昨年は私にとって、満60歳という
あまり有難くない節目の年だったんですが、
同時にまた、禁煙10周年という
微笑ましい節目の年でもあったんです。
私が煙草をやめて、この10年間で
愛煙家はどんどん肩身が狭くなりましたね。
私の会社でも、煙草を吸われる方は
猛暑の夏も、厳寒の冬も、
ベランダに出て吸ってらっしゃいますので、
お気の毒だな~って思いますよ。
煙草はやめられないけど酒ならやめられるとか、
酒はやめられないけど煙草ならやめられるとか、
どっちもやめられないとか、
色んな方がいらっしゃいますが、
「酒は百薬の長ってぐらいだからね。
少々なら、かえって健康にいいんだよ。」とか、
「喫煙者や喫煙経験者は、アルツハイマーに
なる確立が低いんだってさ。」とか、
持論を展開して正当性を主張されることもあり、
それもまた微笑ましい光景ではあります。
「解っちゃいるけど、やめられない。」
歌の文句じゃありませんが、酒やタバコに限らず
いっぱいありますよね、そういうこと。
「あなた自身のためですよ。」とか言われても、
「そうなんですよ~。」とか
「直そうと思ってるんです。」とか
なかなか素直に言えないもので、
つい「余計なお世話だ。」という気持ちがもたげ、
逆ギレしたり、反撃したり
なんてこともありがちですよね。
「あんただって何よ!」とかね。
他人から「あなたは、かくあるべきだ。」と
勝手な価値観を押しつけられれば、
誰だっていい気はしません。
それが「解っちゃいるけどやめられない。」
ことなら、尚のことストレスを感じるでしょう。
支援を受けている高齢者や障がい者の方々は
「自立」とか「社会参加」とか
健常者の価値観を押しつけられ、
社会に適応することを強いられ、
さぞストレスを感じることでしょう。
持論を展開して正当性を主張できる方
ばかりではないんですから。
個性と社会性は、
時として相容れない場合があります。
ですから、個人に社会性を求めるばかりでなく、
社会も個性を認め、
個性を活かせる居場所を提供することが
大切だと、私は思います。
名もなき親爺が人生を語る世にも不思議なブログ
武内利之の「ザッツ・ライフ」日曜の午前に更新
0 件のコメント:
コメントを投稿