2025年7月27日日曜日

2年前の教訓

一昨年の今頃、Concertinoと格闘し、夏に

アップする予定が10月になってしまいま

した。それでも満足の行く演奏はできず、

悔いが残る結果となりました。


今回も夏にアップする予定だけど、なかなか

満足の行く演奏ができません。秋にどうしても

アップしたい曲があるので、いったん中断して

冬に再挑戦となるかも知れません。2年前の

教訓を活かし、納得行くまではアップしない

覚悟で望みます。


やっぱ夏はきついですね。1日働いて、帰宅

したら冷たいシャワーを浴びて、冷たい物を

飲んで、コテンと横になりたいのに、そこから

ヨイショ!って気合入れて2時間、楽器に集中。

頑張ってるつもりでも、イマイチ集中力がなく

て上達が遅いのかも知れませんね。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年7月23日水曜日

道徳的な恥の概念

ハニトラだのマネトラだのって言葉が話題に

なるのは何も今に始まったことじゃないけど、

現政権になって急にそういう話題が増えまし

たよね。アメリカ大統領がトランプ氏になって

米中戦争や関税戦争が勃発するだろうって時に

なんと外相が中国にスッ飛んでったでしょ。

その後も何かと中国を擁護する発言を繰り返し

反米親中丸出しで恥じ入る様子がありません。


自民党の総裁も幹事長も、衆参両院の選挙で

大敗したにもかかわらず辞任しないという

前代未聞のあつかましさ。あの二人も多分

ハニトラ・マネトラにはまってるんだろう

なって想像しちゃいますよ。「絶対辞めるな。

辞めたら全部バラすぞ。」って脅されてると

しか考えようがないですもんね。


我が国は主権在民だけど、その権利を行使で

きるのは選挙だけですよね。だから、選挙で

示された民意を軽んじることは、国民から

主権を奪うことに他なりません。こんなでた

らめな政治を、近い将来選挙権を得るであろう

中高生に見せるのは大きな罪だと思います。

「日本は所詮こんな国なんだ。生き方考えな

きゃな。」って思われたら、日本の将来は

真っ暗じゃないですか?


アメリカの言いなり、これはずっと前から

言われてることで、戦争に負けんだから、

ある程度はしょうがないんでしょう。でも

敗戦当時、白洲次郎さんって方は「我々は

戦争に負けたのであって、奴隷になった訳

ではない。」って言ったそうですよ。気骨が

ありますよね。ところが今の日本はどうで

しょう。現政権への退陣要求が強まり、喉

から手が出るほど外交成果がほしい状況だと

見透かされ「日本が80兆円の投資をし、

利益の90%をアメリカが得る。」ってな

ことになりましたね。赤沢なにがしが笑顔で

親指突き立ててましたよ。奴隷がご褒美を

頂戴して喜ぶ姿は痛々しいですね。

ま、トランプにとっても手柄がほしい状況

ではあるんですがね。


トランプ、プーチン、習近平などが、力と脅し

によって自国の利益を追求し世界の覇権を

握ろうとする戦いに、弱小国は否応なく巻き

込まれて行きます。弱肉強食の世界では、

道徳的な恥の概念がなく、負けることが恥な

んだと、私は思います。だから、目的達成の

ために手段を選ばないんです。騙すことは悪

でなく騙されるのが悪。奪うのが悪ではなく

奪われるのが悪。殺すのが悪ではなく殺される

のが悪なんでしょう。


たとえ世界がそんな風潮になって行ったと

しても、私達日本人は道徳的な恥の概念を

失わず、賢く生き抜いて行ってほしいと願

わずにいられません。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」

2025年7月17日木曜日

意欲が失せる時

協奏曲を吹いても吹いても、上手くなりません。

それどころか、下手になって行くような気さえ

します。まるで1日生きると1週間歳をとって

しまうかのようです。もはや協奏曲は無理なの

かと、絶望的な気分に苛まれます。


5月5日に“ What a wonderful world ”

をアップして、次は高校生の頃に夢見た

ウェーバーのクラリネット協奏曲第1番

第1楽章を8月10日までにアップしようと

決めました。難曲であることは解ってたけど、

高校生の頃に吹いてた曲だし、伴奏の音源は

できてるので、3カ月あれば間に合うだろう

とたかをくくってました。でも、今では全く

目処が立たない状況です。自分の納得行かない

演奏しかできないなら、動画にする価値なんて

ありません。いっそのことすっぱり諦めて、

自分の身の丈にあった楽曲を思いを込めて

作品にした方がいいです。


思えば一昨年の今頃、“ Concertino ”に

苦しんで苦しんで、下手っぴながらも何とか

形にした、あれがターニングポイントだった

のかも知れません。50肩のように、

「お前さんはもう若くない。無茶しなさんな。」

ってことだったのかも知れません。でも、

ウェーバーを第3楽章まで吹いて、その次は

モーツァルトって決めてたし、そのためにA管

も買ってあるので、そうやすやすと夢を諦める

訳には行きません。とにかく8月中旬まで

粘って吹いて、それでも完成しなければその時

に考えます。


ケアマネをしてると、せっかく趣味をお持ち

なのに、ある時期から急に意欲が失せて趣味

を止めてしまう方をよく見かけます。今更で

すが、私、何となく解るような気がします。

今はまだ身の丈にあった楽曲なら吹けると

思えても、それすら自信がなくなったなら、

この私とて、一気に意欲が失せても不思議

ではありません。


そんな日が来ると想像しただけで悲しく

なります。クラだけは、いつまでも吹いて

いたいです。吹きながら死んでもいいくら

いです。意欲が失せる前に命が失せた方が

ましです。


Because, that’s my life !


名も無き親爺が人生を語る

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武内利之の「ザッツ・ライフ」