言ったら、
優しく微笑んで「間に合うよ。」って言って
くれました。
44年間のブランクを克服して
人様に聞いて頂ける水準になるためには、
人の2倍3倍努力しなければなりませんね。
頑張りますよ!
Because, that’s my life !
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
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